FUD

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FUD(ふぁど)とは、特定の敵を作って人の「恐怖、不安、疑念」を扇動することで、一般人の思想や嗜好を誘導する心理的マーケティング手法である。

概要[編集]

不安(Fear)、不確実(Uncertainty)、不信(Doubt)の頭文字を取った手法と定義される。分かりやすい事例としては

  • 「近いうちに大地震が来る」と不安を煽り、その被害から逃れるためにパワーストーンなどのアクセサリーを買わせる
  • テレビゲーム好きな子供に対して、バカになるからゲームはダメ」と大声で叱る
  • 学校でうんこをしていた小学生に対して「コイツうんこしてたぞ!触られるとバイキンが伝染するから逃げろ~!!」と複数人で騒いで伝染病者扱いする

などが挙げられる。いずれも根拠が薄いか全くない(不確実)にも関わらず、大声で不安と不信を掻き立てることで「敵」を確立するのが特徴である。また周りを巻き込んで同調者を増やしていく特徴もあり、特に3点目の例は「バイキンが伝染する」という不安を前面に出すことで周りを強く巻き込める。その結果、日本では小学校トイレで大便をしないことががデファクトスタンダードになっている。

言い換えれば、情弱き民向けの扇動手法であり、流言飛語の類である。

FUDの歴史[編集]

FUDは1975年にIBMを退職してコンピュータ会社を設立したジーン・アムダール氏が起源であると言われていたが、上述の通り「根拠のない不安の扇動」であることから、相当古くから歴史に証跡を残している。以下、歴史に残るFUD事例の主なものを紹介する。

秦の中国統一(紀元前247年~221年)[編集]

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中国は、中華を統一するためにFUDを活用した。紀元前247年に秦がなどの5か国連合軍に攻め込まれて窮地に陥った際、連合軍をまとめていた信陵君が「魏の王位を狙っている」というFUDを実行し、信陵君を魏の中心から遠ざけることに成功した。また紀元前229年に趙を攻める際、長年の強敵となっていた李牧を排するため、趙の奸臣郭開を通じて「李牧が司馬尚と謀反を企んでいる」というFUDを実行。これも大成功し、李牧は最終的に捉えられて処刑され、仇敵を排除できた秦は228年に趙を平定することに成功した。記録が残る中ではおそらく最古のFUD事例である。

陳勝・呉広の乱(紀元前209年)[編集]

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そのの末期のFUD事例。陳勝と呉広が辺境守備に赴くため、徴兵された900人の農民を連れて移動していたところ、大雨により移動不能となり、期限までに任地に到着することが不可能になった。秦の法律では期日までに到着しないと斬首とされていたため、この斬首への不安を利用し、「このまま現地に行っても9割がた死ぬ。もし許されて死ななくても服役中に6~7割の確率で死ぬ。どうせ死ぬのならば、名を残して死ぬべきだ」と農民達にFUDを展開し、恐怖に駆られた農民たちが一斉に同調して蜂起。一時期は数万の大勢力となり、秦が滅亡するきっかけとなった。FUDを駆使して中華を統一した秦は、FUDを仕掛けられたことによって滅びの道を歩み始めたのである。

しかし一般人の不安を煽って蜂起した陳勝と呉広は、兵法が上手くなかったことで内部から不安視されてしまい、まず呉広が内乱で殺されてしまう。その後陳勝も敗戦に敗戦を重ねたことで内部から見限られ、最期は自分の御者に殺されてしまい、反乱自体は大失敗に終わっている。

李施愛の乱(1467年)[編集]

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李氏朝鮮におけるFUD事例。地方の豪族であった李施愛が犬猿の仲だった地方軍司令官を殺害して蜂起した後、王朝側を混乱させるために、国王の側近である韓明澮と申叔舟がその司令官と通じて反乱を企てている、という流言の形でFUDを展開。これにあっさり騙された国王の世祖は韓明澮と申叔舟を投獄してしまい、反乱軍側を相対的に強化すること成功。しかし3か月後に李施愛が部下の裏切りにより捕えられてしまい、あっさりと反乱は終了してしまった。

米西戦争(1898年)[編集]

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『市民ケーン』のモデルとなった新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストは自社の新聞の購読者数拡大のためにキューバの独立戦争を利用した。当時キューバスペインからの独立を求めていたが、これに目をつけたハーストはスペインがキューバ人に対し非人道的行為を行っているという内容の記事を捏造、これを大々的かつセンセーショナルに報道した。これによりアメリカ世論のスペインに対する不信感・憎悪は一気に高まり、その後アメリカの戦艦メインが沈没した事件によりアメリカは参戦へと舵を切った。

鬼畜米英(1944年)[編集]

太平洋戦争後期、不利な状況に追い込まれていた日本は大政翼賛会が「国民総決起運動」と標榜して国民の戦意昂揚を図っていた。しかし戦局は改善されず、どうすれば良いか日々思案していた中、1944年5月に米国の写真誌『LIFE』が日本人の頭蓋骨を眺めている少女の写真を掲載。これを更なる戦意昂揚のチャンスと捉えた大政翼賛会は、総力を挙げてアメリカ人の残虐ぶりを示す情報を真贋問わずにかき集めて発表するFUD戦略を展開。当時のマスコミ各社も同調し、「鬼畜米英」の概念が確立されるに至った。

その結果、戦況が日々厳しくなっていくことに対する大本営への批判をアメリカ・イギリスへの批判にすり替えることに成功し、翌1945年の「一億玉砕」の雰囲気を確立する礎が築かれた。そして沖縄陥落や原爆の投下に繋がっていくのである。

総括[編集]

不確実な根拠で不安と不信を煽っても誰一人幸せにはならない。

関連項目[編集]

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