UnBooks:何故説教は長引くのか

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動: 案内検索

君は説教というものを受けたことがあるだろう。ためにもならない話を延々聞かされるのはたまったものではなかろう。本書ではこの説教が何故延々と長引くのかについて検証している。本書を手に取って、説教対策等にしていただければ幸いである。

説教が生じる状況[編集]

まず説教というものが生じる状況からみていこう。それは君が何か公序良俗に反する行為をしたときだ。それを見かねた指導者や保護者が君をどこか別の場所に連れて行き、説教を始めるという格好である。その際説教をしようとしている側にはそれが悪いことであるということを伝えようとする意図がある。逆に言うと、そういう意図しか無い。

説教をしていくなかで[編集]

説教を行って行く過程でそれが悪いことであるということを伝えて行くこととなるが、とんでもない凶悪な犯罪を犯していない限り、伝える情報は限られるし、伝えるのに要する時間も少なくて済むはずだ。では何故、説教が長引くのだろうか。それには説教をする者の主観が大きく関わっている。説教をしていると、目の前にいる者はどうしようもないクズ野郎で救いようがなく、言っても無駄であると言うある種の絶望感にとらわれると同時に私がこいつを悪なる状態から善なる状態に置換するのだという正義感にとらわれる。そして、このクズ野郎を救うにはこんな短時間の説教では足りないと感じるようになり、より長く説教を実施しようという意識に至るのである。これにより、用件を伝えた後も可能な限り説教を続けようとする。

こうして無理矢理説教を続けていると、ある境地に達する。歯切れが良く、寓話性が高い(と本人が主観的に思う)表現が突如として頭の中に浮かぶのである。作文をしているときに新たな考えやアイディアが浮かぶのと同じ境地である。だが、作文に関する授業で君はこう習ったはずだ。「文章を書いている時に突然浮かんだアイディアを無理矢理挿入するのはやめなさい」と。これは浮かんだアイディアが文章の主題から乖離していたり、それを主張するために立場を丸っきり変える必要があるからだ。そういう考えが浮かんだら、とりあえずメモしておいて別の機会にそれを使うべきだが、説教をしている人は浮かんだアイディア、表現を無理矢理挿入しようとする。前述の通り、説教をする者は不要な正義感にとらわれるため、手に入った物は可能な限り活用しようとするわけだ。だが折角のアイディアも往々にして役に立たないものである。その表現を使うために議論の遠回りをしなければならなかったり、無理して使ったがために説教の目的を忘却したりしてしまう。特に後者の場合、「何故お前を説教しているか」を対象者に問うこととなる。本末転倒である。

この思いつきに似たものに「思い出し」がある。自分が昔に体験した現象・出来事を思い出し、教訓っぽく語りだすものであるが、人生は一人一人別々のものである。昔話など聞かされても時間の無駄である。また懐古に夢中になったがために主題を忘れるという現象も当然起きる。こうして時間は延びて行く。

説教によっては、対象者に意見や謝罪を求める場合も有る。だが、意見したところで絶望感にとらわれている説教者はそれを否定し、徹底的に批判して行く。当然時間も延びることとなる。

対処[編集]

説教を短く終わらせるには「先読み」をしていくしかない。昔話であれば「どうせまた、○○の話でしょう」と言えば回避できる。謝罪・意見を求められたら、「どうせ肯定しないんでしょ。」と釘を刺せば良い。説教している方からすれば愛の鞭なのだろうが結局は自涜行為でしかない。常に相手の二手・三手先を読んだ話術で説教を手短に終了させよう。

関連項目[編集]

富野由悠季 - 変態的な説教を行う(しかも、場所もあろうに有料のトークイベントなどで)要注意人物