G.G.佐藤

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古木あーっとを全世界に広めるとはなんたる肝の大きさよ。」
G.G.佐藤 について、オスカー・ワイルド
「G.G.佐藤はわしが育てた」
G.G.佐藤 について、星野仙一
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G.G.佐藤(本名:じじぃ・さとう、1978年8月9日 - )とは千葉ロッテマリーンズに所属する外野手。あんまりにもあんまりな名前なので、一応通り名は「佐藤隆彦」としている。別名「愛の波動砲G.G.佐藤

概要[編集]

本業はボディビルダー。 趣味でやっていた野球が、たまたま西武球団の目に留まって、拾われた。 「愛の波動砲」というのは「やらないか」ということである。 何気にホームランを打つ人だが、4番にはケガで帰った人が居た為、5,6番を打っていた。2008年シーズン前半は好調だったため、北京オリンピック代表にも追加で選ばれた。

「G.G.佐藤の身体は北京に行きますが、タマキンはここに置いていきます!」
G.G.佐藤 について、彼は北京五輪前の西武ドームでのヒーローインタビューでの発言

そして、彼はタマキンを西武ドームに置いたまま、北京五輪で伝説的な守備を見せることとなり、罰ゲームで星野の手によりスケープゴートにされ「E.E.佐藤」と一時改名されることになる。帰国してからも、あのプレーを引きずっていたのか、シーズン後半は不調。ファーム暮しを余儀なくされた。そして2008年、西武は見事日本一を勝ち取ったが、一軍メンバーの中には、G.G.佐藤の名前は無かった。
しかしながら2009年はシーズン後半までパフォーマンスを維持し、打率・本塁打数共に高い数字を記録。北京のプレーを忘れさせてくれる勢いである。2010年はあまり試合に出してもらえず、2011年はまさかの一軍出場なし。戦力外通告されてしまった。2012年にはイタリアリーグのフォルティチュード・ボローニャに移籍し、打率.319、3本塁打、22打点の活躍を見せる。まあ所詮イタリアでの話だが。しかし8月に解雇された。しかししかし、11月現在、伊東勤監督のもとでロッテの入団テストを受け、ロッテに入団した・・・が、2014年に戦力外通告を受け、あっさりとサラリーマンに転身した。

趣味[編集]

愛の波動砲の異名の通り、女性を口説くのが趣味。 そのためのフレーズを次々と考案している。[1] でも趣味がボディビルだけに、全然説得力がない。 この愛の波動の力で2008年には一般女性と結婚している。

毎年のオフの契約交渉ではチーム一の天王山の一角であり、ファンも認知するほどのごねり具合で年俸釣り上げを計っている。

キモティーオーラ[編集]

G.G.佐藤はキモティーオーラ(別名愛の波動)と呼ばれるオーラを常時出している。このオーラが出ていなかった大学時代はレギュラーも取れずホームランも通算で1本のみだった。キモティーオーラを維持するためにヒーローインタビューの時に奇声を上げる。2007年ごろから、オーラはビンビン出ていたが北京オリンピックを機にオーラが減退。不振に陥る。

「キモティ―――ッ!」とは股間のバットの感触を尋ねられた時の言葉であり、「アッー!」と同一の意味である。

エピソード[編集]

  • 憧れの人物はケンシロウイタリアボディビルダー
  • 基本的にマッチョが好き。藤原紀香よりカブレラが優先される。というか、紀香は眼中にない。
  • 金銭面では納得するまで妥協しない。これは自身の成績よりもヒーローインタビューの場で「キモティ―――ッ!」を使うことによるギャラについて球団と揉めている。その為2年連続自費キャンプに突入した。
  • 打席に入るときのルーティ―――ッンワークがキモティ―――ッ!
  • 北京で伝説の守備を見せる前にファンの皆に「北京では忘れられないプレーをする」と宣言していたため有言実行で伝説の守備を故意に行った

脚注[編集]

  1. ^ これに対する女性の返答は「キモい」だったが、これは「キモティーオーラをビンビン感じて私はもうメロメロ。どうにでもしてほしい」の略である。

関連項目[編集]


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