鈴木亜久里

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

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鈴木 亜久里(すずき あぐり、1960年9月8日 - )は元F1ミサイル。退役後、赤貧レーシング・大日の将軍。 眉毛技術の祖としても知られる。

目次

[編集] 概略

[編集] F3000以前

ミサイルとしての改造を受ける以前よりその性能は知られており、トレーラに激突して愛車をオープンカーにしてしまったのはあまりにも有名だが誰も気にしない

その後、カート、F3000とステップアップし、のちに宮崎勤がイメージキャラクターとして有名となった日産・ラングレーのCMにも出演したが誰も気にしない

[編集] F1デビュー後

彼は1990年の日本GPで日本人初の表彰台に上がったが、そのレース以外では常に下位の常連で、レース後のインタビューで不振に終わった理由について常に「ギアがね」と言い訳する姿ばかりがミサイルファンの印象に残った。デビュー2年目だった1989年には、そのガンダムチックなネーミングからレースファンの間で伝説となっているザクスピードという弱小チームから参戦し、全レースで予選にすら出られない予備予選落ちという離れ業を演じた。

長くF1最弱チームとして君臨してきたミナルディを「ミナルディは何のために参戦しているのか分からない」と馬鹿にしたことがあったが、奇しくも、そのミナルディが2005年限りで撤退した翌年から自らが最弱チームのオーナーとして参戦することになった。さらに、石原真理子によって過去の秘め事も暴露され、彼の人生は迷走を続けている。

[編集] その他のエピソード

以下のエピソードは記事作成者のうろ覚えなのでモータースポーツに詳しい人が加筆してくださることを願います。

  • 1991年のブラジルグランプリで彼のスピンのせいで路面がグシャグシャになったために後からそこを通過したアラン・プロストがスピンし、優勝争いに影響を与えてしまった。
  • 何かの番組の企画で中嶋悟と勝負することになった時、「表彰台に立ったのは俺だから」と暴言を吐いた。
  • 番組でアイルトンタカカート競争で負けマジで丸坊主にさせられた。
  • 2008年のスペインGP前に「次、無いんだよ」と自らの運命を予言しその言葉通りトルコGPへの参加を差し止められた。ドナドナである。

[編集] 2007シーズン

2007年シーズンの開幕戦、オーストラリアGPで、スーパーアグリは中段に食い込む健闘を見せた。しかし、現在、そのマシンが昨年のホンダのマシンの模倣品であり、全チームが独自のマシンを使用するF1のレギュレーションに反するのではないかとライバルチームから訴えられた。

だがその後資金難に陥って低迷。他のチームは追求するのが可哀想になって放置している状態である。

2008年スペインGPでの「次、ないんだよ」発言を最後にフェードアウト。


その後 鈴木亜久里の行方を知るものは 誰もいなかった・・・


お察し下さい

[編集] 関連項目

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