道教

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「道教とは宇宙の真理」
道教 について、豊聡耳神子

道教(どうきょう)とは、老子荘子の教えと民間信仰が結びついたものである。努力することを放棄したやる気のない生き方を説いた。

概要[編集]

中国は春秋戦国時代、誰もが大国を築こうと努力し、天下統一の野望を抱いていた時代である。世の中には儒教が蔓延り、孝悌の考えが戦国の世を支えていたと言っても過言ではなかろう時代。そんな時代に、この道教は誕生した。

道教は当時の世の主力であった儒教を徹底的に批判し、規則を度外視した教義を作った。加えて、あろうことか道徳さえも無視した自給自足の自由人を理想としたどうしようもない教えである。しかしその教祖である老子は非日常に理想を求め続ける稀代の自由人であったため、他人の評価を気にすることなく布教を続けた。なお、その傍若無人さに惹かれたという人もいた様である。

老子の教え[編集]

ここからは、教祖である老子の教えについて解説する。

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道教の根本思想で、「タオ」と読む。万物の根本的な理法と言われており、その存在は人智を超えている。要は、その辺の説明は面倒なので省略しました、ということである。また、老子が厨二病だったことも相まって「無」とも呼ばれる。

無為自然[編集]

簡単に言うと、自然保護である。人間のような穢れきった生命体が壮大な自然に対して無礼にも影響を及ぼすのを懸念してのことだという。要約すると、人間は構造物を作ることなくジャングルで生きろ、ということだ。もっとも、無理な話である。

柔弱謙下[編集]

じゅうじゃくけんげ、と読む。これは人間の理想的な態度を言及したもので、これによると頑固強情は忌避される。むしろ他人に謙遜し、上っ面だけ相手に同意して世渡りをしなさい、という教えである。自我を持っている人間が為すのは至難の技と言えるだろう。

小国寡民[編集]

人間の理想的な暮らし方を説いたもの。曰わく、「原始的な限界集落で自給自足の生活を送るのが一番良い」と。普通に考えてみるとただの現実逃避であるが、本人は割と本気で実践しようと考えていたようだ。

荘子の教え[編集]

ここからは、老子の後を継いだ荘子の教えについて解説する。

万物斉同[編集]

そもそも、物事の価値というものは絶対的である。それに気づいた荘子はそれなのに僕ら人間はどうしてこうも比べたがる?と社会に疑問を投げかけた。しかし世は戦国、武力で優劣をつけるものであったため受け入れられなかった。

胡蝶の夢[編集]

荘子は、ある日の夢の中で蝶々になってお花畑を自由に飛び回ったという。翌日、目を覚ました荘子はこれを日常へと昇華させることこそ道教の終着点であると勘違いし、その目標を達成することを説いた。要はキチガイである。

心斎坐忘[編集]

しんさいざぼう、と読む。天地自然と精神を一体化することを説いた。なお、無事に一体化できた人は真人となることができるようだ。なお真人とは逍遥人と呼ばれる究極の自由人のことで、周りのことを一切気にしないような社会不適合者のことである。そんな奴は人間に非ず、濁心」(きたなきこころを持っているに違いない。

結論[編集]

上の説明を読んでみると分かることだが、老子と荘子の教えの間には明らかにギャップがある。つまり、道教は非常に奔放な宗教であるということだ。それで周りが迷惑しても、そんなことは気にしない。なぜなら道教は自由の思想なのだから。

関連項目[編集]

Wikipedia
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