UnBooks:ユーモア枯渇症闘病記

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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ユーモア枯渇症患者は間違いなく日本で増えている。これはあるユーモア枯渇症患者を抱えた家族の闘病記である。

告知[編集]

「お気の毒ですが……気を確かに持テクダサイ」

目の前の白衣の男、夫の担当医師がなぜか外人なまりでしゃべる。担当医師は日本人にしては彫りが深く、まるでアラブ人のような顔をしている。あまりにマッチしていて、私は一瞬ふと噴き出してしまった。ユーモア枯渇症の治療にはできるだけユーモアに触れさせる事が治療への一歩だそうだ。

「ご主人はメッチャ深い病に侵されテイマス。ダイジョブです。気をタシカニ。一緒にチリョ、シマショウ」

どうやら夫はユーモア枯渇症という病にかかったのだそうだ。この病気にかかると徐々にユーモアを生み出すことができなくなり、最悪の場合はユーモアを受け付けない体になり、死に至るという恐ろしい病だ。ああ、なんということ……私が26年前に結婚したときはあのいつでも笑いを絶やさない性格に引かれて結婚したというのに。初めてのデートも、初めて床を共にした夜も「この男はいつもくだらないことばかりいう男だなあ」と思っていたのに……結納の日にあまりにくだらない事を言い過ぎて両親に「この人大丈夫か?」といわれていたのに……結婚式で新郎自ら一発ギャグ108連発とかやって親戚一同あきれられていたのに……そんな姿がもう見られなくなるなんて……いや、そんな姿はあんまり見たくないが。

「ダイジョウブ、ダイジョブヨ、私にマカセテ! ダイジョブ、ダイジョブ!」

医師が必死に笑いを取ろうとしているが、夫は悲しい笑みしか漏らさない。というか、むしろこの医師のユーモアセンスでは病状を悪化させるのではないか? そんな心配をしているときに、ふいに看護婦が一人、診察室に入ってきた。

「モハメド先生、ムンテラ中に失礼いたします。画像診断ができました」

お前本当にアラブ人だったのかよ!

「オー、コレミテクダサーイ! 脳のCT画像ができマーシタ! やぱりユーモア枯渇症のグレード3です」

グレード3……アンサイクロペディアで言えば管理者並みの悪い状態だ。夫に残されたユーモアはもうあまり無いのかもしれない……医師は画像診断の写真を看護婦に渡しながら答える。

「アリガトネ、サミーラ看護師長!」

お前もアラブ人かよ! 夫はまったく笑わなくなっていた。

闘病[編集]

夫は「定年後はユーモアを書いて書いて書きまくるぞ! 最近、アンサイクロペディアといういいサイトを見つけたんだ」とよく言っていた。その矢先に今回の告知だった。それが今ではユーモアに見向きもしない。私と夫は病院から家にトボトボと歩いていた。ふと、目の前にパチンコ屋の看板が見える。見ればネオンの「パ」の文字が消えている。以前の夫なら間違いなく反応していただろう。「おい、見ろよお前! チンコ屋! チンコ屋!」といっていただろ。いい加減、還暦を迎えるんだから街中でチンコだのなんだのと叫ばないでほしいと思っていたが、今思うとあの日々が懐かしく思える。

いや、やっぱりチンコネタは封印しておいてほしい。

家に帰ると愛犬のペスがほえている。夫が定年になるときに、寂しくなるからと飼い始めた雑種犬のペスだ。夫が変わっていったらこの犬も気がつくだろうか。

「ただいま、ペス」

夫が犬をおとなしくなでている。いつもなら「とにかくこれだけは言っておくぅ! お犬様グッジョーブ!」とか言いながら犬を放り投げたりしていたのに(よくわからないがアンサイクロペディアというサイトで流行っているギャグらしい)。あまりの変わりようにペスも戸惑っているようだ。

居間に入ると、今年で大学を卒業する娘が帰っていた。

「お帰り、お父さん」

娘も父親の変化には気がついただろうか?

「今日も面接落ちちゃった」

娘は今年就職だ。だが、昨今の不景気でなかなか内定が決まらない。

「そうか」

夫はおとなしい。以前なら「そうか。お前も立派な自宅警備員だな」とか「絶対に働かせたくないでござる!」とかデリカシーの無いギャグで家族の笑いをとろうとしていたのに……まあそれで笑いが取れる娘もどうかと思うが。この日から、我が家の長くつらい、ユーモア枯渇症の闘病が始まるのだった。

悪化[編集]

担当医師のモハメド先生のところにはあれからも通い続けているが、夫の病状はまったくよくならない。ユーモア枯渇症を治す薬は存在しない。患者とのコミュニケーションと時間だけが病を克服できるのだ。ちょっと日本語は不自由だが、モハメド先生はいい医師だと思う(時々脱線しすぎて美味しいシシケバブ料理店の話をしてしまうところと、診療中でも手術中でも時間が来るとアラーへお祈りをする点を除いては)。あれからも診察のたびにユーモアを交えた話で、夫の回復を試みてくれるのだ。夫の反応は日々弱くなっていくが、これだけが頼りである以上治療をやめるべきではない。

家ではできる限り、患者をユーモアに触れさせるしかない。夫はYouTubeでお笑い番組のキャプチャー動画・ニコニコ動画のMAD動画を日中は黙って見ている。以前なら「ちょwwwおまwwww」などと一人で笑い転げながら見ていたのに、今は神妙な顔つきでディスプレイを見つめている。お笑いオンエアバトルやエンタの神様も見逃すわけにはいかないので、いつも新聞朝刊のテレビ欄をチェックすることが日課になった。夫はそんな時も黙って正座して、テレビを眺めている。以前なら「いや~、メッセンジャーを超える吉本芸人は居ないだろ」などといいながら一人でお笑いを堪能していたのに、今はとても静かだ。

家族でできるだけ食事を取って、できるだけ笑えるような会話をするようになった。それが夫の治療のためだと、娘と話し合った結果だ。もっとも、面白い話が出ても、娘と私が大爆笑でも夫は微笑すらしないが。

「それでね、教授に向かって言ってやったのよ。むしろそれはペンチで引っこ抜いたほうがいいんじゃないかしらって」

「まあ、うふふ」

ふと、たわいも無い笑い話をしていたその時、夫はふいに口を開いた。夫が会話に入ってくるのは、もう長い間、見ていないような気がする。私は瞬間的に、わずかな希望を持った。だが、それは私を絶望に陥れるものだった。

「その話は中立的な観点ではないな」

ウィキペディアン化。ユーモア枯渇症の症状の中でも代表的なものだ。

「第一、そのソビエトだかロシアだかでは仔猫が人間を吸引するという話、これはどこが出典元だ?出典を明記する必要があるな」

夫は食卓の会話を削除するつもりなのだろうか?私は黙ってカレーコロッケを頬張った。こんな日が、まるで永遠のように、幾日も続いた。

兆し[編集]

私はその日、買い物に出かけた。今日は土曜日、娘も夫も家に居る。私はその日の昼食を買って家に帰った。

「ただいま」

「おかえりー」

娘の声だ。娘にそれに続いて夫が玄関まで私を迎えにくる。娘は卒業旅行にアメリカに行くつもりらしい。親としては多少心配だが、いい気分転換になるだろう。

「あなた、旅行の準備はすんだの? アメリカはどこに行くかもう決まったの?」

「うん、決まったよ。ユタ州」

「ユタ? また辺鄙なところに良くのねえ……準備は?」

「てへっ、まだできてない」

「ユタは……」

夫が何か話し始める。どうせウィキトラベル並みの旅行情報でも出てくるのだろう……

「ユタは……ユタは……」

「あなた?」

「お父さん?」

「ユタはそんな田舎じゃないよー!」


「信じられませーン! とても良くなってマース!」

NRV、外れますかね?」

「はずせマセーン! 外しタラ私が投稿ブロックしてやりマース!」

夫と再び病院に行き、アブドゥル先生の診察を受ける。なおモハメド先生は国境無き医師団に参加するために、先月病院をやめていった。最後までモハメド先生はユーモアを忘れないいい先生で、最後の診察の時は「私の国、内戦とクーデターテロと国家元首がアメリカにケンカ売ってマスカラ、むしろ私の祖国の国境がナクナリソーデース!」と朗らかに言っていた。……それは笑えないぞモハメド先生。それにしてもこの病院、アラブ人医師が多いな。

以前とは違う夫の姿にアブドゥル先生も驚いていた。私も娘も、ついでにペスも、(今回の話に一回も出てこなかったが)今年で25歳になる自宅警備員で引きこもりの長男も驚いていた。まさかユーモア復活のきっかけがケント・デリカットだとは言いにくいが、それでも夫は回復できたのだ。希望は決して捨てるものではない、ユーモアはいつか人が生み出せるもの、私はちょっとだけ確信できるようになった。ちょうどこの日は夫がユーモア枯渇症の告知を受けてから一年がたっていた。それは私たち家族にとって長いようで短い一年だったのかもしれない……。

関連事項[編集]