酒池肉林

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動先: 案内検索
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「酒池肉林」の項目を執筆しています。
2000px-Wiktionary-logo.png
ユーモア欠落症患者のために、ウィクショナリーの語学ヲタクたちが「酒池肉林」の項目を執筆しています。

酒池肉林(しゅちにくりん)とは、中国の殷代末期に造られた人工の庭園である。世界でも最初期の庭園の一つと考えられる。

概要[編集]

この庭園に関する記述としては、司馬遷の『史記』に「酒をもって池と為し、肉を縣けて林と為し」とあるのが有名である。この記述から、本庭園が自然の池や林をそのまま用いたものでないことは明らかで、中国、あるいは後の日本庭園の基礎となる東アジアの人工庭園の祖であると考えて良い。しかし不思議なことに、日本のどの造園書を読んでも、何故かこの庭園の存在について無視されており、造園史の上ではその存在を完全に抹消されてしまっている。本来東アジアの庭園の先祖として最重要であるはずの本庭園が、造園史において全く触れられないという事実は、まさに奇妙という他ない。

造園の目的[編集]

本庭園に関する史料は少ないが、先ほど挙げた司馬遷の史記によれば、殷の紂王が妃の妲己を喜ばせようとしてこの庭園を造ったという。この庭園を造るための費用がいくらであったかは分からないが、紂王は民に重税を課して人々の恨みを買い、これが殷滅亡の一因となった。このように造園に凝りすぎて国を傾けたという点では遥か後代の北宋徽宗と共通するものがある。

造園の技術[編集]

史記の記述から、この庭園には自然の木や草花、川といったものは使われておらず、[1]代わりに大量の酒を流し込んで池とし、肉をぶらさげて木々に見立てていたことが分かる。満たされた大量の酒が揮発して霧のようになり、血が滴り落ちる肉があたかも紅葉する木々のように見えたのではないか。それはこの世のものとは思えない不思議な光景であったに違いない。肉をもって林に見立てる点は日本の枯山水に通じるものがある。

問題点として、ぶらさげた肉が早々に腐敗するため、頻繁に取り替える必要がある事が挙げられる。また肉に大量の蝿がたかり、衛生上ばかりでなく美観を大いに損ねる結果になる事が想像される。しかしながら揮発した大量のアルコールが、ある程度の腐敗防止、および防虫効果を発揮したものと考えられる。とはいえ、やはり肉の定期的な交換は必須であり、また揮発する酒も補充せねばならず、維持には多大な費用がかかった事は想像に難くない。

このような演出を思いついた紂王は、やはり徽宗や足利義政のような一流の文化人であったと言うべきである。と、同時にこれだけの酒や肉を集めるため、民にはさぞ重い税が課されて、人々は大いに苦しんだのであろう。

肉山脯林[編集]

『帝王世紀』によると、殷の紂王以前、桀王も庭園を造り、肉山脯林と呼ばれたという。この時点ではまだ肉で山と林を造ったのみで、池を造るという発想はなく、酒池肉林と比べると洗練されていない感がある。これが事実なら最初期の庭園は酒池肉林ではなく肉山脯林であるということになるが、夏という王朝の実在については未だ確かめられておらず、また実在したとしても、桀王の記録の多くは紂王の記録のコピーである可能性が高く、肉山脯林の実在性については疑いの余地が大きいという状態である。上記の通り、肉の腐敗防止と防虫のために酒の池は必要不可欠であったため、それを欠いた庭園の現実性には甚だ疑問がある。後世の人間が単なる想像で、酒池肉林よりも完成度が低い庭園の記録を捏造した疑いが、極めて高いのである。『史記』にも、酒池肉林の記述はあるが肉山脯林については記録されていない。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 史書に書かれていないだけなので、一切使用されていないとは言い切れない。