長泉町

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長泉町の位置

長泉町(ながいずみちょう)は、伊豆県の北部にある水神に守られた小さな町である。

概要[編集]

聖域 鮎壺の滝。例年夏には多くの殉教者が滝壺に飛び込み、その身を愛鷹水神に捧げる。 
鮎壺の滝にて愛鷹水神の加護を得る七人の侍たち。 水神の加護により尋常ならざる力を得た侍達はこの後,村に襲いかかる数万の山賊をたった七名で撃退する。 

柿の種状に長い町の形をしている長泉町は町の守護神、龍神にして龍王である愛鷹水神(あしたかすいじん 属性はCHAOS-DARK)の加護のもと、充実した医療・子育て支援や日本一安い水道料金などを実現している。さらに愛鷹水神の霊力による結界に守られ、周辺市町村からの侵略を未然に防いでいる。

町民の信仰を集め続けている愛鷹水神の豊富な霊力は衰えを知らず、町内には霊場が散見される。なかでも鮎壷の滝(あゆつぼのたき)は県内屈指の聖域として知られ、例年多くの殉教者が訪れる。かの黒澤明もこの滝にインスピレーションを受け、代表作である「七人の侍」のロケ地に選んでいる。

守護龍神 愛鷹水神[編集]

鮎壺の滝にて愛鷹水神の加護を得る女子ラクロス部員たち。 水神の加護により尋常ならざる力を得た部員達はこの後,大学に襲いかかる数万の理事長からの刺客をラクロスの道具だけで撃退する。 
富士山の神と戯れる愛鷹水神の姿を葛飾北斎が浮世絵に残している
愛鷹水神をモチーフにした怪獣は,多くの映画,漫画,アニメーション,テレビゲームに見られる
研究者達が予測した水神砲の有効射程範囲。県東部の主要地域はほぼ射程に収まっている

長泉町を守護する龍の姿をした神で、その名の通り水の神である。本来は他の龍神とともに富士山の神を鎮めるために鎮座しているとされる。その荒ぶる姿は時に恐れられ、時に尊ばれる。長泉町民は畏敬の念をこめて愛鷹水神を「水神さん」と呼ぶ。町内は至るところに水神の霊力が走っているため、長泉町の水道料金は同規模の水道事業では日本一安い。

猛る愛鷹水神の口から放たれる高出力の熱線(通称、水神砲)の射程と威力は強力無比であり、我々人間に抗う術はない。愛鷹水神社より放たれた場合、西は富士市、東は旧戸田村まで届くと研究者たちは計算している。

長泉町役場には、富士山の宝永大噴火は愛鷹水神が引き金になったと受け取れる古文書が保存されている。

2009年8月11日午前5時に駿河湾を震源とし静岡県全域をマグニチュード6で襲った静岡沖地震の発生直前、愛鷹水神社上空から駿河湾に突き刺さる一本の光線を多くの人が目撃し、また動画としてYoutubeにアップロードされた(※動画をアップしたものはこの後愛鷹水神に検閲により削除されました)。

町内を東西に横切る東名高速道路から北側は、町の守護神、愛鷹水神のおわすところとして聖域と指定されており、町民でもみだりに立入ることは禁じられている。町内最北の水神社本殿に最も近い「桃沢少年自然の家」にて宿泊訓練を行っている小学生が毎年必ず何らかの怪奇現象を体験するのは、あの場所が町内でもっとも常世に近い現世だからである。

なお、余談ではあるが、昭和五十年ごろまでは数年に一度「桃沢少年自然の家」に宿泊訓練にきた町内の小学生の一人ないし二人を愛鷹水神への人身御供として献上するという風習があった。しかし近年では「表向きは」自粛されているようである。広報長泉が「小学生が行方不明です」と放送したときは十中八九人身御供であると思ってよい。

周辺市町村との関係[編集]

長泉町と周辺市町村との関係

長泉町とその周辺市町村との関係を下図にまとめた。

2011年現在、静岡県東部の覇権を巡り、各市町村の対立は深まっている(詳しくは各市町村のページを参照されたい)。「長泉町と合併した市町村が県東部を制する」とまで言われ、周辺市町村から長泉町を合併せんと虎視眈々と狙われている状況である。

その中で長泉町は「表向きは」周辺市町村と良好な関係を築きつつも中立の立場を貫き、静岡県東部のバランサーとして重要な役割を果たしている。

各市町村との関係を以下に示す。

沼津市との関係
「表向きは」良好な関係を築いている。沼津市と三島市との争いに巻き込まれないよう距離を置いている。
清水町との関係
「表向きは」良好な関係を築いている。一方で清水町側の「同じ駿東郡に属してるんだし仲良くしようよ」といった態度にほとほと嫌気がさしていることも事実である。
北の独裁国家との関係
「表向きは」良好な関係を築いている。ただ近年長泉町民を不当に拉致し、工作員として教育しているなどといった事実が明るみに出、水面下で緊張が高まっている。
三島市との関係
「表向きは」良好な関係を築いている。後述するように昭和30年代に合併を巡り神々の闘争が勃発した経緯で、長泉町内の愛鷹水神を唯一神と崇める「水神原理主義派」から一刻モ早ク殲メ滅ボスベシといった強硬な意見が長く燻っている。

三島市との合併解消[編集]

神々の争いにより焼け野原と化した長泉村(当時)と三島市の境目

昭和30年代に三島市との合併が一度決定したことがあったが、この知らせを聞いた愛鷹水神は激怒、長泉村(当時)の村長を一瞬にして灰にすると、合併を解消すべく愛鷹水神御自ら三島市へと攻め込んでいった。


現在のJR三島駅北側付近において竜王愛鷹水神は三嶋大社祭神にして三島市守護神である大山祇神・事代主神の二柱と激突、数ヶ月にわたる激しい死闘を演じ、周辺一帯は焼け野原と化した。この戦いの際に愛鷹水神の口から放たれた高出力の熱線(水神砲)が十数キロ遠方の熱海峠を貫通し、後の新丹那トンネルとなったのは有名な話である。


この激烈な争いに双方の神々は疲弊し、戦いは痛み分けに終わるかに見えた。しかし愛鷹水神は最後の力を振り絞り、大規模な台風を呼び出すと三島市を流れる狩野川(かのがわ)を氾濫させた。この大水害により、狩野川流域周辺の住民は死者・行方不明者あわせて1000名を超える大惨事に見舞われた。


後に狩野川台風と呼ばれるこの災害をもって、神々の戦いは終結した。文字通り地獄のような神々の争いを目の当たりにした三島市長は精神を病み、合併解消を決定し通告した後自刃した。以後、長泉町では市町村合併の話はタブーとされるようになった。


現在でも長泉町民が三嶋大社に参拝に行った際、餌をあげても池のがよってこない、おみくじで『凶』しかでない、鹿に蹴られる、などされるのはこの争いが遠因である。なお、この争いによって焼け野原になった土地にはその後、東レ三島工場や中学校、高等学校などが整備されることになった。

主な行事[編集]

長泉町元旦駅伝競争大会
愛鷹水神への新年の挨拶のため、毎年1月1日の元旦に行われる駅伝大会である。 スタートは長泉中学校、ゴールは聖域愛鷹水神社本殿である。水神社は山中奥深くにあるため過酷なヒルクライム駅伝となり、例年完走できるチームは片手で数えられる程度しかいない。一方で完走したチームにはその年一年間愛鷹水神の加護をいただけるとあって、参加チーム数は年々増え続けている。昨年2010年の駅伝参加チームは822チーム、参加人数はのべ6000名を超えた。昨年完走したチームはわずか2チームである。
長泉湧く湧く祭
愛鷹水神への感謝を示すために、毎年8月の第一土曜日に行われる祭りである。町民総出で古来より長泉の地に伝わる湧く湧く踊りを踊り、水神への感謝と服従を示す。この祭りに参加しない町民は水神の怒りを買い、一家まるごと消検閲により削除ることもある。またこの祭りにおいて町内の小学生の一人ないし二人を愛鷹水神への人身御供として毎年献上している。これを怠った場合も同様に水神の怒りに触れることになる。
長泉町町民体育大会
愛鷹水神に健康と日頃の訓練の成果を示すために、毎年10月の体育の日に行われる運動会である。愛鷹水神御自ら大会を観戦される。特別な事情がなく山を下り町民の前に御姿を現わされるのはこの大会のある日のみであるので、愛鷹水神にお目にかかろうと例年多くの町民が会場に訪れる。一方で天覧試合であることから大会参加町民の緊張は尋常ではなく、準備体操終了と同時に会場に救急車が滑り込んでくるのももはや恒例となっている。優勝者には愛鷹水神御自らその栄誉を讃えられる。

主な施設[編集]

県立がんセンター
表向きはがん治療に特化した県立病院であるが,その実は長泉町が誇る世界最先端の兵器研究開発施設である。日本国内から最高の頭脳を持った医者科学者技術者が集い、日夜新兵器の開発に取り組んでいる。世界に数台しかない陽電子砲の開発に国内ではじめて成功したのは記憶に新しい。その最大威力は水神砲に匹敵するとされるが,一発発射するのに長泉町全域の電力が必要となるなど運用に懸念が残っている。なお、がんで入院している患者はよほどの末期で無い限り愛鷹水神の霊力によって完治する。また、当施設の最寄り駅である 長泉なめり駅 の駅前では、巨大な看板を掲げた墓石屋が営まれており、そのしたたかな出店戦略に、がんセンター利用者も思わず眉をひそめてしまうと言われている。

主な特産品[編集]

著名な長泉町民[編集]

  • 日竜上人
富士山の神との戦いに敗れ、宝永から長き眠りについていた愛鷹水神を明治初期に再び目覚めさせた僧。その法力は近代日本でも五指に入り、史家の間では愛鷹水神と対等に渡り合えた唯一の人類との呼び声も高い[1]

参考文献[編集]

  1. ^ 民明書房刊 『近代名僧大全第一集~幕末から第二次世界大戦まで~』