飯豊山回廊

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動先: 案内検索

飯豊山回廊(いいでさんかいろう)は、新潟山形県境にある福島県域の回廊地帯。新潟、山形、福島の各県が飯豊山の領有権を主張している。

概要[編集]

飯豊山の県境。福島県が飯豊山を無理やり編入している。

本来地形から見て三県の県境になるべき場所には三国岳なる山があり、飯豊山はその新潟県側に位置するが、現在の県境はそのようになっておらず、福島県が飯豊山登山道にそって長さ7.5km、幅1mの回廊地帯を作り飯豊山及び山腹の御西岳を支配下においている。この県境は日本では他に類を見ない独特のものであるが、これは後述する過去の紛争の結果である。

飯豊山の帰属問題[編集]

飯豊山は古来から神の山とされ、山頂の飯豊山神社は今でも山岳信仰で有名であるゆえ、県の戦略上重要な場所であることには間違いない。飯豊山の強力な神力にあずかろうと、近隣の三県は長い間飯豊山の領有を主張し続けている。

福島県側の主張
飯豊山神社の麓宮は福島県(喜多方市山都町一ノ木)にある。飯豊山神社は麓宮と奥宮で一つであるので、同じ神社が二県にまたがるのはおかしい[1]。よって麓宮がある福島県が飯豊山(奥宮)も領有するべきである。
新潟県側の主張
地形的に正しい県境を引いた場合、新潟県が飯豊山の領有権を持つはずである。三国岳を基準とするならば、福島県、山形県ともに飯豊山に近づく余地すらない。
山形県側の主張
飯豊と名のつく市町村(飯豊町)があるのは山形県だけであり、ほかの二県は飯豊山に対する信仰が不十分である。

明治の飯豊山論争[編集]

そもそも、廃藩置県以前の飯豊山は会津の山であり、領有権問題は存在しなかった。しかし、廃藩置県により東蒲原郡が新潟県に編入されたことにより、新潟県と福島県の間で領有権問題が発生した。現在の県境は廃藩置県後に福島県の主張が認められて変更されたものである。

最初の県境は地形の通り三国岳を自然な形で通るもので、この時点では飯豊山は新潟県のものであった。ところが、飯豊山そのものを御神体として祀る飯豊山神社を味方につけた福島県側が猛反発し、「飯豊山を福島県に加えなければ未来永劫新政府を祟ってやる」などと脅し紛争に発展した。新潟県側としても神の山である飯豊山をただで譲るわけにはいかず、地形的な正当性もあることから協議は平行線をたどることとなり、結局は内務省に調停を依頼することになった。その結果、内務省は綿密な調査の上で「飯豊山神社とその境内、登山道は福島県一ノ木村(現・喜多方市山都町)に帰属する」という結論を出した[1]。廃藩置県から20年後の、1907年のことであった。結果的に福島県側の主張が全面的に認められた形になったが、新潟県も国に逆らうわけにはいかず、この決定を受け入れたことで一応の解決を見た。

その後1954年に山形県が飯豊村(現飯豊町)を設置して領有権主張に名乗りを上げたが、誰も気にしなかった

脚注[編集]

  1. ^ 神社が県境をまたいで存在する例はないわけではない。一つの例として、熊野皇大神社は長野県と群馬県にまたがる。ただし、長野県側と群馬県側で別の宗教法人が登記するなど特殊な扱いになっている部分もある。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「飯豊山」の項目を執筆しています。
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「飯豊山神社」の項目を執筆しています。