AIR (エロゲ)

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DREAM編の一幕より、空に思いを馳せる観鈴ちん。なお、Keyにより「このページでは一部、Key Official HomePageの画像素材を使用しています。また、これらの素材を他へ転載することを禁じます。」と記載することが義務づけられている
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『AIR』(エアー、希:Αιρεια)は、エロゲである。主人公の国崎往人(国崎最高)が半人半神の少女の神尾観鈴と恋に落ちるものの、やがて神々の怒りに触れて千年の呪いによりゴール[1] するまでを描いた叙事詩であり、「DREAM」「SUMMER」「AIR」の3部からなる。

なお、本記事ではもっぱら通説的なエロゲ史観における理解に基づいて、『AIR』の沿革および内容を記述する。エロゲ『AIR』には膨大な写本群が残されており、それらは時代・地域・文化に応じてアクションゲームこの作品のような)、シミュレーションゲームシューティングゲーム、落ち物パズルなどの無数の異伝を派生させたことを物語る。本記事においてこうした異本化の事実に触れていないことが、それらの成立を無視あるいは軽視するものでないことをはじめに強調しておく。

『AIR』の成立史[編集]

メソポタミア――『ギルガメシュ叙事詩』からの出発[編集]

『AIR』の発祥については長く論争があるが、今日では、古代メソポタミアで前2~3千年紀に成立したエロゲ『ギルガメシュ叙事詩』にまでその断片を遡ることができる。この作品については1872年にアッシリアの遺跡で出土し、1876年にジョージ・スミスにより現代英語に翻訳されてから多年の研究が蓄積されており、以来、『ギルガメシュ叙事詩』と『AIR』(特にそのSUMMER編)との類似性については、多くの史家の一致する所となっている。シュメール語第11書板によるこのエロゲの概要は以下のようなものである:

シュメール語版『ギルガメシュ叙事詩』(Ša naqba imuru) のプレイ画面

SUMMER編の原型となった『ギルガメシュ叙事詩』は、ギルガメシュやエンキドゥの人間としての成長や、親子の慈愛が主題として描かれたエロゲであった。同時に、獣のようであったエンキドゥが人間の作法を教えられること、人間の王が杉の森から邪神を退けることは、人類文明の勃興とそれによる自然への支配を寓意する。この当時、人間と自然を対立的に捉える二元論的自然観の萌芽がすでに見られることが特徴である。

なお、『ギルガメシュ叙事詩』=The Epic of Gilgamesh は英語圏での通称であって、研究者の間では正式名称は「Ša naqba imuru」とされており、これが後世に転訛して「SUMMER」となった。また、アニメ版の『AIR IN SUMMER』の綴りのうち重複したMはノイズなので無視すると、これは『AIR IN SUMER』すなわちシュメールにおけるAIRの意となる。

古典ギリシア――「泣きゲー」の勃興[編集]

古典ギリシアという時代[編集]

古典期のギリシアではエジプト、メソポタミアの二大古代文明を受容して華々しい都市文明が開化し、ことに前6世紀初頭から民主政への移行を始めたアテナイでは、市民の文化としてのエロゲが飛躍的な進歩を遂げた。この頃には演目の様式に基づいた「抜きゲー κομοιδια」「泣きゲー τραγοιδια」「鬱ゲー υτυγεια」「キャラゲー χαραγεια」「クソゲー κυσογεια」といった諸分類が確立され、これらの語は喜劇 comedy、悲劇 tragedy などとして現代語に息づいている。

当時アテナイのエロゲライターにとって、年に一度国家を挙げて行われる「大ディオニュシア祭」に参加してエロゲの出来栄えを競いあい、晴れて優勝を得ることが最高の栄誉であった。現存するディオニュソス劇場碑文によると、この大祭における泣きゲーの様式には、三部作構成でなければならない、同時に登場するキャラは最大三人まででなければならない(画面に現れない主人公 πρωταγωνιστης のほか、立ち絵 δευτεραγωνιστης として一人が登場でき、後にもう一人の立ち絵 τριταγωνιστης が認められるようになった)、などの掟が厳格に定められていたようである。

アイスキュロスの登場[編集]

DREAM編の一幕より、空に思いを馳せる観鈴ちん。欠落した頭部と両腕から、失われた知性と技術の寓意が読み取られる

アテナイの三大エロゲライターの一人アイスキュロスがエロゲ『AIR』(希:Αιρεια)を制作したのは、紀元前415年頃の大ディオニュシア祭に出場するためであった。や霊魂のもたらす呪われた運命に人間が対峙し、やがて全てを失い破滅に至る過程が『AIR』の主軸となっている。全編を貫くテーマとして「対となる存在とその別離」が置かれており、登場キャラの深い思慕と苦悩が陶酔的・激情的に描かれたエロゲである。

全編はイアンボス調の三脚韻の三行詩で書かれており、DREAM編 Δρεαμον、SUMMER編 Συμμερος、AIR編 Αιρεια の三部に分けられる。物語の大部分は主人公、ヒロイン、そしてヒロインと対となるサブヒロインの三者の対話によって進行する。全編を通して「3」を意識したこの言わばトリレンマ構造は、大ディオニュシア祭の規則に従った形式であることは当然ながら、アイスキュロス自身が「3」(この数は最小のメルセンヌ素数、最小のフェルマ素数、最小の完全トーティエント数、三番目に小さい自然数にあたる)を聖なる数とみなしていたことと無関係ではないであろう。

DREAM編 Δρεαμον

主人公の往人 Ιυχιτος、往人と対となる存在であるヒロインの観鈴 Μισυξη、観鈴と対となる存在である晴子 `Αρκος がメインキャラとなる。概要は以下の通りである:


SUMMER編 Συμμερος

『ギルガメシュ叙事詩』を範にとり、登場キャラを整理したものである。主人公の柳也 Λυιας、柳也と対となる存在であるヒロインの神奈 Καννη、神奈と対となる存在である裏葉 Υραφια がメインキャラとなる。

AIR編 Αιρεια

SUMMER編で明かされた過去を踏まえて、DREAM編のその後を描写している。概要は以下の通りである:

評価とその後[編集]

アイスキュロスの作風は多分に抽象的・漠然不明確で、しばしばユーザを煙に巻く傾向があり、否定的な評価として著名なものには同時代のアリストパネスによる批判を挙げることができる。しかしながら、アテナイのエロゲオタの間で『AIR』は絶大な人気を博し、一部の痛い信者からは「AIRは文学」とまで評せられた。アテナイの民会は彼の功績を称え「いやっほーぅ!国崎最高ー!」 Ιαπφω Κνισακι Μεγαλοτατος と三嘆した、とトゥキュディデスの『歴史』は記している。以来、『AIR』は泣きゲーを代表する作品の一つとして広く受け入れられてきた。

なお、大ディオニュシア祭の掟には、参加するライターは泣きゲーの3部作に加えてキャラゲーとしてファンディスクを1本制作しなければならない、とする条項があった。アイスキュロスはこの掟についに従わなかったために、大祭の優勝を逃したばかりかエロゲの断筆を余儀なくされ、やがてアテナイを追放されることとなった。エロゲ海を離れたアイスキュロスは、次第にギャルゲへの傾倒を強めてゆく。『AIR』以後にアイスキュロスがエロゲとして唯一制作した『智代アフター』について、先のトゥキュディデスは「正直微妙」と評している。

ヨーロッパ中世――暗黒時代の到来[編集]

〈聖〉の力ないし権威を表現した中世の木版画。往人は〈聖〉に征服されるべき悪しき獣として描かれている。〈聖〉に帰依する佳乃(右)の腕にはバンダナが巻かれている。当時、キリスト教絵画の全ての図像には宗教的な寓意があり、いかにいたる絵のデッサンが狂っていたとしても描き直すことは神意に反するとされ、固く禁じられた

エロゲを含むギリシアの文化は多くローマに継受されたが、いわゆるゲルマン民族の大移動(ゲルマン系諸族の旧ローマ帝国領に対する侵入)をもって、いったん歴史の表舞台から姿を隠すこととなった。中世の始まりである。

中世という時代は、『AIR』を含むエロゲにとって決して恵まれた時期ではなかった。一神教であるキリスト教世界の文脈では、『AIR』を彩る豊穣な神々、人間の悲劇性が語られることは絶え、全ての18禁シーンはの名のもとに徹底的に弾圧された。アイスキュロスのものした筋書きは失われ、さまざまな土着の伝承(例えば、下記に登場する佳乃 Kano とは古ゲルマン民話に登場する魔女であり、現在のハンガリーにあたる地域の一地名に由来する)とともにキリスト教の教義と融合することとなった。それゆえ中世西欧世界では、唯一の神あるいは〈なるもの〉die Heiligkeit への絶対的な帰依が説かれ、それにより正義の救済が実現されるのだと標榜されることとなった。

中世スコラ学の祖であるアベラールの『哲学者、ユダヤ人、キリスト教徒の対話』に従えば、往人 Jücht (Ιυχιτος の転訛)とは本質的に邪悪な盗人であり、魔法 Hexenkunst をよくする佳乃 Kano を誘惑して、これをほしいままにしようとする。神あるいは〈聖なるもの〉は、この邪悪な往人を罰し、永遠の苦役に服させる。さらに〈聖〉は、往人から解放された佳乃に、〈聖〉に帰依し魔法の力を捨て去るよう命じる。佳乃は〈聖〉に忠実に従い、しもべとなって救われる、という筋書きである。

このような「絶対の神への帰依」による変容を余儀なくされた『AIR』は、修道士セラノのトーマスによる賛美歌『怒りの日』に見られるように、中世キリスト教世界において繰り返し語られることとなる。『AIR』の本来あるべき姿が歴史に再び現れるには、およそ千年紀をまたいだルネサンスの時代をまたねばならなかった。

16世紀ルネサンス――転生する『AIR』[編集]

元来「再生」を意味するルネサンスの語を、「古典古代の文化の復興」ないしそれが行われた時代と必ずしも同視しうるかについて、歴史家の見解は一致をみているわけではない。しかし、ルネサンスの時代にエロゲをはじめとする文化・学術がまさに再生し、あるいは古典古代におけるそれを凌駕するほどに、華々しい興隆を遂げたことは紛れもなく事実であろう。

イギリス・ルネサンスという時代[編集]

ルネサンスの源流を生じたのは、古代ローマの文物がよく保存されていた14~15世紀のイタリアであり、イギリスでルネサンスが最盛期を迎えるのは少し遅れて16世紀のエリザベス朝時代である。

生涯独身を貫き、もっぱら二次元に愛人を囲ったエリザベス1世は、その「腐女王」 the Rotten Queen の異称からもうかがえるように、無数のホモゲーを嗜んだ腐女子であった。エロゲの流通にも寛容であったエリザベス1世の治世は、イギリス・ルネサンスにおけるエロゲの絶頂期となる。当時、ショアディッチのとらのあな、ロンドンのメッセサンオーといった公設のエロゲ屋が各地に立ち並び、あらゆるジャンルの性の悦びが王侯貴族から庶民にまで提供された。

このような時代の息吹の中で、1564年、ストラットフォード・アポン・エイヴォンに一人の天才エロゲライターが生を享けた。ウィリアム・シェイクスピアである。

シェイクスピアの制作姿勢[編集]

美凪シナリオのHシーン。美凪をテゴメにした往人を描いたもの。こぼれる豊かな双丘もさることながら、美凪の真の魅力はその美尻にあるとされ、当時の尻フェチを大いに悦ばせた。尻のCGは現在大英博物館の地下に厳重に保管されている

シェイクスピアは、生涯ストラットフォード・アポン・エイヴォンロンドン以外の地に住むことのなかった、いわゆるひきこもりであった。シェイクスピアのエロゲにはルネサンス期のイタリアを舞台にしたものも多く、また古典ギリシア・ローマのエロゲの二次創作も積極的に行ったが、それらは必ずしも資料の緻密な渉猟に基づいたものではない(大学に進学しなかったシェイクスピアは、ごく初歩のラテン語の素養しか備えていなかった)。シェイクスピアは、あたかもゲーム中の観鈴ちんがそうであるように、想像の翼を空に遊ばせ、見ることのかなわぬ豊穣な古代に思いを馳せ、うろ覚えに聞いたギリシアの古典とカトリックの説教の他にはネットで調べた知識と自身の妄想とをほとんど唯一の源泉として、『AIR』を新しく創作したのである。

このようなシェイクスピアはクロスオーバー物の二次創作をこよなく愛していた。公式キャラもオリキャラも、ギリシアも古ゲルマンもルネサンスイタリアも分け隔てなく、一個の世界観に渾然一体となって登場するのである。『AIR』では、シェイクスピア自身の作品『テンペスト』『ロミオとジュリエット』から、それぞれ美凪 Miranda とみちる Mercutio に登場の栄誉が与えられた(そして、二人は姉妹という設定が加えられた)[2]。こうして、DREAM編は観鈴、佳乃、美凪の3ヒロインにシナリオが分岐するという現在広く知られる構造が、歴史上ついに確立されることとなった。

作品とその評価[編集]

シェイクスピアによる翻案は、一歩間違えれば中二病的なきわめて危ういものであったと言える。この改作を破綻なく完成させたのは、ひとりシェイクスピアの天才がそうさせたと言う外はない。『AIR』は、全編を貫く「対となる存在」のテーマに、「佳乃に対する聖」そして「美凪に対するみちる」のシナリオを統合した。こうしてDREAM編のヒロイン数は3人となり、これは奇しくも聖なる数「3」と一致するものである。

総計1.69MBにわたるテキストの全ては三行詩を一連とするソネットで書かれており、形式美と破格との絶妙な融合が図られている。それは次に示す、観鈴ちんがセミの入ったベーコンエッグを往人にふるまうシーンの3行を見るに明らかである:

Dost thou dread lest those things haunt: deceas'd Cicadae?
O Jukito no, abandon thy bind; if thou go and ne'er mind,
Thou wilt find no single fragm'nt of those Cicadae.
(訳)セミっぽくない?
なんでもない、
なんでもないよー。

シェイクスピアは、古典古代、中世、ルネサンスという三つの時代を一堂に会せしめるグランドデザインを構築し、史上最も洗練されたエロゲとしての『AIR』を完成させたとして、ロンドンのエロゲオタの間で絶大な人気を博し、一部の痛い信者からは「AIRは文学」とまで評せられた。以降もスペンサーポープカーライル長峰君といった東西のエロゲライターおよび評論家から最大級の賛辞を浴び続けている。今日、『AIR』という作品がギリシア語 Αιρεια ではなく「空気」を意味する英語 "AIR" の名で呼ばれているのは、ひとりシェイクスピアの功績によると言ってよいであろう。

なお、シェイクスピアと同時代の人物として、イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイがいることは興味深い(シェイクスピアとガリレオは同じ1564年に誕生している)。シェイクスピア作品の登場キャラが今日天王星衛星名として使われていることからもわかるように、『AIR』の記述、特に美凪シナリオのそれには天文学が駆使されている。宵の明星が一番星として現れるのは夕暮れ時である、が沈むと夜になる、が丸い、などの描写は当時の天文学の知見としては最先端のものであった。

『AIR』の日本における受容[編集]

伝来前史[編集]

『AIR』の日本への本格的な伝来は明治期にもたらされたが、それ以前にも全く伝えられなかったわけではない。

前4世紀のアレクサンドロス大王の東征により、『AIR』を含む西洋世界のエロゲが中東から現在のインドにかけて伝播した。そのうちの一部は大乗仏教に吸収され、およそ1千年紀をかけて飛鳥時代の仏教伝来とともに漢訳仏典として日本に紹介されている。しかし、密教的な性格から庶民に広く伝わることはなく、説話として主に高野山の周辺に伝承されているにすぎない。

また、戦国時代には、宣教師とともにキリスト教の説教として佳乃シナリオの一部が伝来したものの、江戸時代徳川家光以降の宗教政策により激しく弾圧され、後世にはほとんど残されていない。かつてのキリシタン神社の例祭にわずかにその残滓をとどめるのみである。

『AIR』受容の本格化――明治期の胎動[編集]

坪内逍遥の貢献[編集]

『AIR』が本来のエロゲとして日本に紹介され、本格的な受容をみるのは明治時代をまたねばならない。

歴史上初めてシェイクスピア版『AIR』の日本語化パッチの開発に着手したのは、『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』のチャールズ・ワーグマン特派員とされている。しかし、明治7年に発表されたそれはきわめて断片的な訳であるばかりか、バス代がないと嘆く往人の台詞を「アリマス、アリマセン、アレワナンデスカ」と訳し、共通バッドEDで別れを告げる観鈴の台詞を「アナタサヨナラ、ソシテテポンポン」とする何とも珍妙な翻訳であった。

以降、日本人の作としては仮名垣魯文外山丶山などによる改造パッチが次々に公開されたが、いずれも抄訳にとどまっており、全編の日本語化バージョンの開発に初めて成功したのは戯作者の坪内逍遥である。

坪内はその主著『小説神髄』で、江戸時代の数百年の間に定型化されすぎた勧善懲悪モデルを努めて排除し、人間的な感情の発露を描くことが重要であるとの写実主義を提唱した。また言文一致運動の推進者の一人であった坪内は、訳文に文語体ではなく口語体を採用すべきことを主張した。こうした思想を具体化するものとして、坪内が心血を注いだのが『AIR』の日本語化パッチである。以下に、その一節を引く:

觀鈴 や、二次函數、お前迄が! 物を購ふの爲にもならぬ奴儕よ、足算引算程にも! 後生大事に慰み弄ずるなぞ、象牙の塔の石頭丈が落でせう。

往人 惟ふに學問とは存ふの方途よ、存ふが爲の思案の仕業よ。抑七科の學百家の説、地上に諸哲の存したる限り、如何な檢へも何等かの益を供せざるは無し。氣附かぬ裡に用處を得るが定りぢや。

こうして明治期に、今日プレイされている形に最も近い『AIR』が誕生するに至ったのである。時代は文明開化が喧伝されザンギリ頭がもてはやされた頃、新世紀の洋々たる前途を感じさせるこの坪内訳は、日本のエロゲオタの間で絶大な人気を博し、一部の痛い信者からは「AIRは文学」とまで評せられた。現在、坪内の死後70年以上が経過して著作権が消滅したこともあり、坪内訳はニンテンドーDS『DS文学全集』(任天堂)への採録が検討されている。

なお、坪内は翻訳の際、キャラ名の日本語表記(例: Ιυχιτος → 「国崎往人」、Μισυξη → 「神尾観鈴」)を初めて考案するなど、日本語ユーザに対するきめ細やかな配慮を払い、これも日本における『AIR』の普及に大きく貢献することになった。本記事におけるキャラ名の日本語表記にはもっぱら坪内訳を採用している。

『AIR』日本語化のその後[編集]

坪内パッチは明治・大正から戦中の空白期を超え昭和中期まで長く用いられたものの、上の引用に見られるように「仮名遣 2.x」上でコードが書かれていたために、現在の「仮名遣 3.2」環境との互換性がなかった。そこで、坪内による開発が打ち切られた以後も、アップデート版の開発が福田恆存小津次郎といったネット上の有志に順次引き継がれ、現在ではハンドルネーム「池永保夫」(ちえいほふ)こと小田島雄志のver4.0パッチが事実上の標準となっている。このバージョンは動作がきわめて軽快であるが、作者の趣味により多数混入されているジョークコードの弊害でしばしばフリーズする欠点がある。このため、最近配布された松岡和子のバージョンのほうが動作が安定するとの評もある。

『AIR』翻案の現代的様相[編集]

『AIR』はエロゲとしての日本語化のみならず無数の翻案・改作を生み出し、コミック版(桂遊生丸、角川書店)、小説版(著者多数、ジャイブ)、実写映画版(黒澤明監督、東宝)、舞台版(多数あるが蜷川幸雄作のものが著名)など多岐にわたる。とりわけ特筆すべきは、2つの異なる方向性で制作された映像化作品、『AIR劇場版』テレビアニメ版『AIR』であるとされる。

劇場版とその評価[編集]

現代に入っての新たな試みとして、古典ギリシアの『Αιρεια』をもとにした翻案が行われるようになった。この意味で代表的な作品とされるのが出崎統によるアニメ映画『AIR劇場版』である。これは基本的にはアイスキュロス作の『Αιρεια』をモチーフとしつつ(したがって、佳乃や美凪はモブ扱いでしか登場しない)舞台を日本に引き直したものであるが、出崎による独自の解釈をふんだんに盛り込み、原作とまったく異なる筋の脚本を新たに書き起こした作品となっている。

その映像手法はきわめて独特かつ前衛的で、「ゲロが光る」「和太鼓を叩くシーンが何の脈絡もなく挿入される」「三回パン」などの唐突・滑稽な演出が大きな反響を呼んだ。出崎の映像が含意する所を読み取ることは、サルバドール・ダリの『アンダルシアの犬』を解釈するのと同じく容易な業ではないが、研究者の間ではおおむね、ギリシア古喜劇のパントミモスにおけるそれのような即興的なおかしみを意図したものであろう、との見解で基本的に合意されているかどうかはわからない。

テレビアニメ『AIR』の成立[編集]

第2話の一幕より、天界から火を盗み出す往人。頭上に輝く火の光は人類文明の寓意である。右手にはヘルメスの杖が描かれている

『劇場版AIR』のような古典古代と新解釈とを融合する先鋭的な試みは、20世紀後期におけるコンセプチュアル・アートの勃興を背景としたものではあったが、観衆の理解を得ることは困難であり、その意味では正面から成功したとは評しがたかった。そこで、坪内逍遥以来の日本において伝統的な『AIR』像の映像化を試みたものが、京都アニメーションによるテレビアニメ版『AIR』である。

テレビアニメ版『AIR』は、石原立也監督、志茂文彦脚本により京都アニメーションで制作され、BS-iで2005年1月7日から3月25日および同年8月28日から9月4日にわたり放映されたアニメ深夜アニメ)である。12話からなる『AIR』と、2話からなる『AIR IN SUMMER』との2部で構成されており、各話の題名は、仮名表記のあとにチルダ(ダイアクリティカルマークの一種。ティルデあるいは波ダッシュともいう)を続け、英語の訳語を記し、さらにチルダで結ぶという形式で、体裁上の統一がとられている。「かぜ~breeze~」のようにである。

このテレビアニメ版『AIR』は、日本において標準的なシェイクスピア版『AIR』の小田島雄志訳を原典としており、エロシーンを削除し話数を縮減するなど、日本におけるテレビ放映に適した作品となっている。と同時に、(特に最終話において顕著なように)現代ミュージカルを髣髴させる豪奢な演出手法を運用しつつ、『AIR』の精神をきわめて忠実に映像化した傑作と評されたかどうかは不明だが、田村ゆかり(ゆかりん)の多彩な「にょわ!」「わぷぷっ」の演技とあいまってカルト的な人気を博したと伝えられている。

テレビ埼玉(テレ玉)でも2008年夏、地上波では初放送されたが、この事実を頭の固い百科事典に書き込むと超額縁であったことに不満なウィキペディアンにより抹消されてしまう。実はそれより先に我孫子市の一部で放送されていたからかもしれないが。

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  1. ^ ゴール γοαλος は日本語の「死」に近い概念である(実際「死」と訳されることも少なくない)が、原文では単に死を意味するタナトス θανατος と意図的に区別されている。その含意については解釈が分かれており、代表的なものに「死ぬよ説」「死んだ後生き返るよ説」「エンディングの少年少女が真の姿だよ説」などがあるが、いまだ学説上一致をみていない。研究者の間ではカナ書きの「ゴール」の表記を用いるのが普通である。
  2. ^ テレビアニメ『AIR』の第2話において、本来『Kanon』の登場人物であるはずのあゆ、名雪、真琴が登場するのは、このようなあくなきクロスオーバー精神へのオマージュと言えよう。

関連項目[編集]