阪急王国

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阪急王国
Hankyu Kingdom
阪急.jpg Flag of None.svg
(国旗) (国章)
国の標語 : 人生は阪急から阪急へ・・(独立時)
阪急王国の位置
公用語 日本語(関西弁)
首都 池田市
最大の都市 大阪市
指導者 不明
主権者 角和夫
首相 不明
面積
 - 総計
 - 水面積率
世界第xxx位
不明平方km
不明
人口
 - 総計(不明年
 - 人口密度
世界第不明位
不明人
世界第xx位
不明人/平方km
政府 不明
国民的な英雄 不明
独立
 - 日付
1907年6月
通貨 日本円 (通貨コード不明)
時間帯 UTC UTC+9 (DST: なし)
国歌 阪急のCMテーマソング-
宗教 阪神タイガース教
国際電話番号 なし

阪急王国(はんきゅうおうこく)とは、阪急電鉄初代総帥(国王)の小林一三が、大阪府兵庫県の一部(阪神間及び北摂平野…俗に阪急平野)に構築しようとしていた独立行政体(国家)のことである。後には、それに京都府も含める動きへ発展した。

その独立宣言は「人生は阪急から阪急へ・・・」で、その名の通り阪急沿線だけで完結する生活基盤を構築することにあった。

阪急が構築したもの[編集]

  • 住宅地 - 阪急が路線を開業させた際、同時に宝塚線から神戸線、それにその支線にあたる地域までのほぼ全域にかけて開発された。芦屋市六麓荘町西宮市夙川沿岸のように、民間が開発に手を貸したところもあったが、これは電車の乗客を増やす効果のみならず、最終的には独自の文化圏を構築するに至り、国民意識を向上させた。
  • 学校 - 同じように、大阪へ向かうのとは逆方向の流れの乗客を増やすため、幼稚園小学校・中等学校(今の中学校及び高等学校)・専門学校大学に至るまで、様々な学校が誘致された。神戸市から西宮市に移転した関西学院大学などはその象徴で、昭和期までに阪急今津線阪急甲陽線が「通学路線」へ発展している。
  • 商業施設 - 大阪の「阪急王国」への入り口となる梅田駅に設けられた百貨店を始め、沿線に商業施設を多く開発し、それまで沿線から大阪や神戸の市街地まで買い物に向かっていた客を、沿線だけで移動が完結するようにした。
  • 娯楽施設 - 箕面市動物園を設け、宝塚市温泉地と遊園地を開発したのを手始めに、六甲山の開発、西宮北口駅前の西宮球場開発などを実施。百貨店などと同じく、沿線だけで移動が完結するようにする試みであった。
  • 興業 - 宝塚に宝塚歌劇団を設けた他、東宝映画の母体も開発した。
  • 介護 - 高齢になると利用頻度が増えるバスで繰り返し車内CMを流すことで、アルツハイマーになっても「阪急ケアサービス」を指名させることに成功。さらに、車両整備で得たノウハウを介護にも活かし、きめ細かいメンテナンスを可能とする介護は、「阪急方式」として大手介護事業者にも一目置かれる存在である。
  • 墓地 - 宝塚線沿線の中山寺一帯で開発を行った。正に「生誕から最期まで」である。

王国民の一生[編集]

阪急が開発した沿線で生まれて沿線の学校に通い、就職は阪急の傍系会社へ。結婚後の新居も阪急の沿線に求め、行楽も沿線で済ます。そして老後は系列の老人ホームに入り、亡くなったら系列の葬儀場か沿線の教会で看取られ燃やされた末に、沿線の墓地へ埋葬される。

阪急王国の最終予想形態、すなわち発展目標は王国民に会社の株式を保有してもらい、彼らのためにただで電車を動かすようにすることであった。

王国の統治区域[編集]

なお王国の首都は池田市である。出入国管理所は大阪市の梅田および天六西九条難波、神戸市の三宮元町、京都市の烏丸四条河原町四条大宮嵐山、更に宝塚市の近隣に存在する。ただし周辺が付属地となっている三宮・元町では、JR・市営地下鉄への出入りを除いて、実質的なチェックは既に行われていない。

付属地(植民地[編集]

  • 豊能町西地区、猪名川町(能勢電鉄)
    • 豊能町でも山に囲まれた東南地区や能勢町は阪急王国の植民地政策から逃れられている。特に豊能町東南地区は、同町西地区住民による工作および阪急王国の圧力により、長年に亘り不利な状況に立たされている。これを「豊能東西戦争」と呼び、現在は冷戦状態にある。
  • 神戸市北部、三田市三木市小野市(神戸電鉄)
  • 神戸市西部、明石市播磨町加古川市高砂市姫路市(山陽電気鉄道)

王国の歴史[編集]

建国と栄華[編集]

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阪急王国の創始は1910年、現在の阪急宝塚本線阪急箕面線が開通したときである。この頃は電気鉄道の敷設ブームであったが、阪急の前身である箕有電車が前述の路線を開業させた当時は、周辺にはまだ阪神電気鉄道京阪電気鉄道しかなく、それらのように都市間を結ぶ路線でないため、会社の経営は赤字が予想されていた。

そのため同社の専務であった小林が、沿線開発をして乗客を増やそうとしたのである。それが発展し、いつしか独立した文化圏を構築する動きへ発展していった。この点で列強諸国が植民地に持っていた、鉄道付属地に近いところがある(日本だと満州南満州鉄道沿線)。そして宝塚市は明治末には阪急王国屈指の大都市となり、宝塚歌劇団などをはじめとして、「阪急文化」が花開いた。

しかし出だしは良かったものの、領土の拡張には様々な困難が伴っていた。

まずはじめに拡張策として掲げていた有馬温泉方面への延伸は、温泉宿の「日帰り客ばっかりになって宿が廃れるからいらん」という主張によって頓挫し、更に京阪電気鉄道と接続すべく大阪市内方面へ延長する計画も、市の自治権を侵すもの(市営モンロー主義に反する)だとして反対をくらい、断念した。

結局、阪急は残された拡大策として、神戸方面に目を向けざる得なくなる。しかしここには先行して阪神が存在し、これまた利権の侵略だとして、路線の敷設計画が出た頃から同社と抗争になった。

だが、そこは阪急の謀略が功を奏して阪神が敗北し、1920年に阪急神戸本線として西方進出を実現させた。なお、この際には伊丹市神戸市からも猛反対を食らっており、結局はビスマルクのごとく前者には阪急伊丹線というを与えて懐柔させ、後者とは16年間も持久戦を繰り広げて市街乗り入れという勝利を収めている。

その後、阪急は統治をさらに拡張すべく、宝塚市・西宮市辺りに新線(今津線甲陽線)を敷設する。その過程で西宮一帯は路線の接点かつ交点となり、阪急王国の重要拠点とされるようになった。しかし先行して同地域に利権を有していた阪神はこれを警戒し、甲子園の開発と路面電車阪神国道線)の敷設などをして、抵抗を試みた。阪急も応戦し、西宮球場を甲子園球場の近くに開いたりしている。これには、王国領の豊中球場で開かれていた中等野球(後の高校野球)大会を、阪神沿線の鳴尾→甲子園に持っていかれた恨みを、晴らす意味もあったのではないかと噂されている。

とはいえ、阪神間においては先に開発を行っていた阪神の権益が大きく、後進の阪急は思い通りに統治区域の拡張を行えなかった。結局、阪急は阪神が統治している海岸側ではなく、それまで無人地域で田園か森林・山ばっかりだった山側(園田塚口伊丹武庫之荘逆瀬川甲東園西宮北口(甲風園と昭和園)、夙川甲陽園苦楽園芦屋川六麓荘町岡本御影六甲山など)へアメリカの西部開拓のごとく進出し、現地を開発して利権を自ら造り出していった。

これに対して日本国は警戒し、自己(鉄道省、今の国土交通省)の運営する東海道本線に急行電車を走らせて妨害を試みるが、大きな効果は無かった。小林一三は「京阪神は国にやってもらわなくてよろしい。うちらで成し遂げて見せます」と発言し、正に阪急沿線は日本の秩序から離れている地域であることを指し示した。

しかし太平洋戦争中、沿線支配の機軸であった電力事業を阪神と共に奪われ、拡張は停止してしまった。おまけに大日本帝国の支配下に完全に組み込まれてしまい、京阪と合併して独立は阻止された。

同時期、小林一三は戦中戦後の二度にわたり、大日本帝国内閣へ入閣し、商工相、国務相を務めた。

戦後の盛衰[編集]

戦後、独立の動きは再び活発化する。そして京阪との分離に際し、京都市高槻市などの利権も獲得し、領土は大幅に広がった。

しかし国の独立阻止策も更に巧妙化し、阪神間では1970年から新快速を走らせて乗客奪取(→日本国への帰属化)を狙うようになった。阪急ではそのため、「敵の敵は味方」の発想で次第に対立していた阪神との関係を良くさせる方向に持っていき、1968年の神戸高速鉄道開業ではそれに山陽電気鉄道神戸電鉄も加え、「反国鉄連邦」(実質的には反日独立団体)を形成した。

だが中曽根康弘の影響で国鉄が解体され、西日本旅客鉄道JR西日本)が1987年に誕生すると、その抵抗もいよいよ危うくなる。折しも当時初代国王に取り入り養子となった公平王が即位したのもこの頃である。公平王はまだ阪急の栄光届かぬ茨木の山奥への屯田開発と、阪神沿線である西淀川沿岸の侵略を試みたが、バブル崩壊により失敗、多額の軍事費により1兆円の赤字国債を抱えてしまった。公平王はなりふり構わず車内での宣伝アナウンスを開始し、また特殊部隊をサラ金業者に譲渡した。さらに国家崇拝を強化するために、国章とHをあしらったサインをチューリップのマークをなぞった新国旗へと統合した。その後彼は現実逃避するかのように後に窃盗の濡れ衣を着せたことで知られる歌劇団にうつつを抜かし、関西財界では足利義昭と並ぶ典型的な愚王として認識されている。

その間、決定打が起こった。1995年の阪神・淡路大震災である。これにより日本国の手先―すなわちJRへの寝返りをするものが特に神戸線沿線で増加した。更に国鉄時代は全く影響が無かった、宝塚線沿線の利権も侵食された。

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「阪急・阪神経営統合」の項目を執筆しています。

そんな中、阪急では打開策として村上ファンドという投機筋の攻撃で窮地に陥っていた阪神に目を向け、遂には属国化した。これにより、阪神タイガースなど隣接する大阪民国などといった関西地方民全般からも支持される資源を手にした他、前述の通り対立の過程で権益が入り組み複雑化していた尼崎市・宝塚市・伊丹市・西宮市・芦屋市・神戸市一帯の組織(バスなど)をまとめることが出来た。

現在では反国鉄連邦を形成していた神戸電鉄・山陽電気鉄道・神戸高速鉄道、それに北神急行電鉄などにも資本的に影響を及ぼしており、阪急王国の付属地(属国・直民地?)と化すことにも成功している。大阪以西の統治では、JRの侵食を除けば何とか成功していると見てよい。2007年8月11・18日号の「週刊ダイヤモンド」においても、阪急王国に属する芦屋市・西宮市・吹田市が関西地方の住みやすい都市ベスト3に選ばれるなどしており、関西圏全体の「北高南低」を形成するに未だ貢献している(なお、4位と5位はそれぞれ生駒市守山市であった)。高槻市についてはお察し下さい

なお将来的には阪急京阪神近鉄南海グループとして、近畿関西)全体を統治下に入れる予定であるが、その主導権をめぐって三重県奈良県中心に近畿日本鉄道(近鉄)が治める近鉄王国と争うことが予想されている。

ちなみに、このCM内に21世紀の日本民営鉄道協会で言われる所のマナー違反とされる表現もあるが、これは誰も気にしない。関西ギャグと思えば良いのだから。

まあ、阪神電気鉄道も王国内に加わっちゃったしね。そこは、

Mikuru Asahina.jpg
ごめんなさい。ごめんなさい。
この時代ではお伝えできない事実が含まれていたため、対象箇所は消去しました。

関連項目[編集]