KADOKAWA

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偉大なる党総書記、習近平大人は見ている
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曖昧さ回避
角川書店」とは異なります。

KADOKAWAとは、日本文学の新自由主義的構造改革を推進する文化コングロマリットである。経営モットーは「総中流社会の幻想を唱えつつ、格差社会日常をライトにつくろう」

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概要[編集]

角川書店はグローバル展開のために、2013年に9社まとめてKADOKAWAと改名した。以来同社は、ネット新社会の趨勢に乗っかって、文学の世界を構造的に変革すべく、新規な戦術を次々と打ち出している。

その中で最も重視されているのは、「文芸」「文壇」の名の下で手厚く保護されてきた出版界を、改革開放が進むグローバル市場の風潮に合わせて新自由主義的に改造することだ。その中で抵抗勢力となっていたのは、ロクに売れないクセして偉そうにのさばっている大人たちの「文学批評」なるものだった。そうした従来型文学は野生時代などとうそぶいているが、「野生のままでは金にならない」という本音を経営陣は抱いていた。

しかし、それをストレートに打ち出すと売り上げに響くので、表向きは社会的弱者を包摂する「総中流社会」の維持をPRしている。その裏腹、実際の行動においてはとことん新自由主義を推進する。いうなれば、口先では日常系のほのぼの空間を語りつつ、実際にはバトル系の闘争空間をつくりあげたのだ。そこには、争いとは無縁のはずの少女とて、積極参戦せずにはいられない。

ラノベ寡占[編集]

上場企業たるKADOKAWAが新時代を築くべく合併前から熱心に取り組んでいたのは、ライトノベルの世界で覇権を握ることだった。集英社講談社小学館の3社に抑えつけられていて、「大人でも評論空間」がある程度形成されていた漫画界でなく、真面目な批評には値しないと考えられていた「ライトノベル」を基軸にするのは、市場主義的改造を達成するために絶好の手段だった。

そこで登場したのが涼宮八儿匕という名の異世界少女だった。八儿匕は熱心な読書家に向けて宣言した。「ロードス島戦記とかスレイヤーズとかいう文学には興味ありません。コノ中二ミライのべる、異世界のべる、宇宙人述ベル者イルナラ、KADOKAWAヘ来ルガヨイ。以上」と高らかに宣言し、文壇秩序への反逆を煽り立てた。八儿匕は地道を愛する既存の業界からミクルという名前の監視人を付けられていたが、八儿匕は読書を愛するその女に接客至上主義の服装をさせ、みごとに撃退した。八儿匕は地味な人間にはついていけない派手なパフォーマンスを繰り返す一方で、自分が総中流社会の幻想を守る存在であることを一般人へPRすることも忘れなかった。

効果は革命的なまでに覿面であり、八儿匕は覿面という字が読めない層から莫大なお布施を集めることに成功した。八儿匕のやっていることから普段最も疎外されている層が、最も多額のお布施を投じたといわれている。

そのお布施をもとに、八儿匕はスニーカーを振り上げて他社への超時空的侵略を繰り返した。手始めに、電撃文庫を落とし、メディアファクトリーMF文庫Jを落とし、富士見ファンタジア文庫も制覇し、ファミ通文庫まで制圧した。八儿匕は現代ライトノベルの開拓者として歴史に名を残す偉人となった。独占禁止法という旧世代の禁則事項など諸共しない新自由主義の夜明けだ。

これらのライトノベルは、とにかく騒がし系の楽しさを重視し、地に足のついた落ち着いた批評を一顧だにしないことが特徴だ。本来、静かさを好む青年層はこうした欲望空間に接近しないと考えられてきたが、KADOKAWAは彼らの味方を自称することで、彼らを味方につけることに成功した。そして、KADOKAWAはラノベ世界の8割以上を支配する絶対君主となり、漫画界を支配する「集英・講談・小学(SKS)合衆国」としのぎを削る「スクールカースト下位層に奉仕する」共和国としての地位を確立させた。

人民統治[編集]

ライトノベル関係の書籍が経営を支えるKADOKAWAだが、それを評論する固い人文科学書はその10分の1、いや部数面で見れば100分の1も刊行しないのが特徴である。これは、人民共和国にて「社会主義リアリズム」のみが重視されたのに見習い、「オタクリアリズム」が一定の枠をはみ出さないように統制し、そこから外れた解釈が発達していかないように統御するためだ。人民共和国で理系が文系の上に立っているのと同様、オタクリアリズムでも中心の担い手は理系男子とされている。

学術研究に足る「近代文学」と高尚ぶってるものだって、性とエロスが中心テーマとなっていたものだが、それをより強調したKADOKAWAはそうした男の本音空間を席巻することに成功した。だが、そこで培った本音を現実空間で表出した男たちの99%は、それまでの暗い性格を捨て去った結果、実際には最初から明るかった人間のポチにされ、女から見放されていった。

これに対して、きれいな背広を着たKADOKAWA社員は「悪いのは向こうなんだからと気にするな。だから、もっともっと僕たちの中のヒロインを抜きたまえよ」と促す。上場企業のKADOKAWAにとって、書籍など「読み捨てられる紙の塊」程度のものにすぎないし、それ以上の意味を与えようとする試みは嘲笑をもって「売れない」の一声で一蹴する彼らにとって、文学部卒のリアルヒロインなどその程度の存在でしかない。

一応、角川選書といった固い書籍も出しているが、これは老害対策のためであって売り上げ面では誰も気にしない

KADOKAWAが参考にしているのは、米国とセカイを二分しようとする某大国の統治戦術だった。某大国は口先で共産主義社会の実現を唱えつつも、実際の経済政策では超のつく格差社会を作り上げる超市場主義国家だ。KADOKAWAはそれに学んで、「口先では学校カースト下位の味方であるかのように振る舞いつつ、実際の出版政策では下位層の求める静かな空間を奪い取る」超カースト社会を構築することをもって政策としている。ライトノベルの世界観がそのまま体現した場合、それ以外の教養を持たない彼ら真正下位層は決してヒロインから運命の相手に選ばれたりはしないに決まっている。

中華世界への進出[編集]

KADOKAWAは中国および台湾へも進出し、漫画や軽小説天漫に輸出している。雑誌も刊行していた(多くがネット配信に移行)し、中華世界固有の軽小説まで刊行している。それを愛読している中国人や台湾人はその活況をみて、日本でも同じように、中華産の軽小説が愛されていると思い込む。「日本式の動漫が東アジアを支配」していると自負するのなら、ノブレス・オブリージュとして自分たちの軽小説も日本で大事にされていると思うのは自然なことだ。

しかし、中華の軽小説は全くといって良いほど日本では読まれていない。中華世界とは違って、海賊版さえ出回っていない。真面目な「文芸」部門で救済されるようなこともない。KADOKAWAはむしろ、海賊版討伐という点では中国当局と歩調を合わせたりもする。それもこれも、漫画や軽小説はあくまで商品であり、文学という政治的意味合いを持つ大赤字の腫れ物ではありえないというKADOKAWAの姿勢ゆえだ。

日本からのライトノベル一方通行で、中華産のものは「どうせ売れない」の名の下で刊行機会すら与えられない(与えられても日本→中華の100分の1未満)。角川の中国子会社からのものでもそれは変わらない。正に新自由主義の文化帝国主義が現れた。と日本の実態に触れた中華世界の留学生が証言している。

ニコニコ動画のM&A[編集]

KADOKAWAは更なる新天地を求め、「ニコニコ動画」というコンテンツを持つドワンゴを買収した。

ニコニコ動画といえば、ヘイトスピーチ上等とばかりに罵声と嘲笑をそのまま文字化した言葉が画面いっぱいに流れる下劣空間であり、そのような罵声空間を嫌う青年は通常なら近づこうもしないものだろう。

しかし、KADOKAWAは侵略を止めようとしない。そのような動画を押し付けておいてなお、「僕たち以外にどこが、彼ら彼女らに社会での居場所を与えているのですか?」と居直ることができる。その営業スマイルの奥に、「wwwwwwwwwwwwwwwwwこのクソムシがwwwwwwwwwwwww」という悪意を隠しながら。

「貧乏人が金持ちの事業で充足を覚えたとしても、それは決して金持ちが貧乏人を思いやったが故ではない。」
KADOKAWA について、アダム・スミス

関連項目[編集]