のっぽパン

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のっぽパン(第二次大戦末期)
のっぽパン(2007年)

のっぽパンとは主に小麦粉を原料とした殴打用の武器の一種である。第二次世界大戦末期に静岡県で開発された。

厳密にはのっぽという名称であるが、戦後GHQの検閲を逃れるために名乗ったのっぽパンという通称が現在でも広く知られている。

概要[編集]

のっぽパンは小麦粉を原料とした殴打用の武器である。開発のルーツは幕末までさかのぼり、時代の節目節目ではのっぽパンが暗躍していたと言われている。

新撰組に負われた桂小五郎が吉田屋に逃げ込む際、血潮のついたのっぽパンを握り締めていたことは有名であり、現在では小学校の教科書にも記述されるほどである。

また1936年(昭和11年)2月26日-29日におきた二・二六事件では、陸軍青年たちはのっぽパンで武装していたという記録が残っている。

こういった点から歴史学者の間では「時代の節目にのっぽの影」と言われている。

開発経緯[編集]

戦局が悪化しつつあった1944年初頭、「本土決戦」、「一億総玉砕」の号令の下、大日本帝国陸軍兵器廠沼津支廠により初めて公式に提案、開発された。

「従来の竹槍では長すぎて児童には扱えない」=「児童も戦闘に参加すべき」という玉砕思想が開発の背景にあったとされる。 軽い・長い・おいしい・イラスト怖いの4拍子がそろっていたため、当時の大本営はわらにもすがる思いで量産に当たった。開発当初、あらゆるパターンののっぽパンが開発されていた。

バリエーション[編集]

小型携帯型のっぽ
基本的には携帯食品であるという前提であったが、あまりの硬さから歯が折れるという事案が続いた。このことから携帯用食品から、「携帯用食品にカモフラージュした殺人ツール」として使用されるようになる。これが最初期ののっぽであった。のっぽは歴史の節目によく現れると言われているが、幕末から戦前に掛けて有名な事件で使用されたのは主にこのタイプののっぽであった。
食品擬態型のっぽ
戦時中に実験的に開発された対人用殺害兵器の一種。見た目は普通の細長いパンであるが、両端のどちらか一方を噛み千切ると爆発する仕組みになっている。戦時中は主に政府がスパイを駆逐するために使用していた。これを食らってしまうと頚部から頭部に掛けて跡形もなく吹き飛んでしまい周囲を血まみれにしてしまうため、通称「彼岸花」と言われていた。
配給擬態型のっぽ
戦時中に実験的に開発された対人用殺害兵器の一種。食品擬態型のっぽの応用から生まれた兵器である。目的地上空から大量ののっぽを落とす。地上に落下する際爆発はせずに、腹をすかした市民がそれを口にしたとたん爆発する。市民の一人が爆死すると他の住人が異変に気付き口にしなかったためあまり役に立たなかった。
人のっぽ
人の形をしたのっぽ。触る・話しかけるといった行為を行うと爆発する。開発部門が遊びで作り上げたものであったが、人型であるため夜中に見るとその姿はまさに人間そのものであり、研究所でこれを見かけた人が間違えて話しかけた人が爆死するという事件が多発する。
きぐるみ型のっぽ
人のっぽの改良型で実際に中に人を入れる事を想定したのっぽである。間接が動くようになっており、人が入ることで歩く・走る・殴る・蹴るなどといった動作が自在に行えるようになっている。そのため手足の強度は非常に高く設計されており、腕一振りで人間の頭を粉砕するほどの威力を持っていたという。また、人が触れる・話しかけるといった行為をすると、中身の人間もろとも周囲30メートルを巻き込んで爆発する。太平洋戦争で主に戦況が悪化した戦場の最前線で特攻目的で用いられた。
実際に用いる場合、「おいしいパンはイランかえ♪」と一芝居打ちながら敵前に向かう必要があるため、たどり着く前に射殺されるケースが目立った。しかし運悪く、この罠に引っかかるアメリカ軍兵もいたため「ジャパンにはパンの姿をした怪人がいるYo!!!」と怪談じみたうわさが広がる。特にガダルカナルなどでは大きな功績を残した。これがアメリカ本土に伝わり、これを下敷きとして現在のセサミストリートのクッキーモンスターが描かれことは周知の事実である。日本では機動戦士ガンダムのモビルスーツという概念の下敷きになった。アンパンマンの下敷きになったと噂も広がっているが、やなせたかしはそれを認めていない。

思わぬ被害[編集]

もともと武装を前提として開発されたため、当時の量産型のっぽは現在市場に出回っているのっぽに比べ硬度が非常に高く、現在クリームにあたる部分は鋼よりも硬くベルギーチョコレートよりも甘い金太郎飴が入っていた。しかし開発者であるM.ナガノ博士の「いくら武器でもパンである」という意向が汲まれ、においは焼きたてそのものであり殺人兵器なのにも関わらずおいしそうなにおいを放っていた。

それに伴った弊害が全国で発生した。戦時下において常に腹を空かせていた子供たちは食べられないと分かってはいたがにおいに釣られて口にしてしまいその結果児童たちの歯が折れまくり口の周りが血まみれになるという事件が全国各地で一斉に発生したのである。

この事件は「はこぼれのっぽだきおつけろ・まっかなおはながはなひらく・おいしいにおいはうそっぱち」と当時流行した童謡揶揄された。

戦後[編集]

敗戦後GHQによりその製造を禁じる旨が伝えられたが、「のっぽパンは武器ではなく食料である」、「パンと名についているのに武器というのは何事か」とした必死の抵抗により現在まで生産されている。

陸軍兵器廠沼津支廠解体後は多くがヌマヅベーカリーというダミー会社に再就職し、のっぽパンの生産を続けた。


突然の生産打ち切りによる県内の混乱[編集]

2007年8月、突如のっぽパンの生産が打ち切られた。その直後、のっぽパンを食べれないことによる禁断症状の影響か、静岡県内企業の株価が軒並み急激に下落、県内の失業率と犯罪率は跳ね上がり、小中学校のいじめ、不登校も急激に増加、離婚率も増加、交通事故も増加するなど、県内は未曾有の大混乱に陥った。

また、県知事や県内出身の国会議員などには裏でこっそりとのっぽパンが横流しされているというデマも広がり[1]、県議会は紛糾、各地で市民が抗議デモを行い、一部が暴徒と化し県内の大物政治家宅を襲撃する事件が相次いだ。2007年年末、静岡県議会はクーデターにより解体された。この暴動は2008年4月に暫定県議会がのっぽパンの生産を再開させるまで続いた。

災害と防災の研究をしているある大学教授は、普段まったりしてる静岡県内の混乱を『静岡事変』と命名し、「東海地震が発生した際のそれに近い」とした研究結果をまとめた。

脚注[編集]

  1. ^ 一説には県知事の妻の「のっぽパンがなければヤマザキナイススティックを食べればいいじゃない」という発言に県民が憤慨したのが発端とも。

関連項目[編集]

軍隊の兵士による兵隊のための軍事スタブ こののっぽパンは、敵軍によって占領されています!!
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