関東一円

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一説にはこのような形状とされる。

関東一円(かんとういちえん)とは、関東地方で流通しているとされる貨幣。どのような形状をしているかは不明。

概要[編集]

関東一円は関東地方で流通している通貨であるが、関東地方以外ではその存在は殆どが闇に包まれており、怪しい金の様に考えられることが多い。しかし旅行業者では「関東一円で遊ぼう」など旅行者への誘い文句があることから、関東地方では大いに流通していることが見て取れる。また関東一円で旅行者が充分遊べることから、関東一円に対して日本円数万円ほどの価値があると考えられる。また「関東一円で○○するなら株式会社××で!」と言う広告も多く、関東一円ぽっきりのサービスが慣習的に行われているほど親しまれた通貨であることが分かる。関東大震災の折りには新聞の一面に関東一円が壊滅状態との旨が掲載されて、震災による影響で関東一円の流通が壊滅状態になり、それが全国的に影響を与えていたであろうことが伺える。

関東一円の流通地域は貨幣価値により大小するため明確には定まっておらず、東京都神奈川県千葉県埼玉県は基本的に含まれるが茨城県栃木県群馬県ででも流通しているとの情報もある。簡単な方法では100万分の1縮尺の日本地図で東京を中心に1円を置いて収まる地域が関東一円の範囲とされている。

歴史[編集]

関東一円は平安時代には流通していたと考えられており、特に平将門に関して書かれている多くの書籍において「関東一円を手中に収め」「関東一円を支配し」と言う表現が散見することから、関東地方の通貨として大きな価値を持ち関東一円の鋳造権を握ることで関東の支配権を得ることが出来たと考えられる。平安末期には開拓が進むことで経済規模が拡大しており、関東一円を再び支配した源頼朝は、その経済力を背景に大規模な家臣団を率いて全国統一した。

室町幕府を開いた足利氏は宋銭や明銭の中国銭を利用した貨幣経済圏を形成しており、全国統一後に設置された鎌倉府は関東一円の流通を監視し影響力を抑えるために置かれたと見られている。しかし後期には、鎌倉公方と関東管領が関東一円を大いに利用し幕府と敵対することになる。戦国時代には後北条氏上杉氏が関東一円の鋳造権を狙って争いを続けることになった。

徳川家康が全国を統一し江戸を政治の中心にした江戸時代になると、経済の基軸通貨はとなり、将軍お膝元の江戸はもちろん関東全域で関東一円の勢力は弱まっていく。そして明治維新により成立した明治政府は円銭厘を統一通貨として制定したために、公式には関東一円は消滅したとされている。

現在[編集]

明治政府の通貨統一の後も実際には関東一円の流通は続いており、現在も関東一円は使用が可能であるらしい。また日本円との両替も行われており、その為替レートもニュースなどで天気を利用した符丁で情報が公然と発信されている。例えば「関東一円は雨模様」「関東一円は快晴です」は為替レートを表しており、この場合雨模様は関東一円が日本円に対して価値が安くなっており、快晴の場合は高くなっていることを示す、このように簡単な符丁で情報が公開されている。このことに関し政府からの抗議などは一切聞かれず公然と行われていることから、関東一円の取引は半ば黙認状態にあると考えられている。

一円以外[編集]

関東一円以外の貨幣は今のところ確認されておらず、関東一銭や関東十円があるかは不明である。「新宿ごえん」が上位貨幣であるとの報告もある。なお関西一円や東北一円などの通貨もあるが、関東一円に比べて知名度は低く流通も少ないと見られる。 ほかに多磨零円青山零円などの零円通貨が各地に出回っている。零円の通貨が一体どのような使い道があるのか不明だが、その種類も豊富なため町おこしの一種ではないかと考えられている。

白河以北一山百文[編集]

貨幣以外に侮蔑的な意味として関東一円の言葉が使われるもある。これは明治維新の頃に薩長同盟が東北地方を「白河以北一山百文 」と白河から北の山は一つで百文程度だと馬鹿にしたことが始まりで、これを癪に感じた東北の人間が、関東大震災で関東が大打撃を受けたときに「白河以北が一山百文ならば、今の関東は全部合わせて一円程度の価値しかない」と皮肉が言ったことによる。それが民衆に受けて「関東一円、白河百文、三途の渡しが六文で、貴方は私に文も無し」と言う詠み人知らずの世俗歌が流行った。

近年では2011年の福島原発事故による放射性物質流出で関東の地価が下がっており、これが昨今のニュースで「関東一円」との言葉が頻出する原因となっている。

関連項目[編集]

Wikipedia
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