長宗我部元親

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長宗我部元親。イケメンで大人しいだろ?でも怒らすと怖いんだぜ・・・
怒らせるとこうなる。恐ろしいが謝罪すれば許してもらえる。ただし、さらに怒らせるような行動をすると妖怪に化けるので注意。
さらに怒って妖怪に化けた時の仮の姿。ご覧の通り人間には見えない。くれぐれも怒らせないように。
そんな長宗我部氏もかつては西日本全域を支配していた。

長宗我部 元親(ちょうそがべ もとちか、CV:能登麻美子)は戦国時代のサムライであり、自称日本史上最初の海賊である。超スケベ元チカンの愛称で現代の中高生男子達に親しまれている。しかし、その愛称は高知県では禁句である。


概要[編集]

かの織田信長から「所詮鳥無き島の蝙蝠。大空を雄大に羽ばたく勇敢な猛禽である俺様の敵じゃない」と馬鹿にされたことで有名。この信長の台詞を聞いた元親は「四国がまるごと鍾乳洞の中にあると思いこんでいるんだろうか」とツッコミを入れたという。揶揄に皮肉で返したのか、それとも元親が天然だったのかは定かではない。ちなみにコウモリは洞窟にしか住んでいないわけではなく、野外にも住んでいる。

ちなみに、四国という大して広くもない島を舞台に「ここからここまでおれのじーんち♪」をやってのけ、 四国統一したかしないかという議論を21世紀に持ち込んだ。

音楽活動[編集]

戦国時代[編集]

前述した通り、有名な海賊であった長宗我部氏のイケメンである。天文8(1539)年に生まれた。

最初は勢いが良かったものの、調子に乗りすぎて織田信長にケンカを売ってしまい「少し頭冷やそうか」とばかりに討伐軍を送り込まれそうになる。ちなみにケンカの原因は信長側にあるというのが元親記(長宗我部視点で書かれた軍記。もちろん成立は江戸時代)の主張だが、同時代の文書には元親が織田傘下の三好にケンカを売っていることが記されている。

破竹の勢いで進撃を続ける織田軍と敵対し、あわや滅亡かと思われたところ、運良く(本当に運良く)本能寺の変が起きてくれたおかげで生き延びる。しかし元親は運のおかげとは思っておらず、この結果は自分の実力であると思い込んでおり、織田との和平など考えずにどんどん領土を広げていく。

そうして勢いだけでなんとか四国統一寸前まで行くが、ここで織田家の内紛に勝利したが「いつ四国統一するか?今でしょ!」とばかりに、元親に征討軍を差し向ける。もはやブレーキの壊れた車と化した元親はこれにも抵抗するが、半年も経たずにあっさり降伏。コウモリはやっぱりコウモリであった。というか四国統一寸前でこの結果とは、これより兵力の劣る信長時代に戦っていればどうなったか、それは読者の想像にお任せしよう。

その後、元親は猿によって九州、次いで朝鮮に強制連行される。途中で息子を亡くし、失意のうちに死亡した・・・はずだった。

現在[編集]

しかし、最近高知県で長曾我部元親本人が生存しているとの目撃情報が入り、「何年生まれ?」と聞いたところ「天文8年」と言った為やはり本人であった。しかし、なぜ最近まで生きていたのかは、妖怪の力によるものである。約500年かけて妖術をマスターし、不老不死・変身などを身に付けかつての元親とは比較にならないほど強力になっている。山内家・徳川家の末裔もすっかり降伏してしまった。

逸話[編集]

  • 幼い頃はまるで女子のようにおとなしく色白で『姫若子』と呼ばれ、ふたなり説まで飛び交った。元親の将来を案じた父国親は彼をキャプテン・ハーロックの元で3年間鍛えさせたと言う。一方鬼島津は家臣達の家庭教師役としてハートマン軍曹を雇った。
  • 普段の姿は大人しいイケメンだが、本気にすると人間とは思えないぐらいの妖怪に化ける。でも普段の姿に戻るとやっぱり完全な人間である。妖怪に化ける超能力を持っているかもしれない。ただし、妖怪に化けるのは三味線攻撃を食らってもなお怒らすような行動をするか、山内なんとか団子鼻のような怨念のある人物でない限りやらない。ていうか三味線攻撃でたいていの人は屈するため妖怪姿の長宗我部元親を生で見た人はほとんどいない。
  • ジャック・スパロウフック船長とならんで世界三大海賊勝手に自称した。スパロウやフック船長はいい迷惑である。
  • 部下に『お館様じゃねえ、兄貴と呼べ!』と言ったりするなど結構ノリの良い人物だったようだ。
  • 嫡男長宗我部信親が戦場で非業の死を遂げるとトチ狂って廃人になってしまうなど脆い一面もある。ちなみに偶然にも彼が活躍した時代は大航海時代の最中であった。
  • 毛利との関係は史実的にはほとんど無く、毛利と長宗我部を並べる厨=BASARA厨であることが判明している。
  • 海賊として有名な村上水軍は、一貫して河野氏を主君とみなしており、長宗我部家とも毛利家とも主従関係がない。(のちに攻めて降伏させる)
  • 後年、豊臣秀吉が海賊禁止令を出したが、海賊ではない長宗我部家とは全く関係がない。
  • 後年霊となって幕末に出没し坂本竜馬を脅して彼に無理矢理自分の子孫を名乗らせた。
  • その強い個性もあって部下達からは大変慕われていた。反面彼の後の世代に土佐に入った山内一豊絶望的に陰が薄かった

関連項目[編集]

Wikipedia
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みなさん、松平です。 この項目「長宗我部元親」は、日本史に関連した企画書ですが放送日が迫っています。アンサイクロペディアではその時でないのに歴史が松平アナを動かす! (Portal:スタブ)