零式艦上戦闘機

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

零戦 から転送)
「防弾なんて飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ。」
~ 零戦の防弾性能 について、リオ・マリーニ曹長
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「零式艦上戦闘機」の項目を執筆しています。

零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)とは、大日本帝国海軍艦上戦闘機である。そのあまりにも卓越した性能故、機のコンセプトが軍内部で理解されず、結果的に帝国海軍に敗北をもたらした、悲劇の戦闘機である。通称は零戦ゼロせん れいせん)。

目次

[編集] 名称

零式艦上戦闘機の初期型
零式艦上戦闘機の初期型

当機の名称は零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)であり、略称は零戦(れいせん)である。 大東亜戦争中に極一部の極左報道機関によって、ゼロ戦の呼び名が広げられたがこれは全くの間違いである。また、英語でゼロ・ファイターと呼ばれているがもちろんこれも誤りである。当機をゼロ戦と呼んだ場合、特別高等警察による取り調べが行われる場合があるので注意が必要である。 この名称は皇紀2600年にちなんでおり、本来は2600式艦上戦闘機と呼ばれるべきものが、0式と略されたものであるが、この略し方には無理があったため、2式を最後にその姿を消した。おそらく、1式、2式の頃には発注数を巡るトラブルが多発したものと一般的に考えられているが、実はアメ公に「1940年の戦闘機をまだ使ってるのー?ダッセー」と言われたからである。その為、2602年頃から海軍では烈風などの名前を使用することにした。しかし陸軍では年号に固執し続けたため、終戦まで笑いものにされたそうである。

[編集] 武装

翼内20mm機銃2挺(携行弾数各60発)
機首7.7mm機銃2挺(携行弾数各700発)
30kg又は60kg爆弾2発

当機の20mm機銃は敵機を一撃で粉砕しうる威力があった。当時他の国の戦闘機が12mm機銃であり、また陸軍機が7.7mm機銃のみであることを考えれば反則行為である。もっとも20mm機銃は初速が低く山なりの弾しか撃てなかったがそんなことは気にするな! ちなみに7.7mmも装備していた(後に、型によっては20mmのみのものもあったが)のでますます反則である。

しかし、多くの機銃を持ち、爆弾まで装備してしまったために、完全に誤った使用法が定着してしまった。すなわち、数千キロ先の敵基地を援護無しで叩くという作戦である。

仮眠室トイレも、そして娯楽用品も無い戦闘機上で10時間近い時間を掛けて敵基地まで飛び、また戻るという攻撃は機体も操縦士も共に磨耗する。途中戦闘、ガス欠、方向ミス等で仮に1回に15%の機体(と優秀な操縦士)が失われたとすると、たった4回の出撃で実働数は半分に減ってしまうのである。しかも落とすのはたった2発の爆弾のみ。あまりにも効率が悪かった。

[編集] 防弾

当機は設計当時より防弾が全く考慮されていなかったが、これは搭乗員の神業的なスキルと当機の高すぎるスペックと大日本帝国の兵士の気合いによってそもそも敵弾が命中しないからであり、ハエを設計するのにカブトムシ並みの装甲を要求するほうが無茶なのである。実際、性能に格段の差が出るまでは敵機が1機の場合に打ち落とされることはまったく無かった。軽い機体を生かして後ろに回りこんでしまえば良かったためである。いつでも後出しじゃんけんができるような軽快な運動性能を重視したわけである。

また防弾がゼロだからゼロ戦という説があるが、前項の通り当機の略称はれいせんでありぜろせんではないのでこれは誤りである。

[編集] 設計変更

「いいねいいね。これ最高だね。だけど一つだけ欠点があるんだ。それを直せばもっと良くなるよ」

こういって、思いつきで設計の変更を迫る輩は昔から存在した。もちろん、それで良くなれば「俺が言ったんだ」と、胸を張ってPRしてくれるタイプである。勝ち馬に乗るところに特徴がある。

ゼロ戦、じゃなかった、零式艦上戦闘機もこうした輩の被害を受け、当時まじめだった堀越青年はその言葉に乗ってしまった。翼端の形は実に5回も変わっている。また、翼の形を変えるのに飽きると、今度は搭載エンジンを変えるようになった。翼の形状が変わってもなんとかなるが、搭載エンジンが変わると必要なメンテナンス消耗品が変わってしまう。現在の自動車メーカーのマイナーチェンジ(ちなみにこの機体を開発したのはランエボを作った会社で、製造し、エンジンを供給していたのは、STIの会社である)以上に厄介なことが行われていたわけであり、塗装色変更ぐらいに留めておけば、はるかに良い整備性が得られたに違いない。

[編集] 発展と末路

  • 素晴らしい戦闘機であった。それはもう間違いない。そこで、海軍はこの戦闘機を量産することにした。
  • 爆撃機としても使えた。護衛用戦闘機の乏しい時代に、自分で護衛できる零戦は最高の爆撃機であった。そこで海軍は更に増産することにした。
  • 迎撃機としても使えた。沈頭鋲の採用により画期的な高速度をたたき出した零戦は優秀な上昇性能を示した。そこで海軍は更に更に増産することにした。
  • こうして、とにかく零戦を量産することとなった。
  • ところが南洋地域での遠距離爆撃という無理な作戦が祟り、零戦の消耗が激しくなった。
  • それでも零戦は量産された。
  • 2000馬力級のエンジンを持つ欧米の戦闘機が前線に出てくるようになると運動性能よりも速度で負けるようになった。
  • それでも零戦は量産された。
  • 欧米の大型戦闘機が強力なスーパーチャージャーを積むようになると、高高度での性能差が大きく開いた
  • それでも零戦は量産された。
  • 更に日本軍全体が不利になると、熟練工にも召集令状が届くようになり、生産の質までもが低下した。
  • それでも零戦は量産された。
  • 補給路を絶たれ、本土を直接爆撃されるようになると、生産そのものが難しくなってきた。
  • こうして零戦の量産は終わったが、そのころには他の戦闘機も量産できなかったのでどうでもよい話である。
  • ちなみにアメリカ系エンジンでアメリカ製プロペラを回して飛び、スイス製の機関砲をドイツ製の照準機(注:違法コピー品)で撃っていたのはマニアにはわりと有名な話である。

こうして、終戦直前まで計1万機以上が量産された。 ちなみに現在運用している国は唯一、トリステイン王国だけである。

[編集] 特殊装備

実は零戦は特殊装備、非常ブレーキを装備していた。大戦中期に欧米の高速度戦闘機が出現しても、零戦が簡単にやられなかった理由はこの装備による。空で非常ブレーキを掛ければどうなるか? 羽田沖で某旅客機が試したとおり、一瞬のうちに失速する。失速すれば下に落ちるので、敵の戦闘機から逃げられるのである。

この装備は通称タラップと呼ばれ、操縦士が左右の足で同時にタラップを立てることで瞬時に失速状態を作ることが可能となっていた。

[編集] 主な撃墜記録保持者

[編集] 運用国

[編集] 関連項目