阿部正豊

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阿部 正豊(あべ まさとよ、生年不詳 - 1535年12月29日(天分4年12月5日))とは、突然発狂して殿様の松平清康を殺したことで有名な戦国武将。通称は弥七郎だけど、ココでは阿部ちゃんで押し通す。

自分の殿様に刃を向けた理由については、

  • 下剋上の風潮が盛んだったので俺も流行に乗ってみたかったから

という見解が有力。だが、善後策を全く講じていなかったため、当然のことながらその場で成敗された。その結果、

  • 主を失った主家を窮地に陥れた
  • 死んだと思ってた親父を苦しめた

という、はた迷惑なだけの野郎という評価が下された。過剰なまでの被害妄想を抱いていたとも言われており、近年ではウィキペディアン、またはそれに連なる人間ではないか、と推察されている。仮に消費者金融で借金しても、無計画の為に返済できないだろう、という推測についても世間の見解は一致している。

しかし、彼が清康を殺した事で、清康の人物像は誇張されて美化され、「30歳まで生きていれば天下を取れた」なんていわれる始末であった。そういう意味では、清康の名誉の向上に最も貢献した男と言えるかもしれない。

そのチキンっぷり[編集]

この阿部ちゃんは、親父が謀反するなんて噂を流され迷惑してた。それでも弁明するべく、主家の外征に同道していたのであるが、そこで馬が暴れたので松平軍の本陣が大騒ぎになった。無論、松永久秀の仕業である

本陣の外にいた阿部ちゃんはアワ食った。「親父が殺されたーっ」と。ここで『三河物語』よりその一部始終を紹介する。

せんごくだいみょうのまつだいらきよやすがしょうぶをしかけてきた!
まつだいらきよやすはまつながひさひでをくりだした
ゆけっまさとよ!
まつながひさひでのあやしいひかり!
まさとよはこんらんした!
まさとよはこんらんしている!
わけもわからずきよやすにきりかかった!
きよやすはたおれた!
きよやすはしにぎわにうえむらうじあきをくりだした
うじあきのギガスラッシュ
まさとよはたおれた

ポケモンとの関係[編集]

前述した『三河物語』であるが、他が古文書体で書かれており、ちゃんと漢字も使われているのに、何故ここだけ現代語でALL平仮名で書かれているのかには江戸時代後期から議論され、「アンサイクロペディアはウィキペディアのパクリではないのか」という、ふざけた議論と同列に語られている(無論ウィキペディアがパクッたのであって、この説はウィキペディアンの策動によるものである)。それはさておき、これについて古くから「子供にも優しく作ったから」「徳川氏の恥を上手く誤魔化したかったから」など諸説入り乱れる大激論が交わされ、その大激論が高じてk-1グランプリが大晦日に実施されるようになったことは年配者には記憶に新しいであろう(痴呆の人を除く)。

しかし、なんといってもこの論争において最も現在有力な説は、松平清康・阿部正豊が供にポケモントレーナーであり、自身もポケモンであったという説である。この説の中では松永久秀も登場するが、松永はゴルバット、またはゲンガーであったと推測されている。さらにこの説の中ではこれはポケモンバトルではなく、ポケモン同士の交尾(セックス)だった、という大胆な仮説にも発展した。

子孫[編集]

くそみそテクニックで著名な阿部高和はその子孫である。ただし、高和自身はチキンどころか男の中の男であり、いい男であった。

関連項目[編集]