UnBooks:犯罪者の卒業文集

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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殺人などの凶悪犯罪を起こした犯人が逮捕されると、その犯人の学生時代の卒業文集が「犯罪に至るまでの心理を伺える材料」としてワイドショーなどでピックアップされることが多い。しかし、卒業文集など、書いた経験のある人にはお判りだろうが、押し並べて社会の倫理や道徳、良識とやらに迎合し、出来の良い生徒として振る舞い、先生に媚を売って適当に取り繕って書いたような、いわば本人の人格を反映しているとは言いがたい「空文」ばかりである。犯罪者の心理を分析する材料になるとは、到底思えない。

にも拘らず、何故、卒業文集がピックアップされるのか。そこには、近代メディアの発足以来マスコミと教育機関の間に介在してきた慣例がある。

実は、とある人物が犯罪を起こした際、その犯罪者が在籍、ないしかつて在籍していた教育機関は、その犯罪者が書いた卒業文集をメディアに提出しなければならないという不文律が存在する。たとえ犯罪者が卒業文集など書いて無くても提出しなければならない。また、その文体はなるべく示唆的かつ扇情的で、メディアやニュースの視聴者達が都合の良いように解釈できる文体であることが望ましいとされる。

さらに言うと、もし、それが味気ない文集であったら、内容を改竄しても構わないとされている。表面的には「構わない」とあくまで教育機関側の随意に委ねているが、その実は報道側が教育機関に内容の改竄を強制してくる事例も少なくない

どういうことかというと、歪曲万歳、捏造万歳、メディアの扇情的な報道に寄与さえできれば、その犯罪者が書いてすらいない文集を憶測の元勝手に執筆しても構わないという容認である。これは個人の人権を著しく侵害しているように見えるが、扇情的な報道によって大衆が刺激を得ることができるのだから、結果として社会に貢献したことになる、犯罪者一人の人格が蹂躙、歪曲されたところで知ったこっちゃないという考えが通念化している。しかも、メディアの報道によって高い反響を得ることに成功した暁には、教育機関側に御布施が投じられることになっている。事実上の賄賂である。

そこで校長や教頭は、その犯罪者と接触が多い、在籍していたクラスの担当に、躍起になって文集の「創作、捏造」を迫ってくる。担当としては、たまったものではない。いくら教え子と言っても、所詮は赤の他人である。 しかも、凶悪犯罪を起こすような生徒は内向的でコミュニケーションが下手なことが多く、その心理の底を 容易にはうかがい知れない。

加えて、生徒の卒業文集を勝手に捏造するということには、教え子の心中に土足で上がりこんで蹂躙するような 良心の呵責もあるだろう。少なくともまともな人間ならば、自責の念に駆られずにはいられない。

当然のことながら、こういう「事実」が表沙汰になる事はない。もし、表沙汰になりそうになると、マスコミ、教育機関、酷い時には文化庁までもが結託して、必死に「火消し」を行う。

犯罪が起きるたびに、卒業文集が公開され、コメンテーターがしたり顔で犯罪に結びつけるような論調で牽強付会をする――見慣れた光景だが、それがいかに生徒の人権、人格を蹂躙し、教師を追い詰めているか、メディアは今一度沈思黙考すべき時では、ないだろうか。