UnBooks:金で人は買えるのか

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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世界では、歴史的にあるいは現在も人身売買がある。一般には、を買ってはいけないと言われる。確かにその通りである。

だがよく考えてみよう。カネで人は買えるのか、という問いにすでにこの時点で答えが出ている事実を。


そう、買えるのである。以下は、その事実をいかにケムにまくかを観点に、色々と検証していくものとする。

買うとはどういった行為か[編集]

そもそも、買うという行為はどのような行為だろうか。

などと言って、万人が知っていることをわざわざ検証し、時間と労力を稼ぎつつ、読み手を疲れさせて自分の言いたいことを押し付けるのも重要な書き手のテクニックである。話を戻そう。

買うという行為に対象となるものは、ひとえにモノである。心だの、魂だのといった対象では、物語の中ではまだしも実際の売買の対象とはなりえない。もっとも、ジョークの題材ではいくらでも成りうる。しかし、あくまでもジョークである。

だが、モノにも生命があると言われる。これは信仰比喩的表現と考えることもできるが、日本人のようにアニミズム、すなわち神道を理解する人種では、この概念を理解することは容易であろう。そのため、私たちよりはるかに意識の高い人はこれに対する暴力も考えるだろう。私程度の人間には厳しいが、一応これをもできるだけ視野に検討してみる。・・・

などと言って、文頭で一応まともなことを述べた後、いきなり突飛なことを持ち出すことで、読み手にメダパニをかけるのも、書き手の重要なテクニックである。 これをやられると、大体の人間は、その項目の一番最初の主題を忘れるという愚を犯すのである。

金とはいったいどのような存在か[編集]

時間と労力の浪費パート2である。

金に生命があるとすれば、1枚あたり1つとして(さらに原子やら分子やら、化学的な思考なども組み入れるともっと難しいが)どうか。日本の金で言っても紙幣硬貨1枚で済むとは思えないが、それでも人間の生物など数兆の生命よりはかなり少ないだろう。だが、それも問題ではない。多数少数で生命の重みは変わらないからである。

などと言うことにより、冒頭ですでに出ている結論に対して、常時読み手を混乱させることで、果たしてそうなのだろうかと思わせることが、書き手のテクニックである。しかし、いったい何を話しているのか分からなくなるのは、結局、書き手のミスである。話を戻そう。

預金振り込みや手形ならどうか、銀行ATMの現金流通の仕組みはどうか分からない以上、議論の仕様がない。ただ、現金で渡せば、渡すときと現金を相手が数えるときに、そのお金に寄生している微生物などへの暴力が予想される。

さぁ。この段階で、結論と、この項目で何を話そうとしたかを思い出せる人はいるだろうか。結局のところ、多くの読み手は、多くの書き手に対して盲従するだけの存在であり、読み手の知的欲求を満たす存在として、書き手を信仰してしまうという、どでかい過ちをしてしまう傾向がある。いわゆる、サギに引っかかりやすい人に見られる特徴である。 もし、以下に示す文章をまともに読むようであるならば、あなたはいったい何に対して、どのような結論を求めるというのだろう。

また、お金をどういうペースで使うかも問題で、素早く金を使う人に金があれば、そのお金の微生物は早く死んでしまうので、金遣いがおとなしい方に金があった方がよい。おそらく、人身を買う方はそれなりに金があるだろうから、そちらの方が幸せだろう。しかし金銭の支払いの過程で死ぬ微生物もいるかもしれない。また、仮に統計か何かで人身を買う側が一般に金遣いが緩やかだとしても、何かの事情で人身を売る側がその金を維持していたら使うだろうよりも早く、そのお金に手を触れることはあるかもしれない。だから、支払ったお金にいつくらいまでは手をつけないように約束するのがよい。だが、金が使われずに銀行や財布にいることも暴力かもしれない。

結論[編集]

古代ギリシャの時点で、弁論術と詭弁はセットになっている。弁論で重視される抑揚、振り付け、態度、仕草など、全ての要素は詭弁でも重要視される。翻って、文章内においてそのような重要視される術として、嘘、大げさ、紛らわしいといった三点セットや、書いている人間も理解していない何か、神だの、超越者だのといった簡単で分かりやすすぎる存在などが、重要なテクニックとなっている。読み手をどのように信じさせるかという話と、読み手をいかようにだますかという話はまったく一緒なのである。 その点を踏まえて、以下の文を読んだとき、果たして冒頭に記した結論に、一片のひびが入るか入らないかはその人しだいである。

人身を売る側は「生きるために仕方がなかった」というかもしれない。それの真偽は大切だが、仮にそうであっても金に寄生する微生物には関係ない。また、売られた人身は私の主観ではストレスある労働を強いられることになるから、その人間を構成する生命にも迷惑な話である。これは労働一般でも同じようなものである。

また、労働で物質などに手を触れる機会が増えるだろうし、また物の扱い方も彼らがいない以上に乱暴になることは否定できないし、さらに作業が早く進むことや社会が大量消費・大量生産になることで、微生物の死期を早め、あるいはそれらやモノに対する暴力を招来するので、これはよくない。

ただ、それらは一部の生命体の生存に必要な面はあるし、また、仮に労働や人身売買されなかったところで、別の場所にいる微生物などが暴力を受けるだけである。

したがって、一概には言えない。

最後のテクニック[編集]

なお、文章における重要なテクニックの一つとして、わき道というものがある。これは、読み手の緊張をほぐし、なおかつ、題材についての知識や理解を深めるために役立つ技術である。

ただし、金は金正日のことと捉えれば、偉大なる将軍様はこの世の何よりも素晴らしい価値をお持ちで、他の一般人の人間どもには到底かなわない偉大さを誇っておられるため、「金は人より大切だ」ということが証明される。しかし、「金正日で人は買えるのか」などという議題は偉大なる将軍様に対して失礼極まりないので、「金=金正日」と捉えることは不適当である。

まぁ、気を一瞬でもそらせればなんだっていいのである。