魏延
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
~ 魏延 について、諸葛亮
~ 諸葛亮の発言 について、劉玄徳
~ 魏延 について、毛沢東
~ 魏延 について、馬岱
~ 魏延 について、楊儀
~ 諸葛孔明 について、司馬仲達
魏延(ぎえん、? - 234年)は、字は文長(ぶんちょう)。義陽郡出身で一兵卒として、黄忠と共に蜀の軍門に加わった蜀ではもっともまともな人。
生まれつき、関羽と同様に棗のように顔が赤かった。プロレスラーとして蜀の兵士、民に楽しみを与えた。プロレスは蜀の将のほか劉備も大いに楽しんだという。
コスチュームは南蛮人風で覆面をつけている。リング上でのパフォーマンスではブレイクダンスを踊る。
[編集] プロレスラーとして
現代風に言えばイノキズム、ストロングスタイルである。「ワレ、貴様・・・倒ス!!」とともに繰り出される魏延カッターはただのダイアモンドカッターである。蜀の武将の中では唯一曹仁と対戦しており、SSP(SOHJIN SIKOH POWERBOMBの略)を食らっても立ち上がった(この時曹仁はこの技を封印したという)。プロレスで鍛えた技、パフォーマンスの一部は実際の戦闘にも取り入れている。
[編集] 武将として
何かと奇人、変人のように描かれているが史実では諸葛亮が反骨の相があるとしてその場で処刑しようとしたところを劉備に救われた。この時自分を殺そうとした諸葛亮に怒りを示すことなく、「反骨の相がまことのものとして現れたならば、そのときこそ自ら反骨の相もろとも命を絶ってお目にかけましょう。」と話したという。
またロクに会話も出来ないように描かれているが、諸葛亮が北方征伐に精を出す中、荊州が呉に襲われていると聞くや、一兵も連れずに応援に向かい、類稀なる軍略と武をもって呉を退かせた。この時馬良に「私を立ててはいけない。諸葛亮の耳に入れば私をねたむだろう。私がここに来たことも知らせてはならない。君の軍略で退かせたと胸を張っていればいい。」そして成都に戻って何食わぬ顔でリングに上ったという。
五丈原の戦いでは味方劣勢が続いた。相変わらず諸葛亮が魏延を悪く見ているために出撃の機会は無かったがついに決意してただ一人敵軍に突っ込んだ。諸葛亮は「ついに反骨した!」と喜び、魏延を討つように命じた。敵味方が入り乱れて自分を攻撃してくる中ついに蜀の兵を誰一人傷つけることなく蜀の劣勢を覆した。その後は山賊になり、陰から蜀を見守り、蜀の苦戦の際には兵士の死体から鎧を取って兵士のフリをして無双の活躍で蜀を勝利に導いていった。しかし調子に乗って「わしを斬れる者はおらぬか!」と叫んだ所、馬岱から「ここにいるぞ」と言われ、斬鉄剣で秒殺された。
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