身体障害者

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この記事「身体障害者」は何故か「障害者」とネタや題材がダブっています。どちらが真実なのかは神のみぞ知ります。
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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「身体障害者」の項目を執筆しています。

身体障害者(しんたいしょうがいしゃ)なんて、他人がそう言っているだけの事である。

概要[編集]

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「健康」の項目を執筆しています。

人体の一部が(肉体的・機能的に)欠損している状態を一般的にそのように呼称するようであるが、欠損と言うからには何が揃っていれば完全な状態であるのかを明確に定義する必要がある。しかし人間の身体は肉体的要素だけでなく精神的要素も含めて構成されているため、厳密に定義する(ここではWHOにおける健康の定義を準用する)ならば悩みを抱えた瞬間「に障害を負った」ことになり、虫歯になった瞬間「に障害を負った」ことになり、痴漢して警察のご厄介になった瞬間「社会的に障害を負った」ことになってしまう。そうすると人間社会は障害者ばかりとなってしまい、あえて定義づける必要もなくなってしまう筈なのであるが、どうしても他者を貶める(低く見る)ことで自己を優位に保ちたがる人間はいつでもどこでも存在するもので、五十歩百歩であるとは知りながらあえて自分より重度の障害を持っている(と勝手に思い込んでいる)人に憐れみをかけるポーズをとることでひとり悦に入るのであった。そんなあなたの心の方が、よほど重い障害を負っていると思うのである。

別の視点[編集]

車椅子[編集]

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「車椅子」の項目を執筆しています。

生まれた時から車椅子を使用している人にとってそれは自分の体の一部であり、日常的な行動の一つに過ぎない。それなのに何故か周囲の人は「頑張ってね」と声をかけて来る。いったい何を頑張ればいいのか。あるいは「おかわいそうに」という視線を向けてくる。いったい何がかわいそうなのか。私に言わせれば「車椅子=大変=かわいそう」という安直な発想しかできないあなたの頭の方がよっぽどかわいそうに思えてならないのは気のせいであろうか。

盲目[編集]

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「盲目」の項目を執筆しています。

目が見えないことをやたらと哀れむ人がいるが、正直なところ大きなお世話である。見えないと思うからマイナスに感じるのであって、その状況を逆手にとってあえて見ないのである。知る権利というものが一部の人々によって叫ばれているらしいが、こちらは逆に知らない権利、知らされない権利を行使したいところである。見ざる言わざる聞かざるの精神から、聾者も唖者も同様である。そもそもこんな世の中、知って何になるというのであろうか。

だから[編集]

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ユウェナリス」の項目を執筆しています。

過剰に憐れまれる筋合いはないのである。日常生活において不便がないこともないが、それはいわゆる「健常者」だって例えば重い荷物を他人に持ってもらったりすることがあるだろうが、「自分の力ではその行為が出来ない」点においてはどちらも変わらないのである。

「健全な肉体を持っていると思い込んでいるヤツほど、魂が歪んでいるものである。」
身体障害者 について、ユウェナリス

でも[編集]

もし嘘がバレても、美女なら許されてしまうあたり、世の中は不条理である。

やさしくして貰えたり、優遇して貰えることもある(※ただしイケメンに限る)ので、都合のいい時にはそれとなく社会的弱者を演じてみるのも悪くはないのであった。要するに人間ってヤツはどこまでもしたたかであり、転んでもタダでは起きないのであった。

外部リンク[編集]

関連項目[編集]