UnBooks:アンサイクロペディアは何故過疎化したのか

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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前口上[編集]

本日は、私痴愚神の信徒が、偉大なる先輩に倣って、我らの女神をお呼びし、自画自賛して頂きたいと思います。
よろしくお願いします。
その前に、先輩の作品から引用させて頂きます。責任回避とか言わないでね。かのニュートンだって巨人の肩の上に立ったのですから

Suspicabar, hunc ingenii nostri lusum tibi praecipue probatum iri, propterea quod soleas hujus generis jocis.
(Erasmus. Morias Egkomion, id est Stultitiae Laus. Praefatio)

私が思うに、私達のこの才気ゲームは、あなたからは特に賞賛されるでしょう。あなたは靴底までをもこの種の冗談に慣らしているのですから。
エラスムス、『痴愚神礼讃』序文)

痴愚神は語る[編集]

挨拶[編集]

もう500年も前に私は、我が友エラスムスの力を借りて登壇する機会を得ましたが、この度は再び表舞台にてお話しする機会が得られたことを誇らしく思います。
まずは、アンサイクロペディア愚かなる諸君が、私のことを記事にしてくれた事に感謝したいと思います。
皆さまは、何よりも私の効力をご存知でいらっしゃるはずの方々ですものね。
今回は私の賢い愚かな侍女たちの紹介は省かせて頂きます。500年前にしたことですもの、そんなことしたら、…まあ、そのことはもう少し後でちゃんとお話ししましょう。

アンサイクロペディアは賢くなりすぎた[編集]

さて、本来皆様は誰よりも私の力を存分に味わっている方々のはずなのですが、残念ながらあなた方に私の効力を改めて説明し直さなければならない日が来てしまったようです。
10年前のアンサイクロペディアンは、戒律パリサイ派並みに厳守することなどなかったのは、古くから見ている私がこの上もなくよく知っていることでございます。
ところが、今のアンサイクロペディアンは、ウィキペディアンにかぶれ過ぎたのか、賢明にも不幸の道を歩み続けております。バカバカしくやることよりも、馬鹿にならないことにこだわり過ぎてしまって、この道に陥ってしまったのです。 一つずつ眺めてまいりましょう。

長文主義[編集]

まずはこれをご覧ください。無論、皆様なら既にご覧になったこともありましょうが…。

{{#Icon:construction.png|だれかこの記事に救いの手を!|64px}} 要約:文章がちょっと短いので加筆すべし。

最低でも、1200字もの字数を書かなければ、小項目がダラダラ並んでいて、どこに何があるのか探すだけで苦労する愚かな辞書に飛ばされてしまいます。

しかし、アンサイクロペディアに貢献したがる人々は皆バカです。バカなりに、俳句17字だからこそ美しいことや、和歌短歌)が31文字だからこそ味があることを知っております。
だからこそこれ以上増やせないし、かといってUnquote(アンクォート)に載せるほど偉くもない。しかもバカなりにプライドがあって、自分の発言に有名人の衣を着せることはこの場においてさえ詐欺だと勘違いしている。

そんな人たちは、どうすると思いますか?

1. バカッた―に流れます。[編集]

だってあそこは、最大でも140字、アンサイクロペディアの記事の9分の1程度の分量しか書けませんから。
しかも、上手くやれば何万RTもされる痛烈な風刺が完成します。19世紀のアメリカ人に倣って、カリフォルニア発のゴールド・ラッシュに乗っかった方が、バカにとってはどれほど夢のあることでしょうか!
賢くなければ、1200字を埋める方法なんて、せいぜい同じ文字を連打するぐらいしか思い浮かびませんが、流石にそれを繰り返していては流行りませんからねえ。

2. Lineに流れます。[編集]

自己満で結構、内輪で楽しくやればいい。今どきの悟り世代若者ならきっとこう言うでしょう。気軽にメッセージの中で風刺してれば、それでいいや、と。
真に悟ったことは、自分がバカ過ぎるということだけ。彼らは、本当は何もわかっていないが故に幸せなのですから。

3. チャクウィキに流れます。[編集]

昔は大量のバカがチャクウィキに流れ着いたものです。しかし、今ではもう時代遅れ。なのに、賢いアンサイクロペディアンはバカが当然wiki文法に精通していると早合点して、今尚こんなテンプレートが流通しています。

{{#Icon:Chakuwiki.png|チャクウィキ|60px}} 長文が読めないバカな人のために、チャクウィキバカたちが「痴愚神信者」の項目を執筆しています。

私は愚かですから、これがテンプレートの劣化拡大コピーになっているということにはひとまず触れずにおいて、それよりも愚かなのは、自分たちが賢過ぎることに気付かず、無意識のうちに相手に同じ賢さを求めて、当然バカチャクウィキに流れると勘違いしているアンサイクロペディアンです。

お陰様で、幸せなことに自分達が時代から取り残されていることを、誰も気にしないのです。

4. ツッコめない人間の楽園に流れます。[編集]

こちらであれば、ネタは画像として与えられるわ、どんなにつまらなくても削除されることはないわ、バカにとっては正に天国私の友人エラスムスの友人で、私の名前の元ネタになった彼に言わせれば、ユートピアです。彼らにとっては、どんなに自己満足できる幸せな場でしょうか!

5. 日本さいころペディアやウソペディア、エンペディアなどの国産ペディアに流れます。[編集]

亡命ペディア[1]と称されるこれらのサービスは、しばしば無期限投稿ブロックで追放されたり、長すぎる議論や蔓延するLTAに疲弊したりしているアンサイクロペディアンの受け皿になります。

彼らは亡命先で、なんと平和に暮らしていることでしょう!エンペディアに至ってはユアペディアと並んで記事数20000本突破をアンサイクロペディアよりも先に達成していますし、アンサイクロペディアの管理職経験者でさえ、エンペディア[2]やウソペディア[3]、そしてかつての日本さいころペディア[4]に新天地を求めて活動しておられるのです。

磨かれ過ぎたギャグセンス[編集]

アンサイクロペディアは、虚構新聞に次ぐぐらい、風刺専門サイトとしては長い歴史を誇ります。
それ自体は素晴らしいことなのですが、結果として、ユーザーはあまりにもギャグに慣れてしまいました。バカの道を究めて、かえって賢くなりすぎて、天才バカボン後期やギャグゲリラ時代の赤塚不二夫並みに、賢過ぎるコアなバカにしか分からないハイレベル過ぎるギャグセンスを手に入れてしまったのです。
当然高いレベルのギャグのみが生き残るので、アンサイクロペディアン自身は幸せですが、その事情は今時の若者が、SNSに晒され過ぎて(特に人工的な)美人に慣れ過ぎて結婚願望どころか恋愛願望すらも衰えさせて、逆説的に幸せになったことによく似ています。
若者が結婚しないことで、本人は幸せだが、人類は衰退するのと同様に、アンサイクロペディアン自身は幸せですが、アンサイクロペディアは過疎化してしまうばかりなのです。

大衆はそれほどのギャグセンスを求めてはいません。Youtuber何番煎じだか分からないしょうもないリズムネタの方が余程笑えるので、彼らをテレビにまで押し上げようと頑張っています。
当然のことでしょう。後期の赤塚不二夫を理解せず、彼をアル中にしてしまったのですから。

アンサイクロペディアのギャグセンスはハイレベルになり過ぎました。そのおかげで、初心者がちょろっとネタを思いついても{{NRV}}を貼られるのが当たり前で、本来記事を書いて貢献すべきバカ達にとっては、読みにくい記事ばかり書けもせず、読めもしないのですから、笑いへの造詣を究めるよりも世俗的な幸せが欲しいだけの彼らは、不満のあまりあっさり離れてしまうことでしょう。

アンサイクロペディアのギャグセンスは、多くのこの国企業の技術と同じく、既にイノベーションのジレンマに陥っているのです。

しかしながら、愚かなアンサイクロペディアンは、その愚かなるプライドを捨てられずにいます。
もう少しだけ粗製乱造を認めれば、Google式の数撃てば当たる戦法で、9000本のゾンビ記事を生け贄に捧げつつも1000本の優れた記事を得られるでしょうに、1本も不良品を生み出すことを許せないのです。勤勉な日本人らしくて、何とも素晴らしいことですね。

厳選に厳選を重ねて、彼らは100万本の記事を持つWikipedia50分の1しか記事がないことを、大いに自慢しています。ほら。

{{#Icon:ウィキペディア無し_small.png|ウィキペディアは粗製乱造者である|55px}} ウィキペディア専門家気取りたちは「アンクロペディアの記事の厳選」についてすら記事を執筆しています。そのような暴挙に出なかったことは、我らの誇りです。

実際は、厳選しているのではなくて、恐怖政治のせいで、ブロック恐怖症にかかったユーザーがただ書けないために、膨大な数の赤リンクを抱えているだけなのですがね。

偏った記事構成[編集]

赤リンクが多いことそれ自体も賢くなりすぎた証拠で、賢過ぎるから余計な項目にリンクを貼ってしまって、リンク先がないことに気付いた後で慌てて誰かが書くことを無駄に期待するからなのですが、もっと問題なのは、ある種の類似項目は乱立しているのに、別の分野は全くと言っていいほどカバーされていない事なのです。

賢くなりすぎて、専門家気取りパロディー化しているうちに自分達が真の笑いの専門家になってしまったからなのでしょうが、スコラ哲学の真似をして、ばかバカ馬鹿との違いは何かを大真面目に考察し続けたり、N番煎じ二番煎じではない、と別の記事を立ててしまったりする姿は、500年前から変わらぬ、専門的になり過ぎた愚か者の姿です。賢くなりすぎて、自分の専門だけは知っているものの、他は何も分からなくなってしまったのです。

その癖、ユーモアのセンスだけは誰よりも鋭いものですから、使うネタは最も優れた選りすぐりのものばかり。最も優れたネタは大変少ないものですから、そのネタを使う限り、繰り返しになって、N番煎じRanzo(濫造)でVakaらしいとして、{{NRV}}への道を直行するばかり。こうして、新たな記事の大半は潰れて、不毛な赤リンクばかりが残るのです。

私ですら、うかうかしてはいられません。うっかり500年前と同じ話を繰り返してみなさい。いくら皆様が私の有難さを理解しているとしても、その私の話ですら容赦なく二番煎じの烙印を押して、削除してしまうことでしょう。
だから、出しゃばりな「自惚れ」にも、今回は我慢して引っ込んでもらっているのです。彼女は今Facebookで大量のいいねを生み出していて、彼女なりに幸せそうですけどね。

伝統と権威を重んじる所すらも、500年前の専門家たちと変わっておりません。彼らがアリストテレスキリストトマス・アクィナスを専ら重んじたのと同様に、ひよこ陛下オスカー・ワイルドと、各種の有名な古参妄想記事を崇めております。
それが邪宗だなんてことはうるさく言いません。誰を崇めようと、人間である限り私の世話になることを免れることは不可能ですからね。むしろ私は、私にひよこの肉体を与えてくれたことを、こう見えても感謝しているんですよ。

でも、私の友人エラスムスや、ローマ時代にバカを究めたオウィディウスホラティウスユウェナリスペトロニウスルキアノスら偉大なる風刺作家達の記事が存在しないことはいただけません。
2000年読み継がれる彼らよりも、あなた方の賢過ぎる冗談の方が優れているので、扱うに値しないとお考えなのでしたら、それもまたお幸せで大変結構なことですが、それでは崇める権威すら偏ってしまい、ますますスコラ哲学者か、現代の科学者に似通ってしまうことでしょう。

孔子も言ったではありませんか、温故知新、故きを温ぬるは新しきを知る、と。バカになるにしても、偉大なる先人、偉大なる歴史的なバカを参考にしなければなりません。

このアンサイクロペディア、少なくとも日本語版は、日本人が担っているはずなのに、赤塚不二夫天才バカボンも赤リンクになっていることには驚かされました。真に優れたバカは、彼・彼女について語るにも優れたバカにならなければいけませんから、やはりアンサイクロペディアンは賢くなりすぎたのです。

『馬鹿になれ』を書いたスポーツ平和党元党首の記事があることが、せめてもの救い、あなた方が再び幸せを取り戻せる可能性を期待させる一縷の望みでしょうか。

時事ネタの薄さ[編集]

Category:時事ネタ/2017年を見て御覧なさい。水増し毎年の伝統を別にすれば、10個にも満たない厳選された記事しか存在しません。
賢くなりすぎたアンサイクロペディアンにとっては、週刊文春スマホで読み漁る典型的な大衆が興味を持つことの殆どが、どうでもよくなってしまったのでしょう。これではバカも賢過ぎる段階を通り越して、痴呆か悟りに近付いてしまっています。

風刺は、時宜を得てこそ流行るというのは、世界中の風刺画家も良く知っていることなのに、この基本的なルールを軽視する以上、日本らしく、ますますガラパゴス化孤立して、時代から取り残された象牙の塔に籠る自己満専門家集団になるしか、道は残っていないでしょう。
しかしながら、それもいいのかもしれません。ハリネズミのジレンマで知られているように、人は他者と関わらなければ傷付かず、幸せでいられるのですから。

その代わり、アクティブユーザーは200人以下になり[5]管理者に推挙されるようなベテランですらパスワードとか言うたわごとを吐いて永遠の名誉あるバカに回帰する事を決意し、ユーザーは消防厨房から写怪人へと年を取ってしまい、日本らしく伝統の継承に失敗し、農業田舎と同じ道をたどりつつあるわけですが、何もアメリカ的な価値観が全てではなく、スローフードISISが尊ばれるご時世、のんびりと幸せな老後を過ごせるのであれば、きっと私に感謝していることでしょうから、私としてはもう何も言うことはありません。
ジョン・スチュアート・ミルが言ったように、「不満足なソクラテスよりも満足な愚者である方が良く、不満足な愚者であるよりも満足な豚である方が良い(It is better to be a fool satisfied than a Socrates dissatisfied; better to be a pig satisfied than a fool dissatisfied.」のですから。

終わりに[編集]

あれまあ、私のおかげで幸せになった愚か者を紹介するよりも、アンサイクロペディア批判が中心になってしまいました。
500年前も、スコラ哲学批判に大分紙面を割いてしまったものですが、私は、500年経っても学んでいないようです。当然でしょう。だって、私は全てのバカ以上にバカな痴愚神ですよ。

500年前はわが友エラスムスが広めたおかげで、私がまいた種はルターという果実を生んでくれましたが、今回私はどんなルターを生み出すことになるのでしょう。今からそれが楽しみです。

バカが多ければ多いほど、私も皆様も話のタネには尽きないですものね。

最後に[編集]

もし万一気に食わないのであれば、この言葉をお返ししておきましょう。

O maior tandem parcas, insane, minori.
(Horatius. Satruae. 2. 3. 326.)

おお、最後に、より狂いたる君よ、さほどでない者を見逃してくれたまえ。
ホラティウス、『諷刺詩』2. 3. 326行)

脚注[編集]

  1. ^ 亡命ペディア参照。
  2. ^ 利用者:下らない編集しか出来ないかく|みる氏(現BadEditor氏)ら。
  3. ^ Peacementhol氏ら。
  4. ^ 利用者:七星かく|みる氏等。
  5. ^ この一因は異端審問を進めすぎたからです。名誉市民が5000人近くもいるのは、全市民のバカにならない割合ですよ。