錦の御旗

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錦の御旗(にしきのみはた)とは、「ドラえもん」のひみつ道具の一つ。これを掲げることで倫理、道徳、法規を逸脱したいかなる行為をも正当化させる大義名分が得られる。古来、野心と独占欲に旺盛な権力者や独裁者殺人強姦を至上の悦楽と考えている有象無象が己の悪行を正当化するために幾度も掲げてきた。

概要[編集]

外観は、赤地に金銀で日輪と三日月の刺繍を施しただけの、見栄えは絢爛だが何の変哲もない普通の旗であるが、天高く掲げ、屹立することによって、掲揚した者の人格、あらゆる行為ないし標榜する主義主張が絶対不変の正義として定着する、ありていに言えば「官軍」になれるという恐るべき神通力を発揮する。

この旗をはじめて掲げたのは継体天皇であり、製作者も彼だとの説が有力である。継体帝は、元々何処の馬の骨とも分からぬ出自不詳の流れ者であったが、錦の御旗を掲揚することで、下賎の身である自身が天皇の座に収まる事を万民に容認させ、堂々と皇位簒奪を行ったのである。

この旗は政争、戦争の折大義名分を手っ取り早く得られる捷径として利用され続けた。蘇我馬子崇峻天皇暗殺を正当化するために掲げたのを皮切りに、その孫蘇我入鹿がこれを掲げて「合法的に」政治を壟断し、専横を極めた。しかし、中臣鎌足らによるクーデターが起こった折、入鹿は一瞬の不意をつかれて御旗を奪われてしまい、大義名分を喪失した所をもはや遠慮はいらぬと怒涛の勢いで迫ってきた鎌足の軍勢に首を落とされた。この時首を撥ねられた入鹿の返り血が御旗に飛び散り、地色が赤色に変色したと言われている。

その後も野心家達が権力を我が者にするために、あるいは正当な大義名分を得て政敵を放逐するために、長きに渡って御旗を奪い合い血みどろの抗争を続けた。壬申の乱薬子の変応天門の変など、度々起こった内訌は全て御旗の奪い合いが発端であった。道鏡楠木正成もこの旗を掲揚したことが分かっており、出自不詳の得体の知れない彼らが歴史の表舞台に飛躍し大いに栄達したのも御旗の恩恵によるものである。

この御旗は、日本の国内、日本人にしか効力を発揮しない。白村江の戦いにおいて、日本軍はこの旗を掲揚して大義名分を得、士気を大いに発揚した上で百済奪還を果たそうとしたが、神通力が発揮されず、軍勢の統率が纏まらずに敗北を喫した。

錦の御旗は一貫して、皇族、並びにその関係者、協力者によってのみ掲げられてきた。皇族の血統が途絶えた時、錦の御旗も萎れ、神通力を永遠に失うと言われており、また、皇族に実害を成そうとするものに対しては、逆に不幸を招来すると伝わっている。道鏡はこれを完全に私物化しようと強引な手段に出たため失脚し、平清盛も朝廷から御旗を奪おうとしたところ、急に発熱して病が重篤化、間もなく逝去した。源頼朝は手練手管を駆使して円滑に、巧妙に御旗を我がものにしようと画策していた最中、一部では尋常ではないと称される不自然な死を遂げている。豊臣秀吉もこれを強奪しようとしていたらしく、朝鮮出兵が頓挫したり、突如発狂して甥豊臣秀次の一族を処刑したりしたのもやはり御旗の「恩恵」によるものとされている。

これらの前人達の失敗を他山の石として、御旗の恩恵を得ようとするもの達は、極力皇室への忠勤を表明し、表面上、帝の忠実な下僕として振る舞った。幕末の岩倉具視などは、錦の御旗を上手く使った典型と呼べるだろう。

海外に置ける評判[編集]

錦の御旗の驚愕すべき神通力は海外諸国にまで認知されている。しかし、どうも伝播する中で尾ひれがついたようで、アメリカ、ヨーロッパ初め海外には「所持していれば合法的に世界征服ができる魔法の道具」として認識されているようだ。そのため、とりわけ世界の完全掌握を日々願ってやまないアメリカなどは、軍事力、経済制裁を背景に日本に度々御旗の譲渡を要求しているらしい。

関連項目[編集]

  • 日章旗 - 残念ながら錦の御旗のような効力は無い。
  • Z旗 - これにも期待できない。
  • 国旗