1月2日

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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1月2日(いちがつふつか)とは、日本全国を巻き込む騒乱「正月」のまっただ中にして、様々な事情により1月1日と統合することが望まれている日(後述)。

1月2日存在意義の謎[編集]

さて、何気なくこのページを開いてしまったあなた。ここでアンサイクロペディアから一つ問題がある。それはそのものずばり、これである。

この日は何のために存在しているのだろう?


そんな突拍子もないことは考えたことも無かった、というのが大抵の方の反応であろう。だがここはアンサイクロペディアである。どこかの百科事典とは違って単なる事実の列挙に留まらず、その事実に基づいた様々な考察に紙面を割くことが許されているウェブサイトなのである。ここはひとつ、1月2日の存在意義について真面目に考えてみよう。

風習の観点[編集]

さて、あなたが1月2日の存在意義を考えてみたとして、まず最初に思いつくのは何であろう。1月1日という新年の最初の日の翌日にして、三が日が終わる前日の1月2日である。

あなたが1年以上日本に暮らしている人なら、大抵は「正月があるから必要だ」という理由が浮かぶだろう。そう、正月とは日本人にとって殆ど唯一とも言える長期のバカンスであり、こんな時には働きたくないというのが本音だろう(例外としてゴールデンウィークお盆があるが、重要性でいえばこれら二つは正月に見劣りする)。学生にとってもクリスマスと並ぶ冬休みの真骨頂であり、特に未成年ならばお年玉を巡って毎年駆け引きが繰り広げられる、重要な日である。1月2日はそんな日だから重要だ、と言われたらこれらの論調は十分に正しいように思えてしまう。

さらにこんな議論があってもいいだろう。曰く「1月2日は箱根駅伝の往路の日。1月2日が無かったらあの選手団は箱根に行けないではないか」「1月2日は一般参賀の日だ。うちの家は2日に皇居に行って天皇陛下の姿を拝まなくては新年が始まらない」と。そう、確かにそれらは正しい。正しいのだが、でもちょっと待って欲しい。それは本当に2日に行う必要性があるものなのか?

箱根駅伝は東京大手町から箱根までを往復するマラソンの競技である。1月2・3日にマラソンを行う理由は「使用するコースの交通量が一年間で一番少ないから」とされている[1]が、それはかなり怪しいと言わざるを得ない。そもそも復路が開催される3日になれば普通に営業している店も多く、それを支える物流や客の往来も普段より多少すくない程度なのが現状であろう。このように考えていくと、箱根駅伝往路を1月2日にやる意味はあまりない。一般参賀も似たようなものである。1月1日に一般参賀をやらないのは1日が四方拝やら歳旦祭やら、さらには総理大臣・衆参議長・最高裁長官に対する祝儀、宮内庁職員・各国外交使節団の祝賀会といった行事がてんこ盛りなせいで忙しいためであり、天皇にお時間があるなら1日に一般参賀をしているだろう。現状、あくまで1月1日にやれることを都合上2日に先延ばししてやっているだけなのである。そう考えると2日の存在意義というのは急速に怪しくなってくる。

前述の正月の件でもそれは同じである。お年玉貰うだとか、親戚宅でのんびりするなんてことは1月1日にやることと同じである。1月2日は、1月1日という24時間で終わらなかったことを先延ばししてやる『1月1日後半戦』『1月1日延長戦』といった性格を帯びている。このように考えてみると1月2日は意味がない日といえるだろう。

記念日の観点[編集]

そんなことを言っても、にわかには信じられないという方が多いのは筆者も十分に承知している。では別の観点から考えてみよう。この日は何かの記念日になっているのか、という観点である。

近年、記念日制定の気運が全国で高まり一種のムーブメントとして定着しつつある。中途半端な日付であっても「よい風呂の日(4月26日)」や「石油機器点検の日(10月12日)」など数々の記念日が設定されており、よく分からないところでよく分からない団体がよく分からないイベントを勝手に開催していたりするものである。また海外でもどこかの国の独立記念日だったりとか、宗教上重要な日だったりすることは多い。もし1月2日がそのような「~~の日」に選ばれているなら、1月2日は十分に存在意義がある日だと言えるだろう。

結果から言おう。1月2日を記念する事柄は一つもない日本記念日協会のHPに行って、「1月2日」と検索してみると良い。該当する記念日は存在しない。また、世界中どこを見渡しても1月2日を「~~国独立記念日」「~~戦争終戦記念日」と祝う国はない。あのウィキペディアの1月2日の項目にも、前項で掲げた「1月1日でやれることを時間の都合上2日にやっている行事」以外に特に記述はない。

「でも記念日がないとか、そんなことよくあることじゃないの」と疑うあなた。他の日にはちゃんと記念日というものがある。試しに前後の1月1日と3日を挙げてみよう。

1月1日
1月3日

筆者はここで「元始祭(日本の宮中行事)」を挙げた。これを見て「全国の神社の祭りで1月2日にやってるのはないの?」という疑問が浮かんだ方もいらっしゃるだろう。これにも答えよう、ない、と。全国の神社は初詣で忙しい。祭りや例大祭を正月にやるなどというのは、まさに盆と正月がいっぺんに来たような大騒ぎになること必至である。そんな神社は日本には存在しない。

記念日もない、どこかで祭りや例大祭をやっている訳でもない、国際的に見ても何の日でもない。やはり1月2日に存在意義はないようである。

海外との差異の観点[編集]

ではここで更に視点を広げてみよう。海外と日本の関係性という点から、1月2日に存在意義を見いだせるのであろうか。

本記事では何回も取り上げている通り、この時期は正月真っ只中である。…日本においては。そう、当たり前ではあるが正月は日本独特の風習であり海外にそんな習慣はない。1月1日だけ休んで、1月2日から仕事始めというのが定着している(1日が日曜の場合、2日をObservedとして代休にすることはある)。この違いから悲鳴を上げることになるのが、外資系企業や海外に営業所を持つ日本企業である。外資は本社が海外なので正月に休んでいる訳にはいかない。海外にある日本企業の営業所も大抵は現地式でやっているため、通常どおりに営業しており当然メールや書類も普通に送られてくる。このグローバリゼーションが進む現代社会において、まさに日本人だけが勝手に休んでいるのである。

海外では1月2日は仕事始めとして重要な役割を果たしている。だが日本はあくまで1月1日の延長線として悠々自適に休んでいる。この現状を鑑みると、1月2日は1月1日と統合した方が良さそうである。つまり、1月1日は海外でもNew year's dayとして休んでいる。外人も2日は休みたいであろう。また日本人は実際に2日も休んでいる。それならば1月2日も1月1日として扱い、48時間で1日という超法規的措置を取れば、外人も1月2日は1月1日の後半24時間として休めるし、日本人も国際社会に大手を振って休めるというわけである。

またしても1月2日の存在意義がなくなってしまった。もはやこの日に存在意義などないのだろうか?

このページの存在意義の観点[編集]

さらに視点を広げよう。本記事とあなたという、メタフィクショナルな視点における考察である。

本記事をここで今まさに読んでいるあなたは、どこからこのページにアクセスしたか覚えていらっしゃるだろうか。最近の更新か、カレンダーのリンク、またはカテゴリー記事から飛んできたという方もいらっしゃるだろう。また、どこか他の通常空間のページから青リンクを踏んでアクセスしたという方も(かなり少数派だろうが)存在するだろう。しかし、これは居ないだろうというタイプのアクセス方法がある。それは自発的に「1月2日」と検索してこのページを表示させるアクセス方法である。

つまり、この記事を「自発的に見てみよう」と考え、検索してアクセスする人はほぼ皆無なのである。あまりにも特徴がなく目立たない故に、このページを読むのは青リンクを踏んで飛んできたという方しかいないのは容易に想像できる。そんな記事、ぞんな日に何の存在意義があるのだろう。これが逆説的に1月2日が意味のない、存在意義のない日であることの証左となる。あなたは検索ボックスを使わずに青リンクを踏んでこのページにアクセスしたことによって、1月2日が存在意義のない日であることを自ら証明してしまったのである。

結論[編集]

1月2日に存在意義があるか、という問題を巡っていくつかの観点から考証を行なったが、その結果は全て「存在意義はない」というものであった。1月1日と統合した方が良い、という結論まで出たものもあった。

しかし、そもそもなぜアンサイクロペディアはあなたにこんな質問をしたのか考えてみると良い。アンサイクロペディアとして無駄な文章をあなたに読ませるため?それとも必要以上にバイト数を伸ばすためだろうか?無論それもあるが、もっと簡潔な答えがある。それはこの事柄「1月2日」にアイデンティティがないからだ。アンサイクロペディアも百科事典という体裁を採る以上、この項目「1月2日」がどのように他の事柄と異なり、なぜ1月2日が1月2日であって1月1日でないのか説明する義務を負っている。だが、「1月2日」にはそれがない。どのようにこの事柄が他の事柄と異なるのか説明できない以上、執筆者の思考と同じ手順を読者にも辿って貰うということがどうしても必要になったのだ。だからアンサイクロペディアはあなたに質問をした。そしてそれに対する考察を延々と書き並べ、あなたに読んでもらったのである。

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「1月2日」の項目を執筆しています。

ちなみに、ウィキペディアの方は読んでいて眠くなるほどつまらない記事となっている。まず「歴史上のできごと」が並び、その次に「自称有名人たちの誕生日と忌日の一覧」、最後にオタクどもが自己満足を得るためだけに執筆した「フィクション上の出来事の一覧」が羅列されている、まさにテンプレ通りの記事である。はっきり言って利用価値は皆無であり、誰がこんな記事を読もうという気になるのだろうか。それに対しアンサイクロペディアは百科事典の体裁になるべく沿うべく1月2日の存在意義・アイデンティティを問うという真摯な態度で執筆されている。ウィキペディアにこんな記事を投稿したらあっと言う間に「Template:独自研究」が貼られ、「ほかの日づけ記事の体裁から大きく逸れており不適切」という理由で大幅に改稿されるか差し戻されてしまうだろう。これがまさにアンサイクロペディアとウィキペディアの違いなのだ。アンサイクロペディア万歳、ひよこ陛下万歳!!

そして最後にもう一度、本記事の結論を掲げよう。1月2日の存在意義は、ない。

関連事項[編集]