青山忠俊

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青山 忠俊(あおやま ただとし)は、徳川秀忠が素行の悪かった若き日の徳川家光を更生させる為に配属した三人の目付役の一人。謹厳実直な性格で、家光に対してスパルタ教育を以って接したが、そのせいで家光から疎まれ更迭させられた。

経歴[編集]

忠俊は土井利勝酒井忠世と共に「寛永の三輔」と称されている。この三人は、家光を補佐する為に父親の秀忠が付けた傅役である一方で、家光の素行を改善させ、また大御所である自分に逆らえなくするように掣肘させる監視役でもあった。

この中でも忠俊は家光に最も干渉した。若い頃に家光は夜遊び三昧をしていて、弟の徳川頼房も夜遊びに誘うなど、素行の悪さに歯止めが聞かず、その度に忠俊は強く諌めた、という美談が伝わっているが、実際には、秀忠の命令で、家光を秀忠に従順な人間にするために「教育」という洗脳を施していたのである。

忠俊は「幕府の壊し屋」として知られている。といってもこの人のように内紛ばかり起こして体制を崩していたわけではない。忠俊は実際に「モノ」を破壊していた。

忠俊は家光を強く戒めるあまり、家光の所有物を数え切れないほど破壊している。ある時は金魚が大量に入った金魚鉢を放り投げて破壊し、またある時は家光の愛用していたを鉄拳で叩き割った。忠俊の教育は峻厳極まったため、家光は忠俊に強い憤怒を抱いていた。

やがて秀忠が将軍を退いて大御所となり、家光が将軍になったが、忠俊は相変わらず強く諌める姿勢を改めず、子供を叱るように接していた。ところが、とうとう我慢の限界に達した家光によって、老中まで登りつめ、岩槻4万5千石を拝領していながら、改易され転落した。一方で寛永の三輔の他の二人である酒井忠世と土井利勝は、その後も順調に出世して大老にまで登りつめている。差を考慮すると酷い落差が伺える。

人物[編集]

土井利勝が「智」、酒井忠世が「仁」の人物と言われるのに対して、忠俊は「勇」の人物と言われた。しかし忠俊の「勇」は蛮勇の勇と言っても良く、家光に諫言し、それが聞き入れられないとなると激昂して「切腹して諫死する」と喚き散らすことが多かった。激昂すると死ぬ死ぬと喚き散らす様はメンヘラの要素も含んでおり、忠俊は熱心すぎるあまり少し病んでしまった人だったのかもしれない。

忠俊が切腹して諫死しようとする度に、家光は制止することになった。家光にしてみれば忠俊は煙たい存在だったので内心では勝手に死んでくれと思っていたが、忠俊は元々父秀忠の側近であり、その忠俊が腹を切って諫死するようなことが本当にあれば父秀忠との間に軋轢が生じる危険性もあった。ただでさえ家光を廃嫡して弟の徳川忠長を将軍に据えようとする動きもあったため家光は必死になって忠俊を制止しなければならなかったのである。

改易後[編集]

一度改易されてから数年が経過した後、家光は忠俊を許して再度の出仕を許可しようとした。ところが忠俊は、自分の改易は上様が決定したことであり、それを撤回して再出仕を許すのは、上様の采配が誤りであったと公に周知させることになる、という理論を展開し、再出仕の打診を謝絶した。主君を思う美談のようにも聞こえるが、善意で教育してきたのに疎外されたことで忠俊はすっかり拗ねてしまっていたのだ。打診の辞退もある種の意趣返しであった。

雉の忠俊[編集]

「勇」の青山忠俊、「智」の土井利勝、「仁」の酒井忠世、この三人の位置付けは、桃太郎における三匹の従者を見立てたものである。「仁」は犬、「智」は猿、そして「勇」は雉を象徴することから、忠俊は桃太郎における雉のような立場であったと言える。だが勇猛という要素よりも、諫言しすぎたために勘気に触れて疎外されてしまった、「鳴かずば撃たれまい」という要素において、忠俊と雉は酷似している。

厳格な男が見せた寛容な一面[編集]

家光に対する厳格な話ばかり伝わっている忠俊だが、家光に対して寛容さを見せる話もある。家光は、実は女装癖のある人物であり、誰も見ていない所でしばしば女装をしていた。ところが、女装している場面を忠俊に見られてしまった。激怒するかと思いきや、忠俊何も言わずに見てみぬふりをして屏風を閉め、女装についても誰にも公言しなかったという。このエピソードからは、女装というセクシャルマイノリティに対して寛容であった忠俊の性格を推察することができる。説教好きな古臭い武士という印象の強い忠俊だが、以外と進歩的な考えも持っていたのだ。