黒田官兵衛

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黒田 官兵衛(くろだ かんべえ 天文15年11月29日(1546年12月22日) - 慶長9年3月20日(1604年4月19日))は戦国時代に活躍した変人。


人物[編集]

  • 軍師としての甚だしい活躍について「ただの成り行きであり、子供騙しの座興の延長線上に過ぎない」と語っている。事実彼の戦術、謀略の数々は子供の悪戯やドッキリなどにヒントを得たものが多い。
  • 同時代において比類するものなしと謳われた生粋のマゾヒストとして有名であり、荒木村重に捕らわれ1年近くに渡り牢内に幽閉されて拷問され快感を感じていたためそのマゾヒズムが完全に覚醒したと言われる。拷問のために足腰が不自由になってしまった事にさえ気付かなかったのだから相当のマゾヒストである。荒木村重に対しては自らを陥れた憎悪よりもマゾヒズムを精練させてくれた感謝の念のほうが強く、恩返しのため後に流浪の身となった村重を茶人として推挙することを秀吉に進言した。
  • なお荒木村重の城から脱走する折、官兵衛は自分の垢から自らのミイラに模したマネキンを作り、それを牢内に残していった。これを見た村重は官兵衛が餓死したものと勘違いし追手を遣わさなかった。しかし村重はこの官兵衛のミイラのマネキンがあまりに美しいフォルムであったためすっかり気に入ってしまい、晩年までダッチワイフとして使用していた。
  • 鳥取城を兵糧攻めした際、降伏してきた城兵のやせ衰えた姿を興奮しながらスケッチしていた。また見事に武士として切腹した城主吉川経家に感服し、その首級のしゃれこうべに厚化粧を施して大事に保管していた。
  • 秀吉は官兵衛の器量を恐れてさほどの所領を与えず、遠い九州の地に追いやったと言われているが、実際はその変人気質に嫌気が差したからとも言われている。
  • 竹中半兵衛とは「官兵衛→半兵衛→秀吉」と言う一方通行の恋愛関係だったと言われている。半兵衛の訃報を聞きつけた官兵衛は慟哭し、以降彼の遺影をオカズに自慰行為をしていた。特に半兵衛の命日の日には毎年通常の3倍のスピードで半兵衛が逝去した数え年である34回もの自慰を行っていたため、官兵衛の部屋がティッシュで溢れ帰り近衆たちはその後始末に苦労させられた。
  • 童貞を捨てるために通った風俗店梅毒に感染してしまい、これがトラウマとなって以降女性嫌いになった。同時に同性愛に目覚め、播磨の大名別所長治の裸体を盗撮するべく三木城の厠や風呂に忍び込んでいた。
  • マリア像おっぱいを揉みたい、そして自分も十字架に磔にされたいと言う理由でキリスト教に入信。官兵衛は自ら製作した十字架に磔になり、剛力で知られる家臣後藤又兵衛にその十字架を時計回りにグルグルと回してもらい悦楽に浸っていた。しかし回しすぎて貧血に陥った上目が回りすぎて小一時間ほど嘔吐が止まらなかったと言う。ちなみに息子の黒田長政がこの一軒を耳にし、「又兵衛が父を虐待した」と誤解して又兵衛と仲違いを生ずる原因になってしまった。なお後年、官兵衛は飽きちゃったと言う理由であっさりと棄教している。
  • 軍資金に困った時、密に秀吉に催眠術をかけて猿回しをさせおひねりを稼いでいた。
  • 秀吉におしゃぶりをしゃぶらせたいという願望から、猿轡を開発。しかし試しに自分が加えてみたところ病み付きになってしまった。官兵衛は息子長政や母里太兵衛、後藤又兵衛らの家臣にも猿轡の装着を強要し、SMプレイを楽しんでいた。
  • 宮藤官九郎がクドカンと呼ばれるのに対して、彼はクロカンと呼ばれる。
  • 数多くの逸話から「戦国のKY」とも呼ばれる。そもそもKYは、とある宣教師カール・ルイスが「黒田さんちのカンベー超ムカつくんだけど」と言いたいけれど言えない状態だったために彼の本名クロダーノ・ヨッシタッカーのイニシャルを取りKYとしたともが、そのまま女子高生に伝わったとも言われている。
  • 2014年にNHK大河ドラマの主人公になることが決まった。ここに書いた逸話はもちろんなかったことにされるだろう。
  • 本人曰く戦国武将であると同時に喜劇俳優でもあるらしい。
  • 得意技は、舌を出して相手を小ばかにすること。
  • 竹中半兵衛と共に秀吉に様々な悪徳を吹き込んで、後の千利休切腹や豊臣秀次粛清など、秀吉の暗黒化を促したのではないかとされる黒幕の一人である。

生涯[編集]

播州[編集]

クロカンの父親黒田職隆は、播磨の小豪族小寺政職とコンビを組み、喜劇俳優として活動していた。クロカンも幼少期からパントマイムや猿回しなどをする。弱小勢力であった小寺氏だが、ドサ回りにより稼いだ金で軍資金を蓄え、播磨でも有数の有力豪族となる。だがクロカンが近隣の別所長治にストーカー行為を繰り返していたことで、小寺家は別所家から敵対勢力と見做され猛攻撃に晒される。主小寺政職は原因を作った黒田親子を追放し、別所氏と和睦する。

筑前[編集]

とかするうちに九州を訪れることがあった。そこで食べた博多らーめんに魅了されしまう。博多らーめんの味が忘れられず、主君のを動かして筑前付近に左遷させてもらうように工作した。念願かない筑前に住まうことになったが、晩年は狂ったように博多らーめんをたべまくり、それをいさめようとした部下をしかりつけることが多かった。

Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
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関連項目[編集]

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