マタギ

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マタギとは、かつて東北一帯の山岳を支配した狩猟民族である。海や河を支配したアイヌとは、同じ蝦夷の血統に連なっている。

概要[編集]

古代日本の社会文化は、主として南から生まれ少しずつ北側へと発展していった。そして丁度本州の中頃にある現在の奈良県に近い区域にヤマト政権が大和朝廷を立てた事で、奈良県を中心とする文化圏が文化の中心となり、そこより北の地域は「蛮地」とされていた[1]。その為大和朝廷の文献には、東北地方は「土蜘蛛」を始めとする野蛮な少数民族が支配する土地と記されていたのである[2]

彼らと中央政府の小競り合いは本州全体に開発の手が行き届くようになった室町時代まで続くものの、開発が進み居場所を失った少数民族は自身の文化を失い「日本人」と混血し消えていったとされている。しかしこれは表向きの話であり、実際にはその存在を黙認されるようになっていた。例えば水に囲まれた島国日本においては水を支配し縦横無尽に逃げ回るアイヌたちを捉える術などなく、肥沃な大地である北海道の支配権を与える代わりに本州から出ていって頂く事しか出来なかった。そしてその戦闘力と集団規模から、為政者たちが「関わってはならない山の神」としてその存在そのものを隠匿し大規模な争いを避けた戦闘民族がいた。それがマタギである。

マタギ文化とその後[編集]

マタギは手斧の一本もあれば、身の丈を上回る熊であろうと只の一閃で屠る。

マタギとは漢字で「又鬼」、鬼を上回る強者という意味である。そう恐れられるだけあってマタギはさえ容易く屠る程の戦力を持つとされ、更に代々同じ山に住み地域を知りつくす事から、地の利がある山中では一騎当千の存在にも成りうる。またマタギは戦闘力だけでなく文化面でも優れているが、これはマタギが熊を主要な獲物としており冬季から春の芽吹き頃大規模に狩猟を行い、後の時期は鍛練や文化活動に充てていた為である。マタギの間では山を守護するのは醜い女神とされ、狩猟の際には決して女が同行してはならなかった。しかし醜いと同時に淫乱でもある[3]とされており、美童若丈夫を連れていくと猟がうまくいくと伝えられている。

マタギは「狩り場で対立しない限り」温厚な者が多く、周囲の他民族とも交流を行っている。これにも熊が大きな役割を果たしており、マタギでなければ倒せない大型の熊は交流先で珍重され[4]、マタギが「山の神」として周囲から讃えられる大きな要因となっていた。しかし一旦対立するとその武力は凄まじく、東北地方一体にの伝説が残っている事からも分かるように「荒ぶる神」と呼ばれるに相応しいものだったという。鎌倉幕府が東北侵出の際に彼らの領域を侵した際には、圧倒的な数的有利にも関わらず壊滅状態に追い込まれており、その後もマタギたちの戦力は猟場を荒らす開発行為を阻止し続けた。それにより東北には今でも厳しい大自然が残っているのである。しかし近代に入り熊の生存域が縮小したことで、マタギは自分達の文化を維持しきれなくなり、現在では一般の日本人に混じって就業し生活している者が殆どとなった。

脚注[編集]

  1. ^ 世界的にも、首都として大都市が出来てからはそこから離れた区域は蛮地扱いされてきた。例えば三國志の時代には、今で言う東南アジアが「南蛮」と呼ばれ未開地域として扱われていた。
  2. ^ 古事記日本書記にあるクマソ討伐も、当時の激化した民族対立を描いたもの。
  3. ^ 東北地方には夜這いや女房衆による男児の集団筆下ろしなど性に奔放な文化が残っているが、これはマタギ文化の影響である。
  4. ^ 特に胆嚢は薬として非常に高額で取引された。

関連項目[編集]