遠刕光翁

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

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遠刕光翁(えんしゅう みつおう、1923年 - 2000年)は、『哲学・科学の更新』などの著作で知られる日本の哲学者宗教家。本名・光男。釜石生まれ。息子はタレント遠刕恒寿。医師でもあり、松戸市新田診療所を経営していた。超創会初代会長。

目次

[編集] 学歴

岩手医専・京都府立医大等 東大という記述もあり。

(尚、著書には学位を取得と書いているがその存在は疑問視されている。)

[編集] 家族構成

家族は妻と息子二人である。二人の息子のうち光翁の素質を受け継いだのは間違いなく長男・恒寿であろう。

しかし、子供との関係、とりわけ長男とは仲が悪かったと思われる。光翁は長男・恒寿に超創会の後を託そうと考えていたが、恒寿はろくろく働きもせずネット三昧で超創会の財産を食いつぶすだけの存在に成り果てていた。光翁は自分の教育方針の間違いを痛感し絶望の淵に追いやられた。

遠刕家には次男もいるが、超創会や恒寿に嫌気が差し、家を出てしまった。常人には超克思想は重荷だったのであろう。

自分にもしものことがあっても妻子が生活に困ることの無いように、妻を美容学校に通わせていたため、育児の役割を光翁が果たしていたという。

[編集] 団体

超創会総合学団など、いくつか設立しているが実態は不明。

他に、出版部門として光陽会、創世会がある。

[編集] 人物

  • 著書での単語、対義語の羅列が多いので電波扱いされている。
  • 息子である恒寿が東大に合格し、後継者として期待をしていたが、見事に裏切られ、失意の晩年を過ごした。
  • 経営していた診療所は怪しさが漂っていたといわれる。
  • 超克が座右の銘。
  • 自らが哲学界から嘲笑されていることを恨んでいる。
  • 各地の大学・図書館に献本し、布教活動を行った。
(返礼がない機関に対して著書で不快感を示す)
  • 自費出版を繰り返し金銭面を心配されるが医師としての収入があるので著書が売れなくても困らなかった。
  • 現在の遠刕家が困窮しているのは長男恒寿による父の財産の食いつぶしに原因がある。

[編集] 彼に関する噂

謎めいた人物像を反映してその死後も様々な噂が語られている。真偽はどれも定かではない。

[編集] 生存説

某所に入院している、診療所に幽閉されているとの説。または超克状態による不死説。いずれも根拠はなく光翁時代を懐古する原理主義者の妄言である。

[編集] 外国人説

日本国籍でなかった、実は工作員だったなどというものである。彼の国籍などに誰も興味はないし、そもそも情報収集や工作には向かない性格なので妄言である。

[編集] 戦死説

太平洋戦争で戦死または腸チフスで死亡、戦後別人がなりすましていたとする説。前途有望な若き医師と、その後の秘密結社超創会会長との余りのギャップが生んだ説といえよう。同じ理由から光翁複数説も存在した。いずれも多方面で活躍した光翁の才能への嫉妬から生まれた妄言である。

[編集] チャネラー説

彼独特の人間離れした文体から、高次の存在とのチャネリングで自動筆記で書かれたのではないかと噂された。信憑性をもって語られるが、それには光翁より高次の意識体が果たして存在するかをまず議論する必要がある。そのような非科学的話は、たいてい彼の功績を貶めようとする者どもの妄言である。

[編集] 恒寿説

実は光翁は昭和60年に死去、その後平成12年まで恒寿が影武者を演じていたとする説。従って最近の著書も恒寿によって書かれたとするもの。この20年の恒寿の動向が不明であることが根拠となっている。これは光翁の超人的功績を恒寿の手柄にしようと目論む経血主義者たちの妄言である。

[編集] 狂人説

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[編集] 著書について

概要

 全て自費出版。確認されたものだけでも8冊あり(後述)、ほぼ3年に1度のペースで発表されている。

 光翁の文体の特徴として、必然性なき漢語の羅列がある。『哲学・科学の核心』212ページ、

   「常人、常民以下の次元のものが、独立、自主、自由、民主、反権力、反資本、革命と称して、我見、自恣、我利に狂奔するとき、愚行、狂行を拡大するのです。

 などはその典型例であろう。 読んでて気が狂いそうになるため、いずれの著書も解読は困難を極める。

草の根宣伝活動

 光翁は自らの思想、思考、思索、思慮、哲学、科学、化学、ひまがくを広めるべく、 国内各地の図書館に相当数の自著を献本した。海を越え、アメリカの議会図書館に送りつけたりもしている。 [1]


商業的な失敗

 とはいえ、自費出版物のご多分に漏れず、 著書の殆どは陽の目どころか誰の目にも留まることなく 書庫で埃を被っていたものと想像される。

 光翁の哲学と費やした努力は誰にも理解されることが無かった。

近年の再評価

 そんな光翁の著書に はじめてスポットライトを当てたのは、2ちゃんねるの在日雑魚運営たちである。 しかし、それは彼の哲学を評価してのことではない。 雑魚運営たちは、光翁の息子・恒寿の宿敵であり、彼らが恒寿に対して個人攻撃をするにあたり 父・光翁の著書は格好の材料となったのである(奴の親父はガチで電波だった!)。

 この紛争が契機となり、光翁の文が一部とはいえ発掘され、 2ちゃんねる、mixi、カロビーなどにコピペされ、 一般の目に留まることになったわけである。恒寿のした親孝行はもっと評価されるべきであろう。

[編集] 著書

  • 二〇世紀の提言 / 創世会, 1979.11
  • 現代の道標 / 勁草出版サービスセンター, 1981.11
  • 聾昏の谷 / 光陽会, 1984.9
  • 暁光の廃塔 / 光陽会, 1986
  • 遍歴の故山 / 創世会, 1989.9
  • 哲学・科学の更新 / 勁草出版サービスセンター,1993.1
  • 哲学・科学の核心 / 近代文芸社, 1995.5
  • 宗教・学問の継承・超克 / 信山社出版,1997.4


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