鹿島鉄道線

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「鹿島鉄道線」の項目を執筆しています。
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鹿島鉄道線 (かしまてつどうせん) とは、はじめに言っておくが廃線である。(この記事を見てまだ存在すると思い込まないでね。一部はつくばエクスプレスに譲渡)。当初は鹿島神宮へ神を信じる者たちを

金ヅルにして

輸送するために敷設されたが(その割には路線は鹿島神宮までは届いていなかった)、末期には高校生、お年寄り、または鉄道教に利用されるだけの鉄道になっていた。廃止後は、石岡~常陸小川間の線路が空港アクセスを担うつくばエクスプレスに引き継がれた。また、乗り入れの筑波急行を除き走っている車両の車歴がとんでもなく古い。古いのにノリで改造しまくった車両が途中でエンストしたり、床が抜けたり、コンプレッサーが爆発したり、屋根が吹っ飛んだりしてそりゃーもうカオスな状態だった。ドリフトで有名だった。

ウサギさんが乗車中の代行バス

路線データ[編集]

  • 路線距離:26.9km
  • 軌間:1067mm
  • 全線非電化単線
  • 駅数:17駅

黒歴史[編集]

  • 1924年(大正11年):石岡~HITACH小川間が鹿島参宮鉄道の数々の思惑によって開通。
  • 1926年(大正13年):HITACHI小川~浜間を沿線の住民の土地を中国みたいに無理やり立ち退かせて開通。
  • 1928年(昭和3年):浜~玉造町間のわずか1.4km開通。なんでこんなにちょこちょこ開通するんだ。
  • 1929年(昭和4年):玉造町~鉾田間開通 全線開通おめでとう。
  • 1937年(昭和12年):丘蒸気の機関士たちが煙を吸いすぎて死者が多数出た。生き延びた猛者たちが「このクソ鉄道、俺らを殺す気かこのヤロー」と言って所有する車両を核爆弾で破壊。それによりディーゼル車を導入。
  • 1944年(昭和19年):大人の事情により龍崎鉄道を買収。
  • 1959年(昭和34年):京成電鉄グループにはいる。しかし京成パンダが列車に乱入し、運行に支障が出たため、乗車できるのは人のみにした。
  • 1965年(昭和40年):関東鉄道とはこの時からの腐れ縁である。この鉄道会社はいらない路線を切り捨てたり、ちょっと買収してみたり、バスの収入の方が明らかに多かったり、名前の割には関東のうち2県しか通っていないなど、いろいろ問題がある会社である。
  • 1979年(昭和54年):鹿島鉄道になる。談合やってそうな某建設業者とは関係ない。
  • 1987年(昭和62年):人間失格者多数→人件費高騰。そしてとうとうワンマン運転開始。
  • 1989年(昭和64年):KR500という初の自社発注の車両(超高性能次世代高速エンジン搭載、インテル入ってる)を投入。おめでとう。そんなところにカネ使うから…
  • 1994年(昭和69年):ATS(A-嗚呼、T-タイタニックが、S-沈んだ。)を設置。
  • 2000年(昭和75年):鉾田駅が関東のたいやき屋がある駅百選に認定。
  • 2002年(昭和77年):航空自衛隊飛行機の燃料をから抽出することに決定したため、石油が必要なくなり、石油貨物営業廃止。
  • 2005年(昭和80年):首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス秋葉原駅つくば駅間部分的に開通。
  • 2007年(昭和82年):乗客が減少を続けて、ヒマになったため、運転士たちがドリフトをやり始め、それに便乗した鉄道教 も乱入し、第一次ドリフト戦争勃発。一般の方からもトレインサーフィンやらなんやらでエクストリームスポーツの聖地と化した。しかしついには運輸安全委員会の皆様にバレて、酉日本の某路線の二の舞にならないように粛清され、親会社の関東鉄道にも「あんな不良鉄道なんかウチの子じゃないわ」といわれたので、4月1日旅客も廃止。だが、密かに電化され、同日全通した筑波急行に、石岡駅~常陸小川駅間が引き継がれた。尚、鉾田市には代行バスと鹿島海べり鉄道とっぷ・さんて大洋の送迎バスが来ているのでご心配なく。

路線[編集]

路線のほとんどが国道355号線と並走していた。そこでは車とレースでデットヒートを繰り広げていた。時刻表上では、全線を50分でのんびりコトコト走っているように見えるが、本当は北越急行よりもヤバい時速190km/hを出して、マニアの間では、茨城の鈴鹿サーキットとまことしやかに呼ばれていたのだ。 また、小川高校下~浜間では霞ケ浦の近くを走って、昔は下手したら水しぶきがかかるようなものだった。末期には堤防があったとはいえすごすぎる。 霞ケ浦の向こうには筑波山っぽい山が見えて何ともいい風景だったが、レースに必死でそれどころじゃあない。 途中には京都っぽい園部川と、特に何でもない巴川を渡る鉄橋があった。 鹿島鉄道廃止後は、筑波急行が空港いばらき駅までのデットヒートを繰り広げているのは周知の通り。

東海道線富士駅から直線距離で約100里の地点にある百里基地が沿線の近くにある。普段は基地は冬眠しているようだ。

[編集]

  • 石岡駅:本社があり、常磐線との接続駅。フレッシュひたちに乗ったあと鹿島鉄道に乗ると、ドラえもんなしで昭和に戻れた。
  • 石岡南台駅:昭和64年6月16日という中途半端な日に開業。なんなんだ。
  • 東田中駅:苗字みたいだ。
  • 玉里駅:鉄子の旅で横見氏が「たまりませんなー」と言っていた駅。ここを終着、始発とする列車もある駅なのに、待合室の椅子が2つだけとはなんぞや。
  • 新高浜駅:新高浜とはいっても常磐線高浜駅とはかなり遠い。
  • 四箇村駅:鹿が東大寺からワープしてくる。そのため死傷者が多数でた。そのため、鹿島鉄道は鹿をグモるという強行手段に出た。しかし教育上よろしくないので、陰陽師的な人に頼んで鹿に呪いをかけて来ない様にしたようだ。
  • HITACHI小川駅:某家電会との関係は調査中。現在は筑波急行の停車駅。
  • 小川高校下:高校が近くにある。ちなみにこの高校は廃校が決まった。
  • 桃浦:駅名の由来① ある日おばあさんが川へ洗濯に行くと大きな桃が流れてきました。買い物袋を持参していたので入れて持って帰っておいしく頂きました。
  • 八木蒔:駅名の由来② おばあさんは、桃を食べ終わった後、おじいさんに頼んで種を蒔きに言ってもらいました。その木には、8本の枝ができました。おじいさんもおばあさんも亡くなり、その木が枯れた数百年後、種を蒔いた場所に駅ができました。おわり
  • 浜:霞ケ浦のすぐ近くでビーチはないが…特に何もない。よく釣りバカの方が利用していた。
  • 玉造町:この駅にある地図の常磐線の所には「国鉄線」と書いてある。これは、日本がまだ表面上だけがJRで事実上は国鉄であることを示している。つまり、JR○○周年というのは所詮、口先だけなのだ。
  • 榎本:「えのもとさんち前」ではない。読み方は「えのきもと」
  • 借宿前:名前はエキネに最適だ。その影響でエキネに大勢来たのだが、待合室はショボくて扉もないコンクリの塊だったので、冬に来た人はことごとく凍死したものだ。。
    駅名看板
  • 巴川:「驛川巴」と駅名にあった。つまりこの駅は、未だに20世紀初期のままなので、無論ここの駅周辺も、豆腐屋に鍋を持っていったり、ラジオ放送が始まったばっかりだったり、タクシーの代わりに人力車が来るくらい昔のままである。ちなみに、駅名票に拠ると、開業当時の社名は「みちてつしましか」だったらしい(画像参照)。
    巴川駅周辺
  • 坂戸:東武東上線・越生線乗り換え駅。
  • 鉾田:関東のたいやき屋がある駅百選認定駅で、霞ケ浦にて泳ぐたいやきくんがいた(鉄道が潰れたあともたい焼き屋は駅近くの建物にて健在)。時々太平洋までホームラン。鹿島臨海鉄道の新鉾田駅に接続していると見せかけてけっこう遠いので不便。いっそ線路を繋げて相互乗り入れすれば良かったのにという一部の鉄道経の妄想は却下されました。しかも、鉄道廃止後の代行バスもたまにしか新鉾田駅まで行かない。鉄道が消えた後、鉾田鉄道の車両が留置されていた博物館となっていたが、鉾田市の予算事情により温泉施設へ移動した。

おもな車両[編集]

  • キハ600:鹿島鉄道内でもかなり古い車両。だが古いからといって侮ってはいけない。この車両が鹿島鉄道での最速記録6分42秒という驚異的な速さをたたき出したのである。また、鹿島鉄道内の唯一の20M級車ということもあり、非常にドリグフトに長けている車両であった。廃線後も、この性能を認めた鉾田市と有志の愛好会によって、市内の温泉施設で保存されている。
    石岡駅で競技の直前、スタンバイ中のキハ601
  • キハ430:東急車輛製。キハ600には負けてしまったもの、7分9秒というかなりの速さを実現した。東急側では「こんな改造をされるとは思わなかった。エクストリームスポーツのためにここまでやるとは何という根性だ!」とコメントしている。
  • KR500:新潟鉄工に次世代の超高速車両として発注した。しかし、足回りは大出力エンジン(ちなみに排気量999999999cc)を5基搭載でかなり重かったのに対し、車体はできるだけ軽量化を図ろうと、ペーパークラフト方式が採用されたために最終的に車体はほとんど吹っ飛んだ。後の走ルンですの技術発展に貢献したことは間違いなく、その功績を認められ鉾田市と愛好会によって修繕された上でキハ600と共に保存されている(修繕とはいえ、実際はほとんど新造に近い)。

関連項目[編集]