首都圏国電暴動

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首都圏国電暴動(別名:エクストリーム・鉄道破壊若しくは八つ当たり大会)とは、あの上尾事件のわずか約1ヶ月後の1973年4月24日に、国鉄労働組合の闘争中に首都圏の色々な国鉄ので発生した、いわゆる内戦の一つである。

事件の経緯[編集]

あのいやーな上尾事件が終わった後も国鉄の運転士は職務怠慢、いや、遵法闘争を行っていたため、首都圏のダイヤは遅れまくっていた。当時の国鉄側は、サービス低下を招くことや、あの事件に懲りたことなどから、運転士たちに「もうちょっとスピードあげろ」とか「お客様のことを第一に考えろ」とか言って怒っていたが、組合側は「(上尾事件は)乗客が勝手に起こしたんだもーーーん。僕たちは安全第一でやってるもんねー。」などと理由をつけ、ノロノロ運転を続けていた。まあ運転士の言い分も理解できないことはないが。

そしてあのエクストリーム・列車に放火をきっかけとして、ついにこの日第二の戦争が勃発する。

事件の全貌[編集]

おそらく赤羽駅到着前の時点でこのような状況だったと思われる。

この日もダイヤはズタズタボロボロであり、遅れに遅れて遅れは60~90分間にもなっていた(ここで乗客の怒り45%)。運転士は自分の給料さえもらえればいいので乗客の迷惑など誰も気にすることはなかった。もちろん乗客の苦痛の頂点に達し、一部の乗客は上尾事件を真似るかのように駅長室をハイジャックしたが、機動隊により取り押さえられ、また他の路線に乗客を振っ飛ばすことで沈静化された。この時点では誰もあまり気にしなかった。

しかしこれは、この後起こる約15時間にも及ぶ「戦争」の序章に過ぎなかった。

その頃の赤羽駅。帰宅者でホームは混雑していた。ここで乗客はずっと立たされていた

列車が来ない。

来ない
来ない
来ない
なぜ来ない!?

もうここで乗客の怒り50%

午後8時ちょっと前、国鉄上野駅は青森行きの急行列車宇都宮まで普通列車にすることを発表。この列車、上野始発で本当の発車は19時35分のはずであるが、折からの遅れで40分も遅れて発車した。しかも上野発車時点でもうぎゅうぎゅう詰め(ここで乗客の怒り65%)。これでは途中の駅で客扱いができるわけがない。

そして20時20分ごろ、次の次のくらいの赤羽駅に到着。しかし前述のとおり超圧縮状態で客扱いができるはずもなく(すでに屋根の上も満杯、中には外壁に必死に捕まる通勤客も)、また、超満員で機関車は重みに耐えきれず発車できなくなってしまった(乗客の怒り75%)。機関車が引っ張れる重さの156倍の重さの乗客が乗っていたのだ。乗客がこれにクレームをつけようと機関室に入ったが、運転士はすでにいない。そう、怖くなって逃げてしまったのだ。つまりこの急行列車は発車できない(乗客の怒り85%)。そこで国鉄は「京浜東北線に乗ってねーーー急行を普通にしても何の効果もなかったねぇーーーー。残念だねぇ~~。」と言った。客はここで怒るはずだが流石に上尾事件の再現はしたくないという思いからぐっとこらえた。

しかしその放送で案内した肝心のけーひんどーほぐ線は信号トラブルで来ない。意味ねーじゃん(乗客の怒り100%。でも…。)。

すでにあふれて過ぎたの不満の中、21時ごろ、赤羽駅にいた3000人以上の群集はこの仕打ちに耐えきれなくなり、ついに怒りが大大大爆発(乗客の怒り370%越え)、八つ当たり大会が開幕した。動けなくなった急行列車に投石、蹴る殴る、その音を聞きほかの人もこの八つ当たり大会に参加。42日ぶりに暴動が勃発した。乗客はたちまち怪物暴徒と化し、駅長室を占領、車両の破壊、運転台の放火にまで至る無法地帯と化した。

そのころ上野駅でも暴動が発生、駅長室が占領され、また、駅コンコース内でも放火される事態に陥った。中には罪もない発車票に八つ当たりをし放火する者もいた。ダイオキシンが出たのかはお察しください。暴動は鉄道線を伝って他の駅でも発生し、新宿駅でも山手線の運行が行えなくなり、振り替え輸送の案内をしたところやはり乗客は暴動が起きた。この暴動の人数はおよそ15600人にも上ったという。そしてこのころはまだオタク街ではなかった秋葉原や若者の街渋谷有楽町でも暴動が発生、ついにはこの暴徒の人数が38000人を突破した(乗客の怒り)。

一部の暴徒は、切符・現金・売店の商品を略奪するわ、暴徒同士でケンカするわ、事件に直接関係ないタクシーに石を投げるわ、156とつくものをぶっ壊すわで、もう言葉では言い表せない阿鼻叫喚の光景が繰り広げられた。

更に、暴徒の集団は国労・動労の組合員を捕虜にし、ラ・マルセイユを歌いながら国労会館、動労会館を襲撃。火炎瓶、投石等の応酬となるが、多勢に無勢で国労本部・動労本部共に陥落した。

22時頃、警視庁はようやく全警官と機動隊に事件の鎮圧を指示。事件現場に派遣をするも、すでに駅では「もう嫌だーーー」と駅員が職場放棄しており、警察自体も規模は上尾事件ほどだろうと甘く見積もっていたため、多くの駅で同時多発的に起きたこの事件に対して何も打つ手がなかった。仮に上尾事件のように陸軍を要請し手破壊兵器を使用したとしても、その破壊力が東京を完全に壊滅させる可能性が高かっただろう。

この様子をテレビで見ていた陸軍は「我々が鎮圧するしか方法がない」と言って国鉄側の要求(東京を廃墟にするのをやめてというお願い)を跳ねのけ、この作戦を強行。事件現場の38の駅にたちまち大量破壊兵器が発射された。

ドカーン
ドカーン
ドッカァーーーーン

たちまち駅は火の海に。周辺のロータリーも車も火の海に。

結局この作戦により、八つ当たり大会参加者約4万人のうち87%もの人が死亡(うち22人は搬送後に死亡)し、その他の参加者も重態・重傷・軽傷者など多数出た。無傷なのは数人しかいなかったという。また、この影響で駅機能は完全に失われた。唯一残ったのがプラットホームと線路のみというところもあった。

他の路線でも駅とその周辺はすでに北斗の拳あの世紀末のような状態で、復旧したのは30日の19時を過ぎたころだというが、駅舎がないのでほとんどが無人駅で再開。完全復旧はさらに3年待つこととなった。

影響[編集]

上野駅から出発する当時の特急や急行などは、もちろんこの暴動会場へ入ることができず、高崎や宇都宮で足止めを食らった。そのため中にはそのまま列車がホテルになったりした。もちろんここでもやきもきし、次第に国鉄の不満も高まりこれが国鉄分割民営化に繋がった。

また、陸軍の攻撃によって亡くなった人のおよそ91%が会社勤めの会社員であり、その人材を多量失った会社は大打撃を受けた。中には新入社員もいて、歓迎会の翌日にこの事件に巻き込まれたという人物も多数いた。かわいそうだね。

この事件の影響で国鉄は列車を走らせることができず代わりに乗った(振替乗車)KOトーブ西武とか東急などの私鉄にがっぽがっぽお客が入ってきてさらにがっぽがっぽお金も入ってきてかれらのには良い腹の肥やしになった。今度はしR束日本にこういうことをやってもらいたいなーとか内心思っているようだが今の新型車両はのろのろ運転しないのでおそらく同じことは起きないだろう。

一部文献では1995年3月に起きた地下鉄サリン事件が日本で一番最大規模な鉄道の事件とか言っているが、それはウソで、この首都圏国電暴動が2014年現在、我が国の鉄道事件の中で一番最悪な事件である。

関連項目[編集]


Keiyolinenewcommutertrain.jpeg この「首都圏国電暴動」は、混雑がひどく、両数を増やす案が出ています。両数を増やして下さる協力者を求めています。  (Portal:スタブ)