道成寺

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動: 案内検索

道成寺(どうじょうじ)とは、ストーカーの女ネ申のために存在する奇異国の寺院でございます。

縁起[編集]

道成寺が存在するのは、和歌山県南西部の日高川町です。8世紀初め、となりのゴボウの里に生まれたある娘が、海ゴボウの中の観音像に執念をこめて祈ったところ髪がたくさん生えていとおかしきになりました。彼女は遂に文武天皇という者に入内しました。そのことに感謝して彼女が執念の請願を行い建立したのが、この道成寺でございます。しかし、彼女は天皇が自分の執念に対してあまりに軽かったので嫉妬し、25歳にして文武天皇を亡き者にしたとも伝わっています。

このお寺の本堂は南北朝時代以来のものです。ある釈迦如来坐像に関する話を教えてあげましょう。この坐像は鎌倉時代に造られたものですが、手の部分は奈良時代のものなのです。これは奈良時代の仏像の手の部分だけが執念深く境内に眠っていたので、僧侶が本堂を復興する時にこの両手を執念深くみつけ、手の部分だけを取り換えたものなのです。この時交換された鎌倉時代の手もまた、境内で厳重に保管されています。道成寺は仏像の部品を決して捨てない寺院でございます。仏像の霊は信者の心中をどこまでもついていくものである故に、決して「どうしよう」と誰かに相談してはいけないのです。

大蛇娘清姫[編集]

この寺院に最大の参詣客を齎しているのは、何といっても安珍という僧侶と清姫という若い娘が織り成した物語でございましょう。この模様は絵巻物にも記されている題材です。

熊野詣での最中、イケメン僧侶の安珍はここより少し東方の田辺に宿泊していた時、土豪の娘清姫に出会いました。清姫は備長炭を片手に安珍にや ら な い かと迫りました。

安珍は少し動揺しましたが、僧侶が色に屈してはならないので、「帰りにやることを前向きに検討いたします」と約束しました。はっきり断らなかったのは備長炭の形がなんとなくかわいかったためと伝わります。

熊野詣でを終えた安珍は備長炭の原産地が田辺より西方のみなべにあることを知り、田辺をスルーしてそちらへ急ぎました。これを聞いた安珍は怒りました。

「私より炭の方を愛していたとはなんと実在女と経験のない僧め!私が強制でも女の生の味を分からせてやる!」

そう考えた清姫は遂に安珍を発見して、蛇のようにしつこく追跡しました。安珍は逃げ回り、遂にこの道成寺にまで逃れてきました。寺の僧侶たちは防御策として安珍を寺の鐘で覆いました。

それを発見した清姫は更に激怒しました。

「安珍め、の中に隠れるとはなんという小児精神だ。安珍、出てこい。大人の女の恋愛が何たるかを教えてやるぞ」

こう叫んだ清姫は遂に本物の大蛇に変身してしまいました。そして、その情熱を本物の炎に変え、鐘の中の安珍を焼き殺してしまいました。なお、途中で退治されたという物語は子供向けの脚色でございます。

我に返って全てを知った清姫はそのまま三途の川を渡っていきましたが、時の和尚様はこう言って惜しみました。

「おお、清姫よ、行ってしまうとはなさけない。男が同様のことをするのはただの犯罪行為だが、女の行為はたいへん微笑ましく、永く祈念すべき行動だ。この物語を民話や絵巻を通して語り継いでいかねば」

そして、大衆はこの物語を大いに受容し、娘道成寺などの各種作品を通して今日まで広く親しんでいます。

種々の伝説[編集]

道成寺の公式サイトでは、寺にまつわる様々な紀伊が道成寺の不思議[1]としてまとめられています。しかし、上の不思議の多くは上の清姫伝説に従って考えると、多くは丁寧に解説することが出来るでしょう。

正面の石段
正門前には62段の石段が用意されています。この石段は「上りやすく、下りやすい」といわれています。国鉄の技師が謎解きに来ましたが、意味不明でした。それはそうでしょう。これはストーカーという西洋科学では解けない原理に基づくものなのですから。つまり、上る時は対象を求めて感情が燃え上がっている故に気が高まって楽に上れるのですが、いないと分かって石段を降りる時は、気分が沈んで足取りが重くなるのですから。
仁王門
本尊の千手観音様は石段や参道までをも一直線に眺めています。これは創建以来変わりません。観音様は境内にやってくるストーカーを1300年間ずっと眺め続けてきたのです。観音様もまた、標的を見つけられずに帰っていくストーカーを、油断が解けぬだろう参道まで監視なされ、相応の報酬を与えます。
三重の塔
境内の三重の塔は元禄年間に再建されたものです。これは付近の神社の御神木を切り倒して運んできたものです。しかし、御神木を切られる持ち主の感情はいかんばかりだったでしょう。神社の神主は一言で応じたとされていますが、実際にはそれまでに相当の暗黙の視×行為があったのではと想像できます。
無くなった釣鐘
道成寺の釣鐘は戦国時代に雑賀衆攻撃のドサクサに紛れて、京都の妙満寺に持ち去られました。以来、釣鐘は存在しなくなり、清姫以来のストーカー能力が弱まったといわれています。しかし、その釣鐘の威力は京都において今も健在です。太閤殿下が女をサルのように追い掛け回せたのは一重にこの釣鐘が持つ神通力のためです。祇園ゲイシャの地区となったのも妙満寺の釣鐘の恩寵なのです。
廃線されぬ紀州鉄道
道成寺の前には鉄の蛇が走っており、同名の駅名も存在します。隣の御坊駅からは紀州鉄道という支線が走っています。この鉄道は40年くらい前に廃止されてもおかしくなかった路線ですが、いまだに健在です。なぜでしょう?それは、この紀州鉄道線が清姫の蛇の一部でもあるからでしょう。御坊市に張り付いた鉄の蛇は今も執念深くレジャー会社に絡み付いて赤い金の童を創出させ、命脈を保ち続けています。


関連項目[編集]