UnBooks:オスカー・ワイルド指数

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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表紙

アンサイクロペディアオスカー・ワイルドをめぐる、人々のつながりがどのような未来を暗示しているのか。著者が研究し、体験した出来事からアンサイクロペディアの今後を占う問題作。

第一章 アンサイクロペディアと語録[編集]

我がアンサイクロペディアは、風刺と笑いに満ちた、紳士淑女の社交的な場を目指して久しい。しかしながら、現在の19,645もの記事を見れば分かるとおり、アンサイクロペディアはその目指すところとは別の方向へ向かおうとしている。

一読してその味を無くしてしまう記事二番煎じ無意味な記事(アンサイクロペディアに意味を求めること自体に無意味性を唱える者もいるが、アンサイクロペディアは一貫して記事の意味を……これには“無意味であること”も含まれる……求めることでその存在を確保してきたことを忘れてはならない)。そんな中でも、真に問題となる記事は、冗長性甚だしい記事である。前に挙げた記事群は、アンサイクロペディアの必要と賞賛される自浄作用によって排斥されている。だが、冗長な記事は、その“長い”という一点のために、そこに居座りつづける。そうした記事は、長く居れば居るほど人の手が入り、ますます削除の手が入りにくくなっていく。

冗長な記事が出来る原因は、何だろうか。その一端を握っているとされているのは、語録である。 アンサイクロペディアの、他の事典と決定的に異なる点は、語録にあると元来いわれてきた。事実、アンサイクロペディアにはオスカー・ワイルドをはじめとする豊富で多彩な語録がそこかしこに掲載されている。読者はこれを見て、語録の登場人物のユーモアあふれる言葉に、笑い、傷つき、考えさせられる……そのように信じられてきた。

しかしながら、私たちの頭の中には、印象に残る語録はあまりないのではないだろうか。私もすぐに思い出すことが出来たのは「四次元パケッツからタケカプトゥー出してよ!」(やはりオスカー・ワイルドだ)だけだった。これものところ、正確ではないかもしれない

記事を印象的なものとするための語録が、どうして人々の記憶に残らないのか。語録の数が多すぎるのでは、という論議がなされたことがある。だが、それだけで、語録を次々にそぎ落とすだけで、残った語録は輝きを増すのだろうか。他に、もっと大きな問題は。

先ほど、“オスカー・ワイルドをはじめとする”、“豊富で多彩な”という記述をした。本当だろうか。私たちは重大な思い違いをしているのかもしれない。この懸念を検証するため、私は次章に述べる数値を提唱することにする。

第二章 オスカー・ワイルド指数[編集]

オスカー・フィンガル・オフレアティ・ウィルズ・ワイルドOscar Fingal O'Flaherty Wills Wilde)は、アンサイクロペディアで崇拝される重要な人物だ。オスカー・ワイルドはアンサイクロペディアにたくさんの語録を寄せている事で有名である。それだけに止まらず、その思想はアンサイクロペディアに深く浸透している。アンサイクロペディアと、その語録について語り、研究を深める時に、この人物に注目する事は至極当然であり、また私もそうするつもりである。

オスカー・ワイルド指数(Oscar Wilde Index)とは、語録に登場する人物一人ひとりに設定される、次のように定義される数値である。

『同じ記事の語録で共演する人物をたどって行き、我らがオスカー・ワイルドまでいくつの記事で到達するか』を、0以上の自然数で表現したもの

手順はでも構わない。すなわち、オスカー・ワイルドから目的の人物をたどってもよい。

ある記事でオスカー・ワイルドと一緒に語録が掲載されている人物のオスカー・ワイルド指数は1となる。例えば、アンサイクロペディアで神聖かつ偉大なる神をも超えた光の恩寵の中生を受け、真理に最も近い存在ひよこ陛下ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタは、多数の記事でオスカー・ワイルドと競演しているため、オスカー・ワイルド指数は1である。

オスカー・ワイルドと一緒の記事には掲載されていないが、オスカー・ワイルドと一緒に掲載されている人物(オスカー・ワイルド指数1の人物)と、別の記事で一緒に語録が掲載されている人物のオスカー・ワイルド指数は2である。ルイージは、オスカー・ワイルドと共演はしていないが、ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ共演しているため、ルイージのオスカー・ワイルド指数は2である。

以降、同様に経由した人数が増えるごとにオスカー・ワイルド指数は3,4……と増加していく(オスカー・ワイルド自身のオスカー・ワイルド指数は0)。このように語録の登場人物をたどることにより、各人物のオスカー・ワイルド指数を測定できる。

ただし、たった1回しか登場せず、しかもほかの語録と共に掲載されていない人物など、オスカー・ワイルドまでたどり着くことができない人物もいる。このような人物にはオスカー・ワイルド指数は設定されない。

さて、アンサイクロペディアでのオスカー・ワイルド指数計測は、オスカー・ワイルド指数1の人物は比較的容易であるが、1より大きい人物の測定は難航を極める。

この検証には、次章で述べるような方法を用いた。

大まかに言えば、オスカー・ワイルド指数1の人物の調査にはアンサイクロペディアの機能を直接使用し、オスカー・ワイルド指数が2以上の人物の調査には、アメリカGoogle社の検索システムを利用した。図らずも、後にこの調査方法が、オスカー・ワイルド指数が果てしないアンサイクロペディアの暗部に迫る数値となっている可能性を示す事件を引き起こすきっかけとなったことは、いささか戦慄を覚えたことである。

また、その事件のせいで今回のオスカー・ワイルド指数の調査は2の人物を調査する途中で失敗に終わっている。よって、巻末の付表に示す測定値の表は(特に2以上は)甚だ不完全なものであることをご容赦頂きたい。

第三章 調査、検索、そして……検閲[編集]

調査は、研究所助手の協力によって行なわれた。ここで惜しみない労力を提供してくれた人たちに感謝の意を述べるものである。

まずは、オスカー・ワイルド指数1の人物を調査する事から始まった。しかし、まずここで、調査の対象となる記事、そして人物について述べておく事が必要だろう。

対象記事
ほぼ全ての一般記事である。一般記事とは、検索その他で“(標準)”という名前空間(但し、これは標準という名前をもっている訳ではなく、単に特に名前を持っていない空間、という意味である)で検索できるものである。但し、オスカー・ワイルド指数1の人物を調査する際には、Category:オスカー・ワイルドイズムを最大限利用させてもらった。
対象となる人物
名前が判明している、特定の個人を示す名前である人物・団体を対象とする。語録には、不特定多数の人物や、書物の記述によるものも含まれているが、それらは除外している。例外として、ロシア的倒置法どうみても精子ですのガイドラインのみは広く膾炙しているため含めている。

このような条件のもと、Category:オスカー・ワイルドイズム全199ページ(Template:語録 (オスカー)は除く)を調査した結果が、付表1である。総勢381人という数は、オスカー・ワイルドの登場する語録数の約2倍である点が、考察に耐えうる所であると思われる。

次に、オスカー・ワイルド指数2の調査を行なうことにしたが、ここで思わぬ事件が発生した。

オスカー・ワイルド指数2の調査には、前述のとおりアメリカGoogle社の検索システムを利用した。検索ワードは次のとおり。

について -オスカー -ワイルド -forum -talk 
-利用者 site:http://ja.uncyclopedia.info/wiki/

Uncyclopedia名前空間の記事を除外しつつ、オスカー・ワイルドが登場しない語録のある記事を精査していく方法を取った。

警告表示。このような事態は予想していなかった。長い調査で疲れ切っていた為、ある意味ホッとしたのはナイショである。
ところが、約90程の記事を精査している内に、右のような警告が、Google社から出された。何度もリクエストを行なったがこの警告を回避する事ができず、あえなくこの調査は231人のオスカー・ワイルド指数2である人物を突き止めた時点で中断せざるを得なかった。これは甚だ不完全な表である事を繰り返し強調した上で、オスカー・ワイルド指数2の人物を調査した結果を、付表2に示す。

第四章 考察[編集]

誰のオスカー・ワイルド指数が、いくつなのかについては付表をご覧戴くとして、この不完全な表……そして、その不完全となった経緯からどのようなことが読み取れるかを著していきたい。

まず、オスカー・ワイルド指数1の人物が、381人という事実である。これは、オスカー・ワイルドイズムの項目数199と比較すると、その数は2倍に迫る勢いである。明らかに適正さを欠いている。が、このこと自体は、すでに語録の総数がアンサイクロペディアの把握の埒外に到達している現在の状況から指摘されている。問題は、実際に「この状況のどこがいけないのか」を明確に指摘した者がいないことである。

だが、オスカー・ワイルド指数の調査から、新たな事実が判明した。つまり、「かなりの数の語録が、オスカー・ワイルドと共に掲載されている」という事実である。

どこがいけないのか?

そう頭によぎった読者も少なからずいると思われる。とにもかくにも、オスカー・ワイルドはアンサイクロペディアで語録を残すことが役目だ、そこかしこに登場して当然だろう、と。

一部分ではそれは正解だ。しかし、それを完全な正解とするには、語録の大前提を満たすことが不可欠だ。すなわち、「語録の使用には、その記事に適切な人物の適切な言葉を選択することに慎重でなければならない」。オスカー・ワイルドがどこにでも登場してよいという論理は、誠に薄弱な理由にしか支えられていない。

オスカー・ワイルドのいないアンサイクロペディアは、確かに考えられない。これには私も反論の余地はない。だが、これが、一部の組織的な力によって盲信的に推し進められると、一体どうなってしまうのか

前述の通り、今回の調査ではオスカー・ワイルド指数2の人物を調査する途中でGoogleからの妨害に直面した。オスカー・ワイルドの目の届く範囲(オスカー・ワイルド指数1)はよいが、それを越える調査は禁則事項と判断されているようだ。

オスカー・ワイルドが崇拝の対象であるべきかどうかについては、議論の余地はないだろう。しかし、オスカー・ワイルドが登場しない語録を検閲し、まるで「語録には必ずオスカー・ワイルドを登場させなければならない」というような意識操作に、どのような意味があるというのだろうか。面白くない発言をオスカー・ワイルドに語らせることが、崇拝になると言えるのだろうか。

第五章 オスカー・ワイルドの安住の地とは[編集]

今回は、アンサイクロペディアの語録に登場する人物すべてについてオスカー・ワイルド指数を調査することはできなかった。よってその平均値などのデータも存在しない。

しかしながら、オスカー・ワイルドが、彼の意志に反して無意味に登場させられているという現状は、理解していただけたと思われる。と同時に、私がこれから述べる結論にも賛同していただけることを強く信じている。

すなわち、「オスカー・ワイルドを勇気を持って除外することを考えなければならない」ということである。オスカー・ワイルドが真に必要な記事を見極める。そのためには、効果的な語録の使用を研鑽することがより重要であることは言うまでもない。

もし語録が適切に使われるようになった時、それは「オスカー・ワイルド指数」という数字が「全部入り」の中でしか用を成さない代物になる時である。しかし、それでいいのだ。オスカー・ワイルド指数の手を離れた語録こそ、彼の人が何にも縛られることなく自由に語る場となるのだから。

オスカー・ワイルドが、真に語りたかったことを語り、あなたに深い感銘を与えるようになる日が来ることを願って止まない。

参考文献[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「オスカー・ワイルド指数」の項目を執筆しています。
  • 八百科事典『アンサイクロペディア』