面倒臭い

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面倒臭い(めんどうくさ-)とは、人間が手間がかかったり、煩わしいと認識した際に感じる精神状態の一種である。語源として考えるのであれば面倒という言葉そのものには「愛でる」という意味も存在しているため一概に主張する事はできないものの、一般的に面倒臭いという言葉はそのような意味で使用される場合が多く、またそのように認識されている。

概要[編集]

面倒臭いという感情人間人生において何か行いたくない行為に直面した際に発露する場合が多く、概ね対象に対して良くない感情を抱いているケースが多い。面倒臭いという言葉にかかっている「臭い」の部分は「~っぽい」という意味があり、面倒が煩わしいという意味とするならば面倒臭いは「煩わしいように思える」といった意味で捉える事ができる。面倒「臭い」ではなく面倒「を見る」という言葉に置き換えた場合は面倒事、煩わしい事を対象から肩代わりする状態、なんらかの厄介ごとを手伝いや分担といった方法で対象の負担を減らす意味を持つ言葉となるため、面倒という言葉自体が悪い意味を含めているとは言い難く、面倒臭いという言葉にして初めて対象自体が厄介そのものであるとする意味になる。また、キリスト教的観点から考えた場合面倒事を嫌うという性質は七つの大罪によるところの怠惰に該当し、面倒臭いという精神は怠け心そのものであると言える。古来よりそのような状態は美徳とされておらず、非生産的な状態であるため対義語として考えられる勤勉が推奨されるケースがほとんどである。怠惰を司る悪魔としてベルフェゴールが存在するが、ベルフェゴールそのものはモアブ(古代イスラエルの地域)にて信仰されていた。キリスト教は数多くの他宗教の神々を貶め、悪魔や邪神としたがベルフェゴールもその一例であり、元は一般的な土着信仰のであったとされる。ベルフェゴールが怠惰を司る事になった理由としては諸説はあるが、恐らくバアルの存在にそのものに問題があり、ペオル山のなのか慈雨と豊穣のとしてのバアルなのか、グリモワールに記される悪魔バアルの事なのか良く分からず、面倒な存在であるとして怠惰の二つ名を冠したのではないかと思われる。なおグリモワールにおけるバアルである場合は序列一位であるため、ベルフェゴールのような存在とはまったくいえない。このように面倒臭いという感情は太古のキリスト教時代から既に存在していたものであり、非常に古くから認識されてきた精神であると言える。表記としては「面倒臭い」を採用しているものの、一般的には漢字無しの「めんどくさい」が使用されるケースが非常に多いが、これは言葉として発音しやすいように一部を省略したものが伝播したものであると思われる。英語においては「I can’t be bothered」に始まりスラングとして「It’s a pain」や「Too much hassle」など多数のスラングが存在し、その使い分けそのものが面倒な自己言及的な状況となっている。日本語、英語はもちろんの事数多の言語の中にも面倒臭いと同等の意味を持つ言葉が存在し、面倒臭いというものが世界共通である事が分かる。日本語でも例えば「怠い」や「煩わしい」等、多種多様な「面倒臭い」を表す単語が存在するがここでは割愛する。面倒臭いというものが世界共通である事が分かる。面倒臭いという精神が世界中の誰にでも存在するという事を説明したが、このような長文を最後まで読み切ったのであれば間違いなくめんどくさがり屋などではなく、十二分に忍耐力を備えた人物であると仮定する事ができるだろう。

関連項目[編集]

まさに面倒臭がり屋とは真逆の性格の人物が書いた文章であり、読む側も面倒くさがっていては読むことすら厳しい「冗語法」、本当はアンサイクロペディア随一の読むのも書くのも面倒くさい記事「あああああああああ!」、オリジナルの記事を書くことが面倒臭すぎて記事をパクってしまった「ううううううううう!」、面倒臭がり屋が執筆した一方、読む側はわざわざ察することを強いられる「お察し下さい」、難しい単語ばかり記事に書かれているので、一般人だと読むこと自体厳しい「ウィキペディア」、面倒臭いというよりすべてを超越した「ニヒリズム」、何もかも面倒くさくてこれを真似しただけの「白紙」、面倒臭がり屋はつい背けたくなってしまう「現実」などが、本項目に関連する項目の一例として挙げることができるものと思料されるところである。