D
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
「D」は、ラテン語アルファベットで用いられている書記素(grapheme)のひとつである。一般的には、このアルファベットの4番目の文字であると言われている。(日本語での「D」の読み方については後述する。)
アルファベットの1番目から3番目である「A」「B」「C」は世界的に有名であり、この3文字を歌った『ABCの歌』は世界256ヶ国以上で初等教育に用いられていることでも知られているが、その一方で、「D」を歌った楽曲は、泉こなたの『Dドライヴ/ラヴ』以外は全く知られていない。
「D」はまた、その形状から、「知恵遅れの『O』の双子の兄弟」あるいは「巨大な甲状線腫をもった『I』」とも揶揄される。この不名誉な形容に反して、「D」それ自身は、極めて長く魅惑的な歴史を持っているが、歴史年表においても「D」に関する記述は紙面の都合などを理由に省略され、その分が他のアルファベットの解説に余計に充てられていることが多い。
現在、「D」は、英語アルファベットの使用頻度ランキングにおいて堂々12位にランクされているが、「D」はこの順位に居座り続けるためには形振(なりふ)り構わなくなっており、その厨房っぷりは今や「Q」以外には並ぶものがない状態である。
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[編集] 歴史
「D」が歴史上初めて用いられたのは、古代エジプト第18王朝のファラオであるツタンカーメンの墓に記されていた、「
」というヒエログリフ(聖刻文字)であると言われている。この「
」は、日本語でいう「ドジっ娘」(Doji-girl)に近い意味を表す文字である。なお、この文字は、原文の傍で見つかった壁画[1]によって意味が明確に示されており、これによって翻訳された(1922年)。ロゼッタ・ストーンの発見以前に解読された数少ない文字の一つである。
時は流れ、ユダヤ人がピラミッドの盗掘の際に、エジプト人から「
」を盗んだ。そして、彼ら[2]はこれを地中海沿岸に運び、そこで「
」は何千年もの時を経て変化し発酵し蒸散し再蒸留され、「
」は「海老」を表す文字になった。どのようにしてこの変化が起こったのかは、その変化が余りに突飛であることは誰もが認めるものであるにも関わらず、正確に把握している者はいない[3]。
暫く後、ユダヤ人は進化し、ヒエログリフのような古典的なものを文章で用いるのを止めてしまった。そして、フェニキア文字[4]が発明されたとき、彼らは「
」の形と意味を変更して、新しい書記素を作ることを決断した。この新たな書記素「△」[5]は、その後数千年にわたって用いられた。
しかし、古代エトルリア人の時代になると、彼らはすぐに「△」の形を変えることを決めた。幾何学的にシンプルで美しかった三角形は、醜いものに置き換えられた。これが、現在一般的に用いられている「D」の前身である。歴史家によって「発達の遅れた『Π』」と評されているように、このとき「D」の凡庸な位置付けは確定したのである。この位置付けは、エトルリア文字において「D」が全く用いられなかったという事実により更に強固にされ、更に言語学者たちが重度の汚部屋ユーザー(片付けられない人)であったことにより、長く維持されることになった。
やがて、ギリシア人がエトルリア人を殲滅したとき、彼らはユダヤ人がかつて用いていた意味に「D」をリバートした[6]。このリバートについて陰謀説を唱える根強く者もいるが、にも関わらず、「Δ」(Delta/デルタ)と呼ばれるこのギリシア文字の三角形は、現在も数学の世界において用いられている。
一方、エトルリア人からローマ人に伝わり、ラテン語アルファベットの一覧に紛れ込んだものの全く使用されていなかった「D」は、ローマ人たちの笞によって更に激しく打ち据えられることになった。彼らは、古代エジプト人が用いていた意味にこれを戻すことを決め、まるで失語症患者のように何らの議論もせずに、再び「D」を「ドジっ娘」の意味にしてしまった。こうして、「D」は私たちが現在知っているような形になったのである。
[編集] 「D」は凡庸か?
アルファベットのなかの“大きなお友達”である「D」は、現在では、無気力で不貞腐れたNEETのような生活を送り続けている。歴史が長く、かつ有名であり、「D」がこれまで辿ってきた歴史が非常に面白いものであることを声高に主張する勢力が存在するにも関わらず、現在の「D」はかなり退屈している。独創性の欠如か、或いは何か別の理由で、現在では「E」や「W」のほうがもっと面白い歴史を有しているものとして、「D」よりも多く引用されている。
勿論、これは誤りである。確かに、「D」の現在の形は1000年以上前の状態と変わっておらず、また、これまで述べたような、英語という言語における「D」の平凡さは、否定することのできない事実である。しかし、それは「D」が何も持っていないという意味ではない。例えば、世界で最も有名な少年の1人として知られるチャーリー・ブラウンは、何と50年以上に渡って継続的に、数え切れないほどの「D-」(D minus)を獲得し続けた。これによって「D」や「D-」は、今や全世界のあらゆる世代に浸透している。
しかし、「D」に関する噂を必死に集め、アンサイクロペディアやウィキペディアに箇条書きで列挙しても、それは「D」のエキサイティングなキャラクタを説明したことにはならない。残念ながら、これを説明する全ての証拠は、時間の流れの中へ失われてしまっている。でも、安心してほしい。世界的に有名な文字学者たち(alphabetologists)が、この証拠が存在することを永遠に保障してくれているから。
なお、哀れな「D」にとっては不幸なことに、要出典厨が跳梁跋扈しているウィキペディアにおいては、文字学は正式な科学としては認められていない。このことは、誤った人々によるあらゆる無知や無理解をもたらす。彼らは、「D」についての真実を知る機会が無いままに生きてゆき、そのまま死んでゆくのだ。そして、「D」に残されたのは、元々の「ドジっ娘」という意味だけだ。しかも、ドジっ娘そのものは、現代においてもなお注目を集めているが、それにも関わらず、もはや「D」は全く注目されていない。
悲しいことに、アンサイクロペディア以外の手段では、何人たりとも真実に近づくことはできないのだ。
[編集] 「D」と日本
[編集] アルファベット伝来
日本にラテン語アルファベットが伝わったのは、室町時代後期(戦国時代)の1543年頃のことである。これは、大隅国(現在の鹿児島県)の種子島にポルトガル人が漂着した際に、所持していた武器(現存しない)にアルファベットが刻印されていたほか、設計図や機構図などにもアルファベットが多く用いられていたためである[7]。
但し、現存するこれらの図面には「D」が1つたりとも発見できないことから、文字学者のあいだでは「D」は室町時代にはまだ日本に伝わっていなかったと考えられている。この武器はその後、日本全国に瞬く間に広がったが、当然ながらこの際にも「D」は全く広まらなかった。
[編集] 「D」の伝来
史料で確認できる日本最古の「D」は、幕末の1854年3月1日、浦賀沖に来航していた黒船(サスケハナ号)において行われた会食である。この会食は、幕府への開国要求の返事を待っていた、ペリー率いるアメリカ艦隊が、浦賀奉行所の役人10名を船上に招いて行ったものである。
歴史的には日米両国とも互いの出方を窺っていた時期であり、会食もまた緊張のうちに始まった。しかし、給仕のアメリカ人女性が、何も無いところで何故か転倒し、数枚の皿を割ってしまった。このときアメリカ側の誰かが「She's “D”!!」(訳:「ドジっ娘キタ━!!」)と囃したことで、アメリカ側の全員の緊張が一気に解け、これにつられて日本側も(意味がわからないながらも)かなり和んだという。
この後、アメリカ側から先ほどの「She's “D”!!」の意味を、笑い混じりに説明された日本側は、「若き娘の、かやうな振舞ひに萌ゆるは、日本も亜米利加も同じなり。即ち、彼等も我々と同じ人間なるべし」[8]と感じたため、アメリカ人という“異人”に対する不安は大きく打ち消されることになった。これが、僅か1ヵ月後の3月31日の、日米和親条約調印へと繋がっていったのである。
[編集] 現代日本語における「D」
現代の日本語においては、「D」は、「でぃー」または「でー」と読む。
但し、どのような場合に「でぃー」と読み、どのような場合に「でー」と読むのかは、はっきりしていない。例えば、大正製薬の「リポビタンD」は、テレビコマーシャルなどでは「りぽびたんでー」と読まれているが、一般的には「りぽでぃー」という略称で知られている。或いは、上述の「Dドライヴ」なども、地域によって「でぃーどらいぶ」「でーどらいぶ」「でぃーどらいう゛」「でーどらいう゛」などのように様々な方言で読まれており、その読みは一定していない[9]。
本来ならば、このように1つの文字に対して読みが一定しておらず、かつそれに明確な理由が無いと認められる場合には、文科省国語審議会が乗り出して、何らかの手を打とうと画策するのが常である。が、「D」が敵性語で無くなってから60年以上が経っているにも関わらず、国語審議会でこの問題は扱われていない。これは、文科省の見解では、「D」はあくまでも書記素であり音素(phoneme)ではなく、従って「読み」を検討するには値しないとされているためである[10]。他のアルファベットの大半が音素として認められた現在においても、そして「D」が日本の開国において果たした重要な役割をもってしても、「D」はなお音素としては無視されているのだ。
[編集] 「D」の未来
以上のことから、英語においても日本語においても、残念ながら「D」が占める地位はあまり大きくない――いや、むしろ低いと言わざるを得ない。
しかし、一方では、「D」は21世紀の日本において新たな可能性を見出されている。それは統計や格付け(ranking)の世界での活用である。例えば、信頼できるある統計機関によれば、日本はこのように、今後の国際社会においては、日本のイメージを代表する文字として「D」が用いられるようになるだろう。また、Googleにおいては、日本語のページのみを対象にしてさえ、「D」の検索結果は「ゑ」や「ゐ」などの文字の数百倍に達している[11]。
もしも万一、「D」が英語やラテン語などの表舞台から姿を消すようなことがあったとしても、「ゐ」や「ゑ」さえ未だ失われていない日本語において、よもや「D」が失われることは無いだろう。また、日本は今後長期にわたって「D」評価の国家として世界に君臨し続けることとなり、これによって、「D」が国際社会から完全に忘れ去られる危険性はほぼ解消されたと言って良い。
輝かしい未来、とはいかないが、少なくとも日本においては、「D」には安穏な未来が保障されているのである。
[編集] 脚注
- ↑ 若い女奴隷が、大きくて平べったい重い石を、縄で引っ張って運ぶ際に、坂の上で転んだ拍子に誤って縄から手を離してしまい、坂の下にいる数名が犠牲になる、という絵画である。現存しない。
- ↑ セム族(セム語族)系であることは確かであるが、それがユダヤ人であったかどうかについては異説も多く、アンサイクロペディア英語版でも「ユダヤ人(Jews)」と「セム族(Semites)」との語が混濁して用いられている。本記事では便宜上「ユダヤ人」に統一している。
- ↑ ユダヤ人の中でも特にドジっ娘だけが、海老を好んで食べていたことから、[「ドジっ娘」≒「海老」]という意味に転じたとする研究もある。
- ↑ フェニキア文字の大半は、コマーシャル用キャッチコピーや企業ロゴなどの失敗作であったと考えられている。
- ↑ 後世の「Δ」とは異なる文字であるので注意が必要である。なお、アンサイクロペディア英語版では、この書記素は「三角形の形をした三角形」(a triangle shaped triangle)と説明されている。
- ↑ このリバートは、カバラ数秘術(Kabbalah)における神託があったために行われたとの説もあるが、狂信的な妄言であるとして無視されている。
- ↑ 十六代種子島久時『鐵炮記』より[1]。
- ↑ 横浜黒船研究会『日本最初の洋上ディナー』より[2]。
- ↑ 泉こなたの『Dドライヴ/ラヴ』では、作中で明確に「でぃーどらいぶ/らぶ」との読みが示されている(「/」は黙字扱い)。
- ↑ 現行の「中学校学習指導要領」の「第2章第9節 外国語」より[3]。
- ↑ 2008年8月現在、「D」780,000,000件、「ゐ」1,760,000件、「ゑ」1,440,000件。
[編集] 関連項目
| 「あーあ、一体いまやってることは、おとなになって役に立つのかねえ。 しかしなー。 たまには加筆もやらにゃー ゲームもやらにゃー! 加筆…ゲーム… ぜんぶやらにゃー!!」 (Portal:スタブ) |
| この記事は、en:Dから翻訳されたものです。 |
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| こ - え - て - あ - さ - き - ゆ - め - み - し - ゑ - ひ - も - せ - す - ん | |
| 記号: | √ - 。 - 、 -? - ! - * - * - ☆ - ★ - ∞ - @ - 〃 - ♪ - 凸 - 凹 |
| その他: | アンノーン - 倍角文字 - 部首 |
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