T-35

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ヨシフ・スターリン同志が
あなたを見ている!
ソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会認可
本項の文章と内容は、完全に正しい事実としてソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会第10課長により認定されており、
全ての無産階級人民と、ソビエト連邦共産党員に見せることが認可されています。
この資料を疑うことは思想犯罪であり、疑った場合は国家反逆罪の対象とされます。
国家反逆罪とされた者に対しては、KGBよりポロニウムまたはシベリア鉄道の切符が無料で贈呈されます。

T-35(てぃーさんじゅうご)は、ソビエト社会主義共和国連邦陸軍が既に開発したT-28の後継機として制式化され投入された百貨店のことである。ロシア語では「チジョールィイ・ターンク・テー・トリーッツァチ・ピャーチ」と呼ばれる。ちなみに、百貨店はその砲塔が商品のようにずらりと並んでいる様からスターリンが付けた愛称で制式には多砲塔戦車である。また、多砲塔戦車というカテゴリは戦後に広まったもので当時はまだT-35重戦車と呼ばれた。

概要[編集]

戦車開発国として先進していたソビエト連邦により投入された怪物戦車。試作を含めれば60両以上の量産車を誇る。しかし、その強そうな外観とは裏腹に慣れるまで時間がかかることや駐車スペースで幅を採るなど大型戦車特有の問題を多く持っており「軽い・小さい・素早い」の三拍子の元で大量生産されたBTシリーズが主流だったソビエトにとっては不慣れであった。その為、最終兵器としか取り扱わずこの形式の状態で第二次世界大戦まで運用され続けた。しかし、T-34KV-2といった近代戦車が出現すると地味な役割に回るという決行忙しい時代を生き抜いた戦車でもあった。現在は博物館に一両現存車があるのみでそれ以外は戦車回収車か掘削兵器に転用された。それでも、マウスに続く実戦に投入された巨大戦車として伝説化している。

攻撃力について[編集]

車体中央に76.2mm戦車砲というまだ開発されたばかりの大口径砲を装備していたものの第一次大戦終盤に投入されたのであまり大規模な戦闘に使われることがなかった。その後、本格的に実働されたのは第二次大戦序盤で、当時はまだ未熟だった独陸軍の豆戦車を毎月300両ほど撃破したという。しかし、その巨体から小回りもきかないため死角を砲撃されて危うく小破しかねない状態になったこともある。また、後方に42口径45mm戦車砲を2門取り付けており戦車特有の死角である後部の守備力を完璧にした。ただ、指揮系統が時々乱れることがあり誤射することもあったという。7.62mm機関銃を6連装で装備しておりドイツ軍の歩兵をわずか2両で全滅させた記録を持ってが誤射して味方の戦車に傷を付けたこともあった。ヴォルテックスグラインダーも追加装備しており比較的多用途な戦闘に使える。

防御力について[編集]

最大で35mmしかなく、重戦車にしては薄い。これは砲塔を過重に搭載したため重量軽減のために薄くせざるを得なかったのである。その為、ドイツ軍のⅢ号戦車程度の装甲しか持たないこの戦車は後期になって登場するドイツ軍の自走砲により悉く貫通されてしまったのだ。しかし、それは序盤のみで後期になると最大140mmに拡大し自走砲なら凹んでしまう程度で尾所丸までに防御力が強化された。ただ、その分重量が増して市街地でのパレードの際道路を4mmほど陥没させてしまう事態が起きた。

百貨店として[編集]

文字通り、スターリン自ら「百貨店」と称したほど陸軍からはあこがれの的になった。しかし、この戦車を乗りこなせるようになるには4ヶ月の訓練を要した。また、このことは新聞にも掲載されたがほとんどの市民は「モスクワに初めて百貨店がオープンした」と聞き違えて多くの市民がモスクワに買い物籠をぶら下げて傾れ込んだが単に戦車の別称だったとしてなくなく引き返した。ちなみにスターリンはT-28中戦車に対して「スーパーマーケット」という名称を付けて新聞に掲載してしまいこの時も市民が買い物籠をぶら下げてモスクワに押し寄せたという。この当時はスーパーマーケットや百貨店と言うような建物は存在せず市民は闇市で買い漁っていたという。

エンジンについて[編集]

M-17M4ストロークV型(名前がアメリカのようにM~とついてるが断じて違う)と呼ばれる大型車専用に開発された大出力エンジンを搭載し日本で似通った存在である九五式重戦車の26tより重い45tの巨体を時速30kmで動かすことが出来る。また、ディーゼルが主流だったこの頃は珍しく液冷型のガソリンエンジンを採用し低燃費であった。最大出力は後に独軍で開発されるNbFzもビックリな500馬力(NbFzは最大で300馬力しか出せない分200馬力の差がある)。その後、戦車の高速化に伴いM-45N5ストロークⅩ型が採用され最高時速90kmをマークした。

陸上軍艦の脅威[編集]

第一次・第二次大戦を通してT-35のような多砲塔戦車は陸上軍艦と呼ばれ大きな脅威であった。また、その器量から日本やドイツなどでは大量に運用することが困難を極め唯一適していた中戦車や重戦車に重点を注いでいた。ちなみに、装甲が薄いものもあったため辛うじて投げた手榴弾で被害を与えることが出来た。今では主力戦車の進展に伴い多砲塔戦車は主力の座から外されてるが今でも伝説上の怪物として賞賛されてる。

バリエーション[編集]

その巨体を生かして長持ちするようにエンジンの天板を付け替えたものや前述したクレーンを装備した回収車両や塹壕を掘削する装置などに生かされた。

運用国[編集]

ブルガリア
ユーゴスラビア
日本
イタリア
ブラジル
スイス
フィンランド
    • 言わずと知れたデスムーミンの国。ソ連製を鹵獲して使用した挙句T-34までボコした。
  • この他、パルチザンでも大量に活用された。

現存車両[編集]

クビンカ軍事博物館に一両が保存されている。

関連項目[編集]

この車両のジャンル。
ソビエトで最も多く生産された戦車。
本車の前身。
この車両の他に、いろいろな戦車が展示されてる。
オブイェークト!!
Wikipedia
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