野村克也

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プロテストミュージシャン、ヒルマン(左)と腹黒い笑顔を交わす野村広報(右)
プロ野球選手時代は南海ホークスの選手だった。
漫画あぶさんより、ロッテ在籍中の様子(1978年)。

野村 克也のむら かつや1935年6月29日 - )は、日本を代表する実業家。その範囲は農場経営、リサイクル工場経営、執筆業など多岐にわたっている。プロ野球選手だったこともある。

最近実業界を引退したが、最近まで仙台のIT企業の広報アドバイザーを担当。『仙台の名物おじいちゃん、「ノムさん」』として茶の間やネットで絶大な人気を誇っている。それこそ、こんなお笑いページにまで監視が付くほどにね。

履歴[編集]

  • 出身は京都府。とはいっても舞妓さんのいる観光都市の方ではなく、ちりめんで有名なのある方である。家庭環境はあまり良いほうではなく、歌手を目指した時期まであるらしい。
  • 幸い野球選手として大成。今の姿では想像しづらいがチャン・フンワン・チェンジーといった外国人を除けば657本塁打、2901安打は通算最多成績を誇る。45歳まで監督兼捕手兼四番打者というハンデを背負い、戦後初の三冠王という偉業も成し遂げている。ちなみにキャッチャーとしてはささやき戦術で有名。
  • プロ野球選手のかたわら、野球選手だったとは全く思われていない坂東なんちゃらのように副業に手を染め、農場経営を立ち上げる。「普通に耕せば使える畑を焼畑農法で収穫量を上げる」という画期的な農法を編み出したが、後先考えないやり方、ライバルの悪い噂を流し顧客を自分に集めるなどといった小汚いやり方が働き手から総スカンを食らってしまいボイコットされる憂き目に。
  • その後、流転の生活を細々と送っていたが、クール解説ができる眼鏡を考案し大ヒットする。しかし特許をとり忘れ、儲けの殆どはテレ朝に取られてしまった。
  • 1990年に再び東京青山方面で再び農場経営を再開。家内手工業に進出、焼畑から生えたペンペン草をリサイクル工場で製品化し、1年置きに利益を挙げるという画期的な経営法を編み出す。
  • この手腕を買われ、傾きかけた大阪の某大企業の社長にヘッドハンティングされるが、傾き加減は最終段階にまできており、個人の力ではどうすることもできず。裸一貫同然で追い出され、再び流転の生活に。
  • 隠棲も噂されていたが、なんと執筆業に進出すると大ヒット。弁舌の才能なども買われ、仙台のIT企業の広報アドバイザーに。ここから先は語るまでもない。
  • さらにネット社会での人気はお茶の間人気の比ではなく、某大手掲示板ではツンデレなどと呼ばれ、その人気は神のごとし。某辞書?にまで彼らの監視が付いているほどである。
  • 最近は執筆業が本業になりつつあるような。
  • 今年11月、老病もあって実業界から完全引退。しかし生放送の深夜番組に出まくっている。まったく、元気なおじいちゃんである。
  • 偉人のように扱われ、讃えられる事績も残している一方で、キナ臭い醜聞も洩れ伝わる。それが黒歴史として封印されている為、明るみに出る事もない。
  • 他にも、無名選手の大成に大きく寄与したのは事実だが、なんか恩着せがましい発言が多い。

プロ野球選手だったころ[編集]

  • 腹黒い笑顔と皮肉がトレードマーク。マスゴミ扇動が得意技。見かけによらず本当に腹黒い。自身の気質と合わない選手はトレードに出す、二軍落ちなど手痛い仕打ちをするものの、普段ボロクソに文句を言う選手はそれなりに期待、注目している選手が多い。
  • なお、南海監督兼4番打者ののちも現役を続行したことは殆ど知られていない。ロッテ-西武と現役27年間に渡って45歳までプレーした鉄人である。流行語となった『生涯一捕手』は座右の銘となったが、ロッテ在籍中に発した言葉である。南海時代の本拠地大阪球場跡に建設されたなんばパークスのホークスコーナーでは数々の名選手のパネルが飾られている。しかし、選手と監督として南海史上最高クラスの活躍をしたノムであるがここではなぜか完全いなかったことになっている。南海的にはもうどうでもいいことなのだが、サッチーがゴネて写真の使用許可を与えていないらしい。
  • 去年まで「カツノリを使わないと死んじゃう病」という世界に類を見ない奇病を12年間患っていたが、闘病生活の結果、今頃になって完治した。
  • 野村再生工場、別名「酷使した投手をスリークォーターにしてシュートを憶えさせてもう一回酷使しないと死んじゃう病」もようやく最近克服した。
  • 最近奥さんに顔が似てきた。ブルドッグにも似てきた。カール爺さんにも似てきた。
  • 日米野球でウィリー・メイズにムースと名付けられたことがある。由来は常にベンチでも打席でもムスッとしていたからだとか、カナダにいるシカの一種であるムースから名付けたとなどと伝えられている。
  • 鳥の名前が球団名に入っている球団の監督になった時だけ強い。

広報としての発言[編集]

新庄について
阪神時代 - 「新庄は天才や」
楽天時代 - 「新庄は口だけや」「まあ、あの人は芸能人ですから」
→新庄が引退宣言 - 「あれほどの選手が引退するのは寂しい……」

(おそらく無視・賞賛・非難を体現したかったのだろう。しかし順序が入れ替わっている。)

空気清浄器を贈った広澤に対して
「お前……ワシにあんな安物を使えいうんか……」
→野村邸で空気清浄機を目撃した広澤に対して照れながら
「ああ、いや……こんなもん……。捨てるのも恥ずかしいから、仕方なく使っとっただけや」
サインを求めるファンに対して
「チンケな色紙や」「ワシを誰だと思っとるんや」
→丁寧に色紙にサイン
他チームの松中について
「松中は健康診断があるからといって(06年日米野球を)辞退したんや。カネもうけばかり考えおって。世のため人のためというのがないのか」
「億万長者が来たわ。あいつが6億も7億も、もらう価値あるのか。引退した後も、もらえる契約になっているらしいじゃないか。内角が打てない4番なんて、おらんやろ」
→「わしがWBCの監督なら、四番は松中や」


福盛和男について
「ああいう人の道を外したヤツは嫌いや。」「福盛がメジャーで通用するようじゃメジャーも終わり」
→結局楽天復帰を許可。
首脳陣批判でポストシーズンは2軍幽閉となったトッド・リンデンについて
「人間的に失格」「戦力外」
→リンデン2度目の謝罪後に握手をして和解「目標に向かって頑張ろう。」
楽天名誉監督就任要請について
「名誉に感じる球団かよ」「即答すると恥ずかしいからや。球団の考えがミエミエや」
→「断る理由は無い」
自身が更迭された翌年の楽天が最下位になったことについて

:「俺をクビにして最下位になった。ざまあみろ」

→その最下位の翌年に自称燃える男そのオマケがまさかの就任。まさにダメトラの二番煎じかオマージュである。

関連事項[編集]

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野村克也が放った発言は、後世の物好きのために、有志たちによって「Unquotable/スポーツ選手」へ収録されています。


特記事項[編集]