長靴をはいた猫

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長靴をはいた猫(ながぐつをはいたねこ)は、戦国時代に長姉の嫁ぎ先を滅ぼし、次姉の嫁ぎ先を家臣に従えて江戸幕府二代将軍御台所となった江をモデルにして、フランスの作家、シャルル・ペローが書いた実録小説である。

題名[編集]

原題は"Le Maistre Chat, ou Le Chat Botté" 発音:ルメートルシャ ウ ルシャボテ。意味は「首領、または長靴をはいた猫」である。メートルのトは子音であり、トルで一音節である。よってタイトルもサブタイトルも四音節なのだが、日本語に「長靴をはいた」という意味の単語がなかったため、このような長ったらしく、かつ日本語の呼び名としてあり得ない邦題になってしまった。日本人が「おい、長靴をはいた猫」とか呼ぶか、普通?

これは中国文学で言えば「三国志」を「三つの帝国の歴史」、「水滸伝」を「水のほとりの伝説」、「西遊記」を「西へ向かう旅の記録」と訳すようなもので、欧米文学の翻訳者がまま陥る直訳主義である。"Den lille havfrue"(小さな人魚【女性名詞】)が「人魚姫」、"Le Petit Chaperon rouge"(小さな赤い頭巾)が「赤ずきん」なのだから、"Le Maistre Chat"も「ドラ猫大将」や「ニャンコ先生」でもよかったのだが、どちらも別の作品のキャラクターにつけられている。この責任の大部分は東映にある。

あらすじ[編集]

むかしむかしあるところに、三人のむすめをもった貴婦人がいました。貴婦人がなくなると、財産は好色な家来に横取りされてしまい、風車一台とロバ一頭と猫一匹しか残りませんでした。

「ロバと猫はと畜すれば肉をわけられるけど、風車はわけられないわね。競売にかけて落札額を三ぶんの一づつにしましょう」

リベラルな三女がいいました。

「なにをいうのです。お母様のお残しになった風車を競売にかけるなんてとんでもありません」

狡猾な長女がいいました。

「そうですとも。お母様の愛していたロバをと畜するなんて、何て不人情な娘でしょう」

陰険な次女もいいました。そうして、

「あなたはまだ若いから風車やロバの管理なんて無理よ」

と、もっともらしい理屈をこねて風車とロバをそれぞれ相続してしまいました。三女に残されたのは、猫一匹だけでした。

なんということでしょう。大姉ちゃんは製粉会社、ちい姉ちゃんは運送会社が経営できるけど、猫一匹じゃ皮を剥いで三味線屋にたたき売ってもたかが知れてるわ。犬のほうがイノシシ狩りに使えるからまだましよ」

と、三女は嘆きました。

「ずいぶんなごあいさつですね、お嬢様」

三女の恨み事を聞いていた猫は、往年の宍戸錠のようにちっちっちと舌を打ちながら、人差し指を左右に振ってみせました。

「ひとつ、わたしに大きな袋と長靴を作ってください。そうすればきっとお嬢様をお金持ちにしてさしあげますよ」

「ほほう、お魚を盗み食いするしか能のないどら猫のくせに、ずいぶん生意気な口をきくわね。まああいわ、作ってあげましょう。でも約束通りわたしをお金持ちにできなかったら、猫鍋にして食べちゃうわよ」

三女に大きな袋と長靴を作ってもらった猫は、純朴な田舎娘を甘言を用いて篭絡し、執政官に献上して出世の糸口を模索しました。大きな袋と長靴が具体的に何の役に立ったかは、しかとはわかりません。ある日、猫は執政官がおんとし17歳の若君を連れて森へハイキングに行くことを知りました。

「お嬢様、いよいよお金持ちになる機会が訪れましたよ」

と、猫は執政官の馬車に先回りして、三女に森の川で水浴びをするようにいいました。三女が言われるままに川に入ると、猫はすばやく三女の脱いだ着物を岩陰に隠しました。やがて執政官と若君の乗った馬車が通ると、

「大変です。執政官様、私の主人の御姫様が川でおぼれています。どうぞお助けください」

と大声で呼びかけました。執政官は猫の献上した田舎娘たちがすっかり気に入って感謝していたため、急いで家来に三女を助けさせました。

「申し訳ありません。御姫様が川で水浴びをしていると、盗賊が御姫様の着物に目をつけ、盗んで行ってしまいました。ですから、今は御姫様は何も着ることができません。執政官様には大変ご無礼いたします」

猫は言いました。執政官は、家来に命じて、急いでお城へ側室の着物を取って来させました。馬子にも衣装、かみかたち。いえいえ、三女はこう見えてもやんごとなき貴婦人の遺児です。執政官の側室の着物を着て化粧した三女は、すっかり元の貴族階級に戻りました。若君は三女の美しいファッションに、てゆーかむしろ裸にすっかり心を奪われました。

その後も猫は、その辺の出会い系サイトに出没する姦婦が逆立ちしてもかなわない計略をしかけ、見事三女と若君の間に婚儀を結びました。若君はその後、認めたくない若さゆえの過ちがあったものの、三女の母親の財産を横取りした家来の腰ぎんちゃくたちを成敗し、偉大なる将軍様の座に就きました。そのため、三女はその後一生左団扇で暮らしましたとさ。とっぺんぱらりのぷう。

教訓[編集]

女の幸せは両親の富貴や自らの労働ではなく、結婚相手のいかんによって決定すること。そしてそれは高い人格や家事・育児能力ではなく、うわべの美しさによってもたらされることをこの伝記は表わしている。