阪神タイガース

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日本一出世した阪神ファンどんでん

阪神タイガース(はんしんたいがーす)は、大阪市神戸市の間に位置する西宮市を本拠地とする、の一家である。阪神間の秩序を取り仕切る人間たちに飼い慣らされている。

摂津の虎軍団とも呼ばれるもアンチどころか、ファンからも「セ界最弱じゃないの?」なんて揶揄されていたこともある、ある意味「最強軍団」。京都が反目しているため関西近畿ではない。

球団創設以来、期待させるだけ期待させといて大一番でズッコケる伝統を見せてくれる集団である。 プロ野球界最強の球団。 その戦いぶりに幾度も翻弄され、何度となく落胆させられようとも、時折みせてくれる偶然の勝利の喜びを忘れられない為に、どれだけ悪態をついても結局は応援してくれるという半ば気違いと看做されている大多数の「猛虎魂主義者」(阪神タイガース教トラキチ)の存在に支えられている事で知られており、大阪湾岸の阪神地域では、すら恐れる動物集団でもある。

なお、お馴染みの「猛虎打線」の意味だが、「もうここら辺でいいかげん打ってくれ打線」の略称であるのは言うまでもないのだ。

概要[編集]

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「阪神タイガース」の項目を執筆しています。
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大男(巨大人間)の集まりが球団として発足したのは良いけど、対戦相手が居なけりゃ話にならないので、野球仲間を募集した。

そこで話に乗ったのが、電車屋さんの阪神。「学生野球で盛り上がる甲子園に、もっとオモロイ野球を!!」って、ついつい勢いに任せて野球チームを立ち上げたのが、1935年の事である。その翌年にはそれら野球チームを統括する専門連盟が組織され、その一員として加わったんで、その春から開催された公式戦にも混ぜてもらったという。現在に続くプロ野球リーグ戦のひな型みたいなモンである。って事は一応、最古参のプロ野球団の1つに数えてもらえるようだ。

1990年代、読売新聞グループの資金力をバックにした大男集団の金に物を言わせて選手を集める手法(金満主義)を、「何でも欲しがる病」などと称してトラキチ(=猛虎魂主義者)は強烈に批判した。「ジャイアンツ愛」とは「金に目がくらんだ亡者の戯言」、とまで罵った。

しかし、阪神が屈指の金持ち球団になって、大男集団と同レベルないしそれをも凌ぐ選手集めをするに至った現在では、阪神の下請け球団と揶揄される貧乏な広島鯉軍を裏切った選手がこの球団の主力となっている。その後も勢いは衰えず、シアトル・マリナーズからも選手を買い取っている。広島で育てて阪神が使う。広島の選手は将来阪神で活躍することを夢見て辛苦に耐えて練習している。

チームの特長[編集]

基本的に打高投低のチームである。そのため後述する大量得点差で勝っているのに追い付かれ、あわよくば敗戦(V9アシスト etc)と言ったようなバカ試合(逆もまた然り)や、接戦で進んできた試合終盤に一発打たれて負ける(行くな!行くな!越えるな! etc)などと言う試合が多い。お笑い球団と揶揄される所以である。

2015年現在、12球団で二番目に日本一から遠ざかっている球団である(1985年が最後。一番は1984年の広島)。また、日本一の回数が2005年に誕生したばかりの東北の狗鷲と同じで、その前年にお亡くなりになられた大阪の猛牛を除けば、1回のみと81年も野球をしていたとは思えないのである。ぐうの音もでないほどの弱小で知られるあの横浜球団ですら日本一2回の実績があるのだから相当悲惨な数字と言える。余談だが横浜、楽天球団の日本シリーズ進出回数は過去2又は1回なので、日本シリーズ制覇率だけで言えば実は100%であり、何回か進出しての1回と言う阪神とはかなりの差がある。数字だけ見ればぶっちゃけ横浜以下のバキューン!!

さらに言うと、2010年ドラフトまで実に25年間も当たりくじを引いていなかった外れ1位では引いてたけどね。大石の達者の時なんて結果的に確率50%だったのを見事に外してハゲ監督に真横で喜ばれたし。2011年はドラフト1位の一本釣りに成功。おハムに横槍入れられて意気消沈の巨人を尻目に久々の当たりくじにファンも関係者も安堵した。もっとも、育成がお粗末な阪神できちんと一軍戦で活躍するかどうかは選手次第であるが。

短期決戦に恐ろしく弱いため、クライマックスシリーズではソフトバンク以下の戦績を残している。

また、チーム内やフロント内でイザコザが起こり、俗にいうお家騒動がオフの風物詩である。内紛の多さでは紀伊半島の向こう側と虎の争いを繰り広げており、敗戦したのに球団社長がガッツポーズをする、阪急電車が阪神電車に殴り込みをする、阪神電車に331形334号電車を復元して走らせるなど、派手なお家騒動が期待される。

歴史[編集]

1リーグ制から2リーグ制の発足、第1次低迷期まで[編集]

甲子園が大阪府に無い(兵庫県西宮市)のにも関わらず、大阪タイガースとして産声を上げたバカな球団。

1リーグ時代では、大男(巨大人間)の集まりに何度も優勝されていたけど、大男を差し置いて優勝を4度もカッさらったなど、戦力不均衡の中でも下々の戦績を残している。
巨人-阪神戦におけるファンの様子。球場の外まで盛り上がりを見せている。

しかし、七色の変化球を操ると言われる若林忠志だけはかなり強かった。

やがて1950年から、リーグは新興集団を加えた上で2つに分割された。その際には、東西の両人気動物集団を中心とする構想があった。セントラル・リーグの中核に大男(巨大人間)の集まりを定め、並立するパシフィック・リーグには阪神地域の虎集団を中心に何球団かを分出させ、プロ野球界を盛り上げる算段だった。しかし当時から人気のあった大男の集まりとの興業権に目の眩んだダメ虎は、大男の所属するリーグの方にホイホイついていった。これが現在に至るまで、ダメ虎集団がセントラル・リーグに属している理由である。と同時に、パシフィック・リーグが幕開けの当初から長期月見草時代に突入していった原因ともなっている。

しかし恥も外聞もなく大男に尻尾振ったダメ虎には、キツーイお仕置きが待っていた。新興集団による「選手引き抜き」である。おかげで、一時は「ダイナマイト打線」とまで呼ばれた煌びやかなオーダーで新リーグ戦に臨めたはずが、主力という主力をゴッソリと半数以上も引き抜かれたどころか、新入団予定の選手まで奪われたために、2リーグ発足時からしばらくは「骨抜き状態」で戦い続けざるを得なかった。対する大男なんて黄金時代と言われるほど人材が溢れており、優勝なんて言うまでもなく当然無理だった。

それでもトラキチには、無駄な希望が残ってた。引き抜き対象だったのに残留してくれた4番打者、藤村富美男の存在である。

チームがヨレヨレでも藤村のオッちゃんが、ガンガン打ってくれる。成績が伴う上に、芸人さんを思わせるような珍妙なプレーを見せてくれるサービス感覚にも長けていたという。それだけでファンは幸せになった。しかもそれが大男戦になると、彼らのリミッターは簡単に外れた。その様子を上の絵が、今日に伝えている。

プチ黄金期[編集]

1958年限りで藤村のオッちゃんが居なくなったが、その分村山実ムッシュなど新たな戦力が少しずつ育ってきた。なお、1961年になって「大阪タイガース」の命名のおかしさにようやく気付いた球団が阪神タイガースに改名している。

1962年、オッちゃんがパッカンパッカン打ってた頃とは対象的に、投手力を中心とし、守備力で支える。あとは野となれ山となれ戦術がズバリはまった。掠め獲った1・2点を守り抜くと言うバカっぷりで、敗北しなければならないのにうっかり優勝しちゃったのである。2リーグ分裂後ようやく初優勝という事態に、浮かれるファンと関係者。オープンカーを連ねるパレードを催されると、キチガイファンは半狂乱化した。それが1964年にもまぐれで優勝しちゃっている。でもこの年は、忙しかったのでパレード無し。

じゃあ2度の優勝で日本シリーズは、どうしたの?って、そこはまぁお察し下さい。特に2度目なんて、誰も見ていませんでした。

なにしろ2度目は、日本シリーズの前日までペナントレースをやってたんで、前売りに頼れず、満足にチケットを売れなかった。おかげで第1戦から2万人割れという寂しい集客である。

それでも熱戦が続けば、次第に盛り上がっていくのが例年の日本シリーズなのだが「この年ばかりは長引いては困る」理由があった。そういう年に限って10月10日の第7戦にまで、もつれ込む。

そう、のちに休日として定められた10月10日、国民どころか、日本シリーズに携わった選手や関係者でさえも待ち望んでいた東京オリンピックの開幕日と重なってしまったのである。

お客さんも正直なもので、第1戦を下回る1万5000人程度が甲子園に足を運んだだけ。オリンピック観たさに落ち着かないダメ虎は、対戦相手の南海のスカタンスタンカから、シリーズ3度目の完封を食らって白旗を揚げたのだ。

後述される「2005年の惨劇」ほどでは無いにせよ「貧打のオン・パレード」という、お恥ずかしい戦いであった。しかし、関心の薄さに救われ、世間には知られずに済みました。 めでたし、めでたし。

第2次低迷期[編集]

1964年以降、またも低迷期に突入した。しかも今度は長い。それでもトラキチのみなさんがファンを辞めなかったのは、江夏豊田淵幸一が居たからである。

チームの順位には直結しなくても、強烈な個性と成績で楽しませてもらえるだけでファンが満足した。どうやら藤村のオッちゃんの頃と変わらない時代の再来である。それでもオッちゃんが1人で張り切るよりも、役者が多い分だけチーム順位の下落は小さかったので、悲観しなかったようである。

その江夏や田淵が選手としての全盛期を迎える頃には、チームの戦績にも直結しだした。そして、勝ちを譲り続けていた大男集団の9連覇をようやく阻む機会が訪れた1973年。熱戦を勝ち抜いて、残る2試合で1つ勝てば優勝というところまでこぎつけた。ところが、その2試合とも敗戦して大男集団に、またしても優勝を譲ってしまったのである。

話はそこで終わらない。甲子園での優勝を信じていたファンは逆上し暴徒化。球場内に乱入するも怒りをチームに向けず、その最終戦の対戦相手だった大男集団の王貞治など主力選手に向け、彼らに襲いかかったと言うのだから最低な話である。もちろん、選手へのお仕置きも狙っていた。でも控え室に立て籠もる選手には、日付が変わろうとも手を出せずに断念した。

なお、この年は情けない戦いぶりばかりが注目されるが、当時の監督であった金田正泰(第17代。自身にとっては第11代以来の第2次政権)がシーズン中に1度、そしてファン感謝デーの後に1度、それぞれ別の選手から殴られた、という物騒な逸話も残されている。
起用法への不満くらいなら多少の差はあれど、どこの球団でも有り得る話である。しかし問題は、日頃からトゲのある言動に不満を募らせる選手たちからの人望が無かったという、人間性にあったのだ。そこを采配の確かさ、などで黙らせられれば余程の手腕なのだろうが、最終戦を遡ること4試合、後楽園での巨人との直接対決で7-0でリードしていながら10-10のドローなどという煮え切らない、ツメの甘い試合で御茶を濁したのも優勝を獲り逃がした一因になっている以上、チームの求心力を保てなかったようである。

やがて、輝きを失った江夏・田淵たちをあっさり放出。またチームの作り直しに歳月を費やし始めた。

1年間の栄光・初の日本一[編集]

かつてのスター選手であるムッシュが2度目の監督に就任した1985年伝説級の大男とのシーズン最初の3連戦をバックスクリーン3連発に代表される奇跡的勝ちっぷりで乗り切ると、凶暴な竜素早い燕気荒な鯉悠長な鯨を相手にしても勝ち星を重ね続けた。

終わってみれば219本のチーム本塁打を挙げる猛打で、21年ぶりの優勝。日本シリーズでもその勢いだけで、初の日本一に輝いた。

ただ、かつて暴徒化したファンは勝ってもなぜか暴徒化した。しかも、やってはいけない事をやってのけたファンによって、野球の神様による御仕置きがマムシの毒のようにチームを蝕みだした…。

苦悶の暗黒時代[編集]

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第1次暗黒期[編集]

1987年あの日本一からわずか2年後とは思えないほど勝てなくなった。2度の8連敗に代表される、借金42(83敗6分)という散々たる負けっぷり。当時、ただ1人でチームの沈没を救おうとしておられたオクラホマから降臨された現人神の打率すら下回るのでは…と冷やかされた、チーム勝率.331は現在まで更新されることのない球団ワースト記録である。大暗黒時代の幕開けだった。この頃から球団は「負け犬ヘボ阪神」「ダメ虎」と揶揄されるようになった。

何しろ1987年から1991年までの5シーズン、130試合制で50勝すら出来ないシーズンが2度。60勝が1度も無いのである。

1988年にも純8連敗と、引き分けを含む8連敗を1度ずつ記録。もはや3・4連敗なんて当たり前になっていた。

開幕5連敗でスタートした1991年にも8連敗を記録したが、これだけじゃなかった。6月に入った途端、「ひとあし早い梅雨入り」と言われた1勝を挟んだだけの10連敗・7連敗を記録。シーズン終盤にも駆け込みの7連敗を記録した。

当然のように5シーズンで最下位が4度1989年だけが、横浜大洋銀行との最下位争いを制して5位になった程度。見事に、ダメっぷりを見せ付けてくれました。

たった1年の輝きと、忍び寄る魔の時[編集]

あの藤村のオッちゃんが亡くなった1992年、ズタボロの投手陣整備に重点を置いた選手獲得が実を結んだのか、それともオッちゃんが影ながら力を与えてくれたのか、ダメなチームが勝ち続けた。1986年以来の60勝突破、優勝争いにまで絡む躍進である。9月には、春頃には誰もが夢にも思っていなかった優勝さえ見えてきた。

でもやっぱり、そこは阪神。お家芸ともいえる結末が待っていた。

その9月に入って引き分けを挟む7連勝で甲子園を離れた後の長期遠征、ビジター13連戦で4連敗・2連敗・4連敗の大炎上(内、1点差負けが7つ)。ツバメ球団に復調の機会を与えてしまう。

優勝を賭けた10月10日の甲子園決戦でも、勝負弱さは変わらず。ツバメに2-5で負けて、目の前で胴上げされた。

だがたった1年程度で投手王国などという思い上がりも甚だしい当シーズンの善戦をマグレとは思わず、ホントに優勝できると思ってオフには戦力増強を企てた。それが当時のエース・野田浩司を手放してまで獲得した、最凶のスイッチ・ヒッターとの呼び声高い松永浩美の加入である。

1993年の開幕戦。5-12の大敗を喫するチームの中で、5打数5安打と1人で気を吐いて移籍デビューを飾った松永であった。後半戦からは背番号を02に変更する奇抜さ、85年の真弓ですら出来なかった「3戦連続の先頭打者本塁打」を記録するなど、話題に事欠かない存在価値を示している。ただ、最強の所以であった「長打力と並存する機動力」がサッパリなほど脚の状態が悪く、80試合程度の出場に止まった為に必ずしも獲得成功とは言えなかった。それでも「1年目なんだし、体調さえ整えば2年目からは挽回できる」と周囲に期待を持たせるような輝きを、断片的に見せていた。
なお、チーム全体を見渡すと、松永の獲得だけで得点力向上を目論んだ歪みが、外野へコンバートさせられた助っ人のパチョレックに最も影響した。前年、躍進の原動力となった中軸打者なのに打点が88→36まで激減したのである。その激減分を松永を始めとする他の選手でカバーできなかった訳だから、かえって得点力を低下させてしまったチームは前年とは全く逆の勝敗(67勝63敗→63勝67敗)という、4位でシーズンを終えたのだった。

ところが、チームの内外にはオフになって激震が走った。「FA権を取得した松永による、何のためらいも無い田舎もんへの移籍」である。結局「あれほどの出血をしといて、野田も松永も、何も手元に残っていない」という、誰もがキツネに摘まれた心境であった。その背番号02は現在でも黒歴史として、松永在籍の事実ともども厳重に封印されている。

なお1994年までは前々年の余力だろうか、3シーズン連続で60勝突破。前年同様4位に踏みとどまる事が出来た。しかし、このオフには数少ない得点源であり、働きの見込める陽気な外人のトーマス・オマリーを放出。浮揚し始めたチーム成績に並び立たない、球団による無計画とも言える戦力整備の姿勢が、みんなの知らない内に再び厄災を招き入れていた…。

第2次暗黒期[編集]

阪神・淡路大震災の衝撃を受けた1995年には再び暗黒時代に突入、この年だけで5度の5連敗を成し遂げている。だが、それ以上に当シーズンを象徴していたのが、夏場に喫した1勝ずつを挟んだだけの5連敗・9連敗・5連敗という大盤振る舞い。しかもこれは甲子園14連戦で1つしか勝っていないというダメっぷりである。ちなみに放出したオマリーなんてツバメで大活躍と、踏んだり蹴ったりである。更には同じ兵庫県を本拠にするパ・リーグ球団のオリックス・ブルーウェーブが震災のダメージを特に受けた神戸市民を勇気づけるかのようにこの年リーグ優勝を果たしたため、タイガースに対する関西民の目は無残な成績と対照的チームの存在からいよいよ失望へ変わりはじめて行った。

しかもこの年、サンテレビが「チームが60勝するのはいつか?」という豪華商品をかけた大掛かりな懸賞キャンペーンをしていたが、この1995年には60勝どころか46勝しかできなかったため、とんでもない企画倒れに終わってしまった。そしてこの年途中から1996年シーズン終盤残り数試合というところまでの監督が誰も思い出せない。いや思いださないほうが幸せなので忘れたふりをしているのが賢明であろう。

1997年から、ムッシュには3度目の監督に就任してもらい、立て直しを図ろうとも無理なものは無理。この年を物語っているのが、「新害人マイク・グリーンウェルの、『神のお告げを受けた』なんてテキトーな理由による、たった7試合出場での自主退団」である。

大金を積んでまで主砲に据えようとした構想を、木っ端微塵に吹き飛ばされた球団。ここから、動揺に駆り立てられた迷走が始まった。

そこで切羽詰って、味噌カツ球団が使い古したダネル・コールズなんか拾ってきた、という慌てぶり。案の定、この年で即解雇。ココで懲りときゃいいのに、オフには使い古しの第2弾アロンゾ・パウエルまで拾ってくる始末。動けない・ヒザが悪い、との懸念で放出された外人を獲得してまで戦力整備に努めた。しかし数年後、この使い回しの仕返しをなぜか中日にされる。(イバン・クルーズマーク・バルデス

まだ続く第2次暗黒期[編集]

この1997年オフには、阪神の運命を大きく変える事となった、久慈照嘉関川浩一大豊泰昭矢野輝弘という大きめなトレードも断行している。これには、

  • 関川浩一の捕手としての能力が、あまりにお粗末であったため、正捕手を矢野にすることで捕手問題に終止符を打ちたかったから
  • 矢野輝弘の顔がお馬さん(中日の2番手捕手をやる中で狸から、お馬さんに進化したものと考えられ…)であったために中日の2番手から阪神の正捕手に進化できるという学説(お馬さん理論)に基づき、吉田監督が判断したから

などの理由を挙げられている。もっとも、このトレードに限っては大成功、阪神黄金時代への礎になった。

しかしそれは2000年代になってからの話。「あの人物」の監督就任が功を奏した、偶然の産物に過ぎない。この頃すでに正捕手を外され、外野手としての活路を模索していた関川から、同じく外野との2足のワラジであっても中途半端な境遇の矢野に替えて何が変わるのか?という、「松永トレード」で懲りてないような球団のやり方には当時のキチガイ集団の多くが激怒した。

1998年には案の定、いやキチガイ集団の想像さえも遥かに上回る怒涛の12連敗という球団記録を打ち立てた。

味噌カツ球団から廃棄された、脂身のような3人は どうだったのか?というと、パウエルなんて4番起用スタートから尻すぼみの代打要員への転落、やはりシーズン終了を待たずに解雇。矢野に至っても「あの人物」との出会いが無いのだから、覚醒の兆しすら無かった。せいぜい大豊の21本塁打(打率.231・三振94)で満足するくらいしか、救いが無かったのである。他にも、久慈を放出したのも密かに痛手。若手の今岡誠に替わった遊撃では、守備範囲が著しく狭小化した。

終わりの見えない第2次暗黒期[編集]

どうにもならない状態に、とうとう1999年になって嫌々だったけど、「あの人物」に監督を要請するほど追い込まれた。そう、ツンデレのジジイである。

この想像を絶する弱さにはジジイでも混乱したのか「一試合に2人のピッチャーを2度ずつ使う」などの奇行に走るほどであった。一時は応急処置になっただろうが、長年染み付いた体質なんて1年だけで改まる訳が無い。さらに嫁のババア変なチャンバラババアに因縁を付けられて世にも低レベルな醜い大喧嘩をマスゴミを巻き込んで繰り広げ、みるみるジジイのやる気を奪っていった。

我慢して戦い続けたたものの、7月に喫した2度の4連敗が微震となっただけでもうチームは動揺。直後にキングボンビーに取り憑かれた9連敗である。序盤に積み立てた、僅かばかりの貯金を散財し始めた。しかもそれだけでは終わらない。9月にも直下型12連敗が直撃。阪神だけが未だに大震災に見舞われていたのであった。対象的に、あのトレードで放出された関川なんて、味噌カツ球団リーグ優勝の立役者とまで持ち上げられており、「あのトレードは何だったんだ!!」と、トラキチの中で再び怒りのバクハツを誘発させている。

結局、2001年まで4年連続最下位を記録するなど、ジジイでさえも手に負えぬ瀕死状態にまで陥っていた。トラキチ達もそんなチームを半ば見放していたため、甲子園の空席だらけのスタンドは夏でも寒々しい有様であった。

でもジジイは、矢野輝弘をコツコツと正捕手に育て、F1マシンやっと芽が出てきた大砲候補まだ荒削りだが才能の片鱗を見せた左腕などチームに希望を残して去っていった。ただこの時点ではまさかの黄金期が訪れるほど、とは誰も思うわけがなかった…。

暗黒阪神 トホホ伝説[編集]

吉田第2期監督時代の終わりである1987年から野村監督時代が終焉する2001年までの15年間で、最下位10回に対しAクラス入りは僅か1回。これでもチーム順位とは別に球団のヒーローにでも注目できるのだったら、まだ救いもあった。昨今におけるあの球団のように。

しかしこの15年に及ぶ阪神暗黒時代は、藤村のオッちゃんは おろか江夏や田淵がいた頃のような楽しみすら全く無い、空虚な時代であった。下に記したのは大暗黒時代(1・2期両方を含めて)における諸種エピソード、そのほんの一部である。

  • 3連戦のうち1試合は勝つと思って3試合のチケットを取ったら、3試合とも完封負けだった。
  • 9回表を終えて5-0でリードしていながら、9回裏だけで6点を奪われてサヨナラ負けを喫した。
  • バースの再来・バース2世と評され、全く活躍せずすぐ帰国してしまう外国人選手が毎年きた。
  • ファン感謝デーで、2軍選手がたけし軍団と試合をやって負けた
  • ファンは完全に悟り、負けることを前提として試合を楽しみに来ていた。そして勝った時は猿の如く馬鹿騒ぎし、球場周辺は無法地帯と化した。
  • 負け試合を見に行ったことを「芝生鑑賞」「高校野球の下見」「西宮小・中連体の下見」と呼んでいた。
  • 「二度と来るか」と暴言を吐いて球場を去った観客が、翌日も変わらず球場へ試合観戦に来ていた。
  • 試合途中からテレビ中継が始まったとき、既に阪神の先発投手は降板していた。
  • シーズン中、3日に1回はファンを辞めようと思っていた
  • 1回の攻撃、1番和田豊の応援歌を歌い始めた時が、試合で一番楽しい時だった。
  • 甲子園に来たときの一番の楽しみは、トラッキーのパフォーマンスだった。
  • 周囲がまだ半袖の時から始まるストーブリーグ。それもまだ着始めた頃
  • 高校野球常勝で知られるPL学園より弱いと、毎年のように騒がれていた。
  • そのおかげで、「最下位はサッカーリーグのようにPL学園とリーグ入れ替え試合を行え」という冗談が冗談に聞こえなかった。
  • G党アナウンサーは1985年、「阪神の好調はハレー彗星(の到来)と同じくらいの珍事」と言ったが、それが真実に思えた。
  • 毎日のように負けていたので、デイリースポーツ大本営発表もどきの報道をした。2連勝でも「破竹」扱いされた。
  • 前日に3回持たずに降板させられた先発投手が、翌日には6回から敗戦処理として登板していた。
  • ヒーローインタビューで新庄剛志が「明日も勝つ!!」と発言すると、次の試合から怒涛の12連敗
  • 絵馬や短冊に「阪神優勝」を書き願う人がいた。「優勝はしなくてもいいから5位になってくれ」というものもあった。
  • 父親に阪神が弱い理由を尋ねたら、「阪神だから」と一蹴された。
  • 読売巨人戦で3タテすると、半年間はその話だけでファンが盛り上がることができた。
  • 東京スポーツに「評論家によるセリーグ最下位予想で阪神1位」と書かれた。
  • 1992年の2位を「準優勝」、最下位脱出を「セリーグの5本の指に入った」、最下位を「6位入賞」ないし「定位置」と呼んだ。
  • 序盤で一時的に首位となった時、それに最下位を抜ける度ごとにファンが道頓堀へ飛び込んだ。
  • やけくそで1998年4月1日に監督が「阪神優勝!」というエイプリルフール記者会見をしたが、その年も最下位だった。
  • ファンが球団に抗議するため、応援を一時やめてしまった。スタンドはほぼ無人状態となった。

黄金時代の到来[編集]

2002年監督が故メイショウニシモトすらなれなかった日本一を仙台の球団で一番目になった人に替わり、落ち目のお荷物乳酸菌に逃げた正捕手タックル山田を追い出した正捕手が壊されるも、最下位は脱出できた。

2003年、前任のツンデレのジジイによってチームに加えられた選手(赤星憲広藤本敦士)たちと、覚醒のきっかけを与えられた既存の選手(今岡誠・矢野輝弘・井川慶)たちがようやく本領を発揮する。さらに赤いとこから拉致してきた鉄人僕らのジェフジェロッド・リガンら新たに加わった戦力と、歯車がガッチリ噛み合う。シーズンの序盤からラストスパートのような勢いで飛び出したチームは、あれよあれよと言う間に18年ぶりの優勝を決めたのであった。長い間ファンが待ち焦がれたあの優勝は前任者によってもたらされたものであり、決して星野の手腕だけで導かれたものではない。ええ、星野による長嶋巨人的な金満補強をファンは無視します[1]

2004年からはどんでんに率いられ、再び脅威となったに挑むことになった。どんでんを始め、藤川大和今岡など面白フェイスが多い球団となった。

2003年に続き2005年にもJFKの大活躍や今岡の超ビッグバン大確変などによりリーグ優勝を果たした。この頃は1990年代まで栄華を誇っていた大男集団がガタガタ状態(2001年からの5年間で監督が3回交代し、球団初の4年連続V逸を記録する)に陥り、「虎と大男が入れ替わった」・「虎の時代の到来」と呼ばれもした。しかし、2003年の日本シリーズでは「野球をするタコ」こと王貞治率いるホークスに惜敗。特に第6戦はサニックスの宗政社長(当時のホークスのヘルメット広告主)が始球式を行い、そこで阪神が勝っていれば「御前試合で阪神優勝」という瀬戸際だったため、サニックス社員は本気でgkbrだった。2005年のそれについては後述する

2007年は大男や竜との混戦の中で、両者から引き離されたところを連勝で追いつく快進撃を見せたが、その後同じペースで今度は連敗を重ねて3位で終わり、プレーオフでもそれと変わらない試合を見せ、あっけなく終戦に至った。

その反省か、2008年は序盤から一気に飛ばした2003年と同様に、一時は他球団ファンを沈黙させたかに見えたが…これについても詳しくは後述しよう

2005年 秋の悪夢[編集]

岡田阪神の惨敗に、ファンから吹き上がる「怨嗟の気」。球場の外からもハッキリと見てとれる

2005年、リーグ優勝を果たした阪神。ファンのみなさんが「お口の恋人しばいたれ」を合言葉として千葉の黒船との日本シリーズに臨むべく、ペナントレース終盤戦での競り合いを勝ち抜いたチーム状態そのままに、意気揚々と千葉へ乗り込んだ、はずだった…。

それが蓋を開けてみたら、初戦から投手陣が滅多打ちにされ、2戦連続の10失点という公開処刑に遭う大惨事(うち1試合は霧によって処刑を途中終了してもらった)。

「まだ2試合くらい大丈夫。さぁ甲子園へ戻って仕切り直しだ!」という展開を選手もファンも、誰もが期待した。ところが、またしても10失点。これで3戦連続である。

その3戦とも、あまりに一方的な試合内容の為に、出番を失った相手チームの幕張の防波堤・コバマサでさえも吃驚な、炎上ショーであった。そうなると、もうお手上げ。「逆立ちしたって勝てっこない」という暗黒時代さながらの空気に包まれてしまったのである。

結局、4試合で たった4点しか奪えぬ一方で33失点を喫してボロ負けなんJ歴史に残る大敗となった。

これのどこが日本シリーズなんだ(怒)!!」とのお叱りを浴びるほど、何の見所も無い、お恥ずかしい試合の数々であった。

終始そんな展開だったので特に大阪辺りでは、この話題を出すと、もれなくバキューン!![2]

なお、このシリーズがトラウマになったのか、次の日本シリーズ出場まで9年もかかってしまった。(まぁ、力がないから出れバキューン!!)

詳細は2005年の日本シリーズを参照。

2008年 秋の悪夢再び[編集]

日刊スポーツグラフ V逸記念号「何がVやねん!タイガース」

2008年、ダメ虎集団はペナントレース序盤から飛ばしに飛ばし、最盛期には宿敵の大男集団に13ゲームもの差をつけ、今年こそ間違いなく優勝やで!! と教徒を狂喜させた。

しかし、夏が過ぎ赤とんぼが飛ぶ頃に雛見沢症候群を発症し、運命の10月8日にトキオドームにて雛見沢症候群L5を発症し、監督以下全員が喉を掻き毟って禁則事項です。大阪では虎キチ数名が同じく道頓堀に飛び禁則事項ですカーネルおじさんは安堵したが……。

そして10月10日、なんとか生き残ったバカモノと恥さらしどんでん及び選手達は横浜までノコノコ出かけといて、粛清中の鯨に殺された為、13ゲーム差をひっくり返されて大男集団の優勝に貢献するという、プロ野球史上に末代まで残るであろう「どんでん返し」を行った。なお監督のどんでん(返し)はファンにせがまれ切腹を行ったらしいが、誰も気にしない。だけどセ・リーグ2位の監督が引責辞任したというのに、Bクラスの監督が誰一人辞めないという事態は、ちょっとよく解からない。

そしてクライマックスシリーズ1stステージにおいて、俺竜軍団に案の定、止めを刺された。その後どんでんは選手達に囲まれ、 清々しく宙を舞った後に、 地面に叩き付けられて禁則事項です

第3次低迷期[編集]

真弓政権

どんでんの切腹辞任に伴い、OBの真弓明信を31代監督に迎えた。優勝争いに絡めると評される一方で、主力選手の高齢化で機能低下も心配されるのに、肝心の控え若手・中堅は台頭不足という長年の懸案事項を含んでいるチーム。今思えば、展開によっては転落する危険も含んでいたが、当時は誰も全く危惧しなかったチームを、2年契約の真弓新監督に託すこととなった。

その1年目、2009年についてはこちらで。

阪神タイガース/2009年も参照。

2010年 優勝に手が届くことはありませんでした[編集]

4月の東京ドームでの一戦で5本塁打を浴びせて逆転勝ちを飾るなど、前年の貧打は何だったんだと小一時間問い詰めたくなるほどの打棒爆発に酔いしれたお祭り集団。岩田どころか能見すら居なくなる先発だけでなく、前年同様に継投を誤まる首脳陣の悪癖に振り回される投手陣の惨状に見舞われようとも打ちまくった打撃陣。そして8月の3連発には、ついに今年こそ優勝や!!との思い込みの強い阪神オタクの望みどおり、前年の惨状に反してAクラス確実どころか首位にだって上り詰めた。中でも、自力で獲得した新外人のマット・マートン毎年のようにバースの再来などと呼ばれるダメ外人しか連れてこない阪神フロントにしては珍しく大活躍、あの内野安打の達人ですら達成できなかったシーズン211本安打という新記録を公式戦数が達人の日本在籍時代より14多いとはいえ達成するなど、阪神にとっては久々の優良助っ人獲得となった。

しかし、打棒爆発のリバウンドだけでなく、恒例となった秋口からの失速も重なると、ダメ監督の真骨頂“黒魔術”采配が威力を発揮。9月には、マシンガン代走・代打の使い過ぎで『投手に外野守らせる』とか、一度に5ポジションで選手交替させたため『金本の使いどころを忘れる』といった、素人を思わせるダメ采配を次々と披露。おかげで竜軍団に1位を譲ってしまう。それでも残試合の多さに救われて2位なのに他力本願でM8を点灯させたものの、9月30日、この年も転売問題を噴出させた球団の4番・自球団のファンが期待しているときは打てず、相手球団のファンが最も望んでいない時に限って本塁打を放つ男火の玉ストレートが惨敗。しかもこの試合は、よりによって黄金時代の礎を築いた功労者の一人である矢野の引退試合でもあった。そんなことから阪神ファンは2008年10月8日同様、絶望の底に叩き落とされた。このショックの影響はファンばかりか選手へも影響したようで、翌日10月1日の貧乏な鯉相手の戦にもボロ負け、あっさり白旗を上げた。結局、10月2日にはヤクルトに負けときながらニコニコ胴上げ、という味噌カツ軍団の屈辱を許した。

それでも、あの2年前の悪夢を思い出さないようにしながらクライマックスシリーズで挽回を期した。幸いにも大男軍団の自滅によるタナボタで2位を確定し、数年に及んだ改修工事を終える本拠地甲子園での1stステージ開催で再スタートできる好条件を得た。

にもかかわらず、いざ試合が始まってみると阪神の投手陣はメッタ刺し。1戦目はあっさり敗戦、2戦目ではまたまた給仕サヨナラ男に打たれて屈辱的な逆転負けを喫し、結局は2年前の2008年同様に2位なのに2ndステージへの進出を逃す結末と終わった。しかも、大活躍だった赤鬼さんや上述したイチローを越えた男が涙を流しているというのに、緊張感無くニヤニヤ笑う眼鏡の監督は恥も外聞もなく、コーチング・スタッフすら変えぬ続投表明、球団も契約をもう2年延長したという。それでいて2軍の優勝監督だけクビである。わけがわからないよ

ちなみに、ほぼレギュラーのスタメンで何も賞を獲れなかったのは新井貴浩だけである。

2011年 統一球導入、そして・・・[編集]

『あれだけ猛打を奮った打線に、先発投手陣が戻ってくれば優勝や!!』と安易に信じたお祭り集団。しかしフタを開けてみれば公式球改正の煽りで超絶貧打、ダイナマイト打線が『タコ焼き打線』[3]に成り下がった。4月を3割3分強の25番と言う選手を除けば、2割がやっとという打者ばかり。中でも5番ブラ砲・6番ジョージ・7番鉄人の2割未満トリオが数少ない好機をブッ潰し続けた。

得点を挙げられぬ中、キャンプも満足に消化できず明らかな調整不足というジョージと鉄人が、リード・守備面でも疫病神。そこへ5月からはダメ監督の黒魔術も本領を発揮し始め、横浜に3タテを食らうほどの負のスパイラルに陥る始末。福岡や札幌までタコ焼き売りに行った結果、6月6日には借金を最大11(42試合で26敗1分)にまで膨らませた。

おまけになんちゃってアイドル軍団顔面センターさんからも打ち切り映画の宣伝イベントで「阪神タイガースさん」への改革案を出されるなど散々だった。

しかし、その屈辱的な言動に躍起になってか、阪神の最終兵器の打撃復調と共に無双状態だった金持ち投手に黒星をつけるなど中途半端にチーム状況が上向いた。……が、前年に西村をぶっ壊して以降再三「二の舞投手を作るな」との周囲の忠告を無視し榎田酷使を実行、それに拍車をかける様にロリコバ・久保田ンゴが次々離脱、結局榎田もボロ雑巾と成ってしまった。こうなっては渡辺だけが頼りの綱で、球児の持ち腐れとなってしまう。

それでも燕の失速のおかげで一応首位争いに加わった8月では8月恒例の死のロードでは前年同様ひとあし早過ぎる猛スパートを見せ「こんなんやってたら9月以降もたんやろ…」「真弓ちっとは考えろや!」「山脇・久保、何してんねん(怒)」と言うファンが発する罵声入りのいやーな予感は的中し、9月には前年に続く珍事“代走・西村”を発動させた黒魔術采配に代表される迷走っぷりでお察し下さい。特に9月の神宮にて竜しか眼中にない燕達との対戦では6戦全敗、そして5試合が逆転負けというハプニング、しかも燕の不良品にすら抑えられる始末。

そのせいか、大阪ドームでの阪神主催試合にて観客がたったの12000人ぽっちと言う、およそ昨今の阪神主催試合とは思えぬ動員数を、本拠地甲子園でなくてもファンのお膝元たる大阪市内の球場で記録するなど、球団の置かれる環境が暗黒時代のそれ程度にまで落ち込んだ。ちなみに大男軍も似たような成績のためか、東京ドームでの最低観客動員を記録したが、それでも32000人である。いかに摂津の人間が無情か、この面からもお分かりいただけるであろう。

それでも珍ヲタの皆さんが完全に応援をやめてしまわない理由は、ひとつ上を走る大男の集まりが、なかなかCS進出を決められない為であった。そこへ、球団への苦情電話の多さに耐えかねた無能な阪神フロントからチームのCS進出失敗ならば、真弓監督を解任という当初の方針を撤回する発表である。さあクビにされちゃたまらんとダメ監督がいい意味で本領を発揮し始めた。

やれるんなら始めからやれや!!!と言うのがファンの共通意見であったが……

シーズンも大詰めのVS虎の3連戦。同じ時、東京ではのカードが組まれていた。CS出場を目指す我が阪神には是が非でもヤクルトに勝ち、中日に3位巨人を倒してもらわねばならなかったのである。そこで利害関係の一致した竜と虎の通称「竜虎同盟」が組まれた。…筈であったが、事件が起こる。約束通りツバメを3タテしたタイガースのお膳立てにより、乳酸菌軍団から首位を譲ってもらった尾張の竜軍が、知らぬ間にマジック2を点灯させながら参勤交代で赴いた現代の江戸城にて、あろうことか東京ドーム・バッティングセンターを開業。大男軍との3連戦で3戦合計23失点を喫して3連敗したのである。これにより自力でCS進出を確定した読売ジャイアンツに対し、同日の試合をする前から真弓政権2回目のBクラスも確定したタイガースであった。

中日2連敗の報にはお祭り集団も達観し、ダメ監督が解任されるならと3戦目では生まれて初めて巨人を応援した等と言うファンまで生み出している。

ちなみに中日はその後、横浜にて来シーズンからはファンの課金状況によって成績が左右する球団と引き分けたのち、燕軍団の自滅により球団史上初のセリーグ連覇を決めた。結局のところ、お察し下さいなお家騒動を抱えた狡猾狸からしてみれば中日が優勝さえできれば後のことなどどうでもよかったのである。

結局、日本人年俸総額35億と言うをも凌ぐ金満っぷりを見せ付け、最多安打・最高出塁率・打点王・セーブ王を擁し、かつリーグ最高チーム打率を残したにもかかわらず、3位にすら届かぬBクラスの4位に加え、借金を抱えたままシーズン終了

それでも「ダメ監督解任なら来季に期待できる」「打つだけではあかんねん、もっと投手陣に重きをおいて立て直さな」とファンが妄想する中、次期監督には真弓政権下でも力量の怪しい打撃コーチを内部昇格。第3次暗黒期の到来を匂わせた。

押し寄せる世代交代の波[編集]

和田政権

ダメ戻りしつつある現状に胡坐をかく、これまたダメな球団運営陣は、コーチから昇格させた和田豊を32代監督に指名した。現役時から幹部候補的あつかいで、個人成績なら1流っぽかった。ただ、あの暗黒90年代の選手である。それにチームは、大ベテラン・鉄人の劣化問題に見られるように、前任・前々任監督の見過ごしてきた“主力の世代交替”は遅々として進んでいない。また、中継ぎの再建など、多くの難題を抱えている。果たして、どんな戦果を見せるのか...。

詳細は2012年の阪神タイガースを参照。

2013年 二年目のジンクス?[編集]

次世代のエース藤浪晋太郎を引き当て、金本城島の老害二人に引導を渡したスパイス和田。反抗的だったアゴも球団を去り、代わりに無能陣はアメリカ旅行帰りツンデレどんでんの批判の的であった人も獲得。至れり尽くせりなオフを満喫していた。 この年は疫病神をGMに招聘、和田中村の暗黒タッグでシーズンを進めていくこととなった。そしてGMがスカウトの助言を無視し、ヤニキがいなくなり余計に辛くなった人の代わりのサードである助っ人外国人1打席で2度死ぬ通販コーヒー会社も獲得。かねてよりメンチの再来と騒がれていたが、結果はお察し下さいむしろ打点を上げてるだけメンチの方が活躍したような……

昨シーズン5位と、無能と蔑まれた真弓監督以下の成績を叩き出したスパイスなのだが、何故こんなにも余裕があるのかと言えば、それは闘将星野以降続く就任二年目の成績にあった。上述した2003、2005、2010ともに各監督の就任二年目の成績なのである。つまり和田は寝てようが遊んでようが、それこそ松田聖子似の熟女との不倫がバレようがそれが日曜昼の全国放送で晒されようが挙げ句甲子園の阪神ファンから奈々コールをされようが、阪神の躍進は既に折り込み済みなのであった。スパイチュ騒動については各自ググられたし。

昨シーズンとはうってかわって大男の集まりが序盤から絶好調を維持した今年。一時失速したときこそ首位の座を奪取したものの所詮は一日天下、巨人相手に三タテかましても反対に三タテ食らうどころか横浜にも本拠地で三タテ食らうダメっぷりで結局上に追い付くには至らなかった。

では下に落ちるかと言ったらそうではなく、阪神以外の4球団が徒党を組んで巨人に白星を供給し始めたため、世にも低レベルな三位争いが勃発。ここ最近でようやく、赤貧球団が抜け出すも、お得意の借金からは、抜け出せない。結局上から10ゲーム離され、大男の独走で、2013年も幕が閉じた。最後に14年ぶりに7カード連続負け越し、10カード連続勝ち越しなしという悲惨で、何とも惨めな結末であった。そのため2位確実と言っていたファンもおかんむり。とりあえず、2位です。これが躍進?前年5位から2位なので、間違いなく躍進です。 4度目の正直とか言って出場した、下克上シリーズは地元甲子園のスタンドの半分をまっかっかにされたあげく、あっけなく2連敗。これで下克上シリーズ1勝8敗ということになった。でも桧山が有終の美を飾ってくれたおかげでCS敗退そのものは終わりよければ全て良し精神で結構許された。 オフには欠陥商品阪神ファンが1番や!!な人第3回WBCの日本代表の内野守備走塁コーチを招聘した。さぁ2014年スパイスの辞任なるかそれとも…

2014年 さぁ、勝負の3年目!!熱くなれ!![編集]

矢野・鉄人・代打神と黄金時代を支えた選手の引退により野手陣の世代交代が進み始める。しかし、投手陣には能見・安藤・福原とベテラン勢が居座っておりこちらの世代交代も急務となった。

和田就任3年目、結果を残さなければクビ!和田阪神の運命やいかに…?

詳細は2014年の阪神タイガースを参照。

2015年 80周年メモリアル![編集]

80周年メモリアルイヤーの幕開けだ。スローガンが熱くなれ!!からas oneに変わったのは謎だが、鳥谷の残留も決定した。Go for the Top as one !!

詳細は2015年の阪神タイガースを参照。

···という意気込みだった阪神タイガース。開幕3連勝も、他球団に潰され、一時的に最下位に落ちた。もう駄目かと思ったものの、終盤に入ってからまさかの猛虎の追撃の発動。最終盤まで首位争奪戦に参加したが、やはり笑いの神は見放さない。結局3位でクライマックスシリーズ進出が決定したが、因縁の巨人からのフルボッコ。進撃でもないほどの巨人を、なんとか王者燕は食い止めた。僅か4年で消えた和田政権。

金本政権

2016年 超変革[編集]

鉄人・金本知憲が監督になり、更に守護神?球児が虎復帰。今年は優勝間違いなし、と思っていたらまさかのBクラス圏内を彷徨うわ、本拠地甲子園で読売に1勝もできないわでお察し下さい。(2016年9月現在)

拉致事業[編集]

近年、球団やファンはドラフトでの意中の相手を勝手に「虎の恋人」と呼び、勘違い野郎の様な思い込みから告白指名をするが、肝心の意中の相手には逃げられる、もしくは他球団からねるとんでいう所の「ちょっと待ったコール」での競り負けが多々ある為、「有能な若手が獲れないのなら、他球団から獲ればいいじゃない」と考えるようになった。

巨人の補強は汚い補強、虎の補強は綺麗な補強」を合言葉に拉致事業によって積極的に戦力を拡充する動きで躍起になる。

しかし、「綺麗な補強により選手をピンポイントで補強しているので巨人とは違う」とバカ発言をしているが、巨人ばりに手を広げて獲得に乗り出すも条件面でメジャーや巨人に負けて選手の獲得を逃しているのが現状である。要は巨人ほど資金力がなく選手が取れなかったことに対する壮大な負け惜しみである。 しかし、清原に巨人よりいい条件かつ「ユニホームを横縞にしても良い!」と口説いたのにあっさりNOと言われていた事が発覚し、近年では2003年以降にわかファンの観客動員数が増えたため収入がうなぎのぼりになり、巨人を超える勢いで年俸総額がインフレしている。

主なターゲットは球団に資金力がない広島東洋カープの選手であり、金本アニキといった選手を拉致し縦じまのユニフォームを着せることに成功した。この獲得はチームに大きな変化を呼び込み、この成功に味をしめて広島の四番を拉致することは球団にとってのライフワークとなった。

2004年オフにはアニキ亡き後の広島の四番を務めていたシーツを札束攻勢で獲得、同年よりクリーンナップに広島の四番打者を二人据える、俗に言う“広島東洋タイガース”方式を確立することとなる。

2008年は衰えたアンディ・シーツを引退させ、北京オリンピック代表監督となった闘将自らがFA行使前の交渉禁止期間中であった代表組公開練習中にタンパリング交渉に挑み、またしても広島の四番を務めていた嘘泣き入道を獲得。

見事“広島タイガース”方式の継続に成功した。なおこの体制は2012年までの9年間続き、同一球団の複数人の四番打者が9年間もチームの主軸となる大変珍しい事態となった。さすがの巨人もそこまでしない?あーあー、聞こえんなぁ!!

専門家によると積極的にを取り込むことによってチームカラーの黄色を薄め、オレンジに近づこうとする深層心理が働いている面も強いと分析している。これは関西独特な関東コンプレックス(劣等感)の衝動であり、上記の汚い補強といった罵倒や関西の中心地大阪の国旗などもいわゆるツンデレである。本質的に巨人と阪神は極めて近い存在であり、それゆえ表面的には反目しているといえるだろう。原辰徳が監督をいっぺん辞めさせられたとき、甲子園で星野が何をやったかを考えれば一目瞭然である。

このように広島から選手を拉致しているイメージが強いが、実は北の荒熊からも、かつて巨人の軒下を借りていた頃からちょくちょく選手を拉致している。具体例は八木ほどじゃないけど代打男とかラガーかわいいよラガーとかポロリ後逸フリーパスの駄馬とか。最近では外国人監督の顔も見たくない本名・秀雄10分の1の年俸(2008年当時)の選手で一本釣りするなど、拉致のテクニックも向上している。

2010年オフには拉致事業も本格化。対象を楽天・ロッテなどに拡大し、藤井彰人とかコバロリとかとってっちゃった。

さらに2012年オフには、アメリカ旅先帰りツンデレ、しまいには、どんでんの批判の的であった人を獲得し、チーム内のホームランキングを解雇するという始末。

2013年オフは広島東洋タイガースの脱退を計り、中日タイガースを目指す模様で川上、中田賢を狙っていたが、再契約と鷹にかっさられる始末。また、2011年から始まったキャッチャー他軍政策を今年は、日ハム鶴岡や鷹の山崎を対象に進めていたが、こちらは又も鷹、それと牛にかっさられた。そのため、あきらめたかに見えたキャッチャー他軍政策。やっぱり黄色いおもしろ球団は何かをやってのけるのだ!!2014年1発目の補強はFA補償。そう、あの久保さんの代わりもんである。その選手の名はなんと鶴岡一成 。はっきりいって、捕手より投手が心配なチーム事情に36歳の中堅(他球団ではベテラン)キャッチャーを獲るなんて…悩んで、年越して、これかよと思わせる力は2014年になっても変わらなかった。もしくは、そこまでして、ハマのキャッチャー情勢を悪くさせたいのか。100%理解不能な政策である。これは、あくまで政策であり、どこかの金満球団のような欲しい、欲しい病とは、多分訳が違う。外国人でも2013年が2009年以来の、いやそれ以上の駄目害人だったため、楽天の5番の方オリのコリアンを狙っていたが、あきらめて、マウロ・ゴメス内野手と契約が合意した。福原が救援成功率100%だったのにも関わらず、ストッパー不在と叫び、虎史上初の韓国人♂不安を獲得し、逆にもしかしたら守護神になっていたかも知れない人が星軍団へ逃げていった。

2014年オフ、今年は大豊作になるはずの年であった。中島裕之、不思議ちゃん関東大好き君宮西、山井…。とにかくかのスポーツ紙ではかねてから補強、補強の一点張りであった。しかしフタを開けてみたらどうだろう。まず、ドラフトでは予定通りに虎の恋人・有原外され。次の山崎もキヨシの陰謀により、当たりくじの入ってない箱に手を突っ込まされる始末。山井はなぜか残留。それなら地元が関西の宮西や!と思ったら残留。関東大好き君は、FA時「どこでもフリーで」と言ったのにも関わらず且つ千葉という関東にいたにも関わらず「関東が好き」と交渉する間もなくふにんき球団へ。メジャー帰りは1人は毎年獲るよ制度影響により、中島に背番号6か31、コーチ手形、4年12億というまさかの銭越え交渉を行うも、西武時代に「あいつらあり得ない」と乱闘時に言った大阪の猛牛にかっさられる始末。そのため、制度成立のため、火の玉ストレートムネリン辺りの獲得を狙うも失敗。もうこれしかないと臨んだ不思議ちゃん争奪戦では3年後ならポスティングを認めるという?な交渉を持ちかけ、結局失敗。且つ残留。騒ぐだけ騒がしといて後はポイの不思議ちゃん劇場だった。失敗時、負広は語った。「この案件は雲を掴むような存在だった」と。だったら獲ろうとするなよ!!さらに、焼き鳥がまさかの海外FA行使。これにてTSUYOSHIの中堅コンバートプランが出てくるなど大騒動。結局鳥谷は残留を決意し、騒動は収束した。結果補強はトレードによる桑原、自由契約となった森越、それぞれ牛、竜のみというさみしい結果になってしまった…のだが鳥谷の残留が最大の補強であることは間違いない。

2015年オフ、就任会見で「現状を維持しながらの必要最小限の補強」を掲げ、脱讀賣を計るも結果失敗。中日のジェフを衰えてきたあたりで獲得。さらには、元火の玉ストレートをなぜか、夏場に獲得失敗したにもかかわらず、2年4億という破格で獲得。ちなみに、弱った火の玉が2年4億なのに、50試合登板し、大車輪の活躍を見せた安藤優也は、年俸ダウンである。半分分け与えろ。結局、フロントのぬるま湯体質は、社長が南だろうが四藤だろうが、オーナーが、白髪のジジイである限り何も変わらないことを証明したオフになった。

このような拉致事業を、球団紙であるデイリ~スポーツ(←これはタイガースが勝った時の表記)はこともあろうに予想して記事にしてしまうので、近年では阪神ファンからも煙たがられている。一説には、球団の拉致事業を助けるためのカモフラージュをしているという説もある(そのためか予想記事には「飛ばし」も少なくない)。

田淵幸一(西武内野手)、関川浩一(中日外野手)、北川博敏(近鉄内野手)のように移籍してコンバートされる捕手が多いといった特徴があり、これを世間では”タイガーマスク理論”と呼ばれている。

以上のように、近年では下記のような傾向のある球団経営を採っている

  • 高額年棒出してもあまり活躍せずリハビリばかりでコストパフォーマンス合わない選手を獲得
  • ネームバリューだけで拉致の対象
  • 脂がのってる時期を過ぎた下り坂の選手(一応巨人は脂の乗ってる時期の有名選手に手を出してた。)を拉致してくる

この時点でもはや、「綺麗な補強により選手をピンポイントで補強しているので巨人とは違う」なんて批判してた巨人と同等のもしくはそれよりひどい事業をやってる証拠であろう。なのでさすがに阪神ファンの皆さんも2012年オフにチャラ男ファックドゥミーの拉致事業を阪神のフロントが発表したときには、「これじゃ俺達が批判してたかつての巨人とおんなじことやっとるやないか…orz」、「そんな無駄な事業いらん!生え抜きの若手つかっとる巨人を見習わんかい!」と今までの自分達が行ってきた巨人への批判が自分達にブーメランとなって帰ってきたことにようやく気づいた様子だが、この話題を出すともれなくバキューン!!

摂津におけるタイガース信仰[編集]

虎教徒の活動一例

摂津、特に大阪市において虎は神格視されており、虎教のように信仰の対象にもされている。そして、同じ摂津(兵庫県)の西宮市聖地においては「虎崇祭」が3月から10月頃まで催され、いつも7回の攻撃前には、空にむかいコンドームを打ち上げて大男ファンを挑発している。なお甲子園での祭事中に吹き荒れるのは浜風であり、六甲颪ではない。六甲颪は彼らのキャンプ中に吹く風である。

関西のマスゴミも南海ホークスが消滅し、阪神が日本一を達成した1980年代後半あたりから、サンテレビを中心として阪神の報道一色であり、サンテレビで阪神の試合がテレビ中継された場合は、試合終了まで放送を延長するのが当然とされている。他の民放でも、普通に阪神戦のナイター中継を行っている[4]。ホームゲームはもちろん、 ビジター(アウェイ)ゲームもかなり中継しており、なんと自社のアナウンサーと解説者までそのビジター球場まで派遣し、放送するという熱の入れよう。阪神戦に限定するならば、CSやBSなんぞ契約しなくても、地上波で8割くらいは視聴できるため、阪神ファンの連中にとってはまさに関西は聖地である。またシーズンオフも何かと理由を付けて阪神の話題を取り上げており、他のスポーツのニュースは二の次、三の次である。もっとも阪神の暗黒期には近鉄・オリックスの話題も取り上げていたが、やはり中心になるのは阪神であった。この様に某北の国並みの報道管制を敷くことで、阪神人気を煽動している。

あれ?これって、まるで一昔のここの連中みたいな感じではないのか?その時代はそれを全国のマスコミがやってたから余計問題視されていたが。そもそも阪神をとりまくマスコミ状況がこうなったのもここの連中がもともとの原因である。詳しくは頭の固い百科事典を参照。

また、2006年に村上ファンドの攻撃を星野組幹部が退けた後、阪急電鉄を核とする阪急王国が阪神間の秩序を取り仕切る人間たちの属する組織(阪神電気鉄道)を乗っ取ったため、球団名を1961年まで採用していた「大阪タイガース」に戻そうという動きが見られたが、「阪神」の語は親会社の組織名のみならず、「阪神地域」を象徴するものであることから、兵庫県全体、特に神戸(サンテレビ・デイリースポーツの所在地)や西宮(上述したように甲子園のある地)より猛反発を受け、無かったこととされた。

ただし、畿内でも京都府では、「昔から『アンチ阪神』の傾向が強く、『巨人ファン』になる人が多い」との話がベバリッジ報告によって記されており、また最近では「地元のエレベータークラブのファンになる人も出て来ている」との話もあり、無視してもいい。 というか、そもそも関西マスコミの阪神偏向報道がひどすぎて、お膝もとの阪神地域でも、アンチ阪神はいる。

シーズン後半は大阪のあちこちの商店街などで阪神の応援幕が垂れ下がっているので、間違ってターバンにしてしまわないよう注意が必要である。店内までもが阪神色に染まっている店も存在し、他球団ファンはシーズンが終わるまで他地域に疎開する。

球団名についての阪神地域民の認識[編集]

上でも若干触れたが、阪神甲子園球場のある西宮市の住民に対してだけでなく、尼崎市芦屋市神戸市など阪神地域と総称される一帯の人々に対して、「『阪神タイガース』より1961年以前のチーム名である『大阪タイガース』の方が良い」などというと、彼ら全員を敵に回すことになるため、注意が必要である。

彼らは「阪神タイガース」の「阪神」は「阪神電気鉄道の略」ではなく、「大阪と神戸、およびその中間地帯」だと認識しており、「12球団中、唯一社名を冠していない球団が阪神タイガースである」と固く信じているからである。

よって「阪急電鉄に買収されたから『阪急タイガース』に改称しろ」とかいうのも、やはりタブーである。しかし昨今の選手買収活動を「阪急の悪影響」と批判するのはOKらしい。

ただ、そんなことを言うのなら、『中日』ドラゴンズ(中部日本)や『埼玉西武』ライオンズ(西武蔵野)も社名を冠してないような気がするのだが、自分の贔屓チームこそ唯一にして特別であると痛々しい勘違いをしている阪神ファンに理解を求めるのは酷というものである。

主な選手[編集]

阪神タイガースの選手一覧参照

主なファン[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ちなみに、監督に星野を推薦したのはツンデレのジジイだが、その理由は「選手を殴ってくれるから」という一点だけであり、采配についてはまったく評価していない。それどころか「島野がいなければダメ監督」と今でもあちこちで言っている。これに限ってはある意味デレツンである。
  2. ^ しかし日本一阪神が嫌いなテレビ局は2010年の日本シリーズ中継で、この時の公開処刑場面をしつこいくらい繰り返し流し、ファンのトラウマをこれでもかこれでもかと掘りまくった。ついには泣きながら「何でや! 阪神は関係ないやろ!!」と叫んだ者もいたという。
  3. ^ 0の並ぶスコアボードを福本豊が『たこ焼き並んどるみたいやな』と評した事がある。それに由来。
  4. ^ かつて地上波の野球中継は巨人戦しか放送してなかった日本の他の都道府県では、ナイターの巨人戦中継見れる機会なんて半年に1回あるかないかが今の現状であるのとは対照的である。

関連項目[編集]

タイガース関係
野球全般関係
組織・地理関係