豊臣秀長

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豊臣 秀長(とよとみ ひでなが)とは、微妙な時期に世を去ったため、後世にたらればを残し、戦国オタ共の間に無益な争いを起こさせる火種を撒いた人物。愛称は「サル」。幼名は小竹(こちく)といい、この名は「松竹梅に喩えるなら竹。卓越した器量には違いないがナンバー1にはなれない、というかなって欲しくない[1]」という願いを込めて兄の秀吉が命名したものである。果たして秀吉の予言、というか願望は的中し、秀長はよき弟、パシリ補佐役として秀吉を支え、パシリ補佐役のまま死んだ。揉め事を治めるのが上手く、古参の猪武者と小賢しい知将とをいつも仲裁していたらしい。秀長の死後、秀吉は豊臣秀次千利休をはじめ家臣を次々とSATSUGAIしていく。

人物像[編集]

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温厚篤実で思慮深く、人望も厚かったようで、史料によってはしつこいほど秀長の人柄のよさが強調され、秀長の人のよさを褒めすぎてまるで人柄だけだけが取り得の無能だと婉曲的に貶めているような史料もある。一方で、「秀吉の身内だから取り立てられた、それだけの人物」と冷淡な評価を下す者や、文献によってはそもそも豊臣秀長とは誰ぞや?とその存在が忘却の彼方に消し飛んでいたりする。現在では「仏のように温厚で人望が厚く、武勇、政治両面において優れた才覚の持ち主であったが、ちょっと存在感が薄い」という評価で大体通っているようだ。まあ全く存在感が無い奴よりは存在感がちょっとは存在するだけずっとマシである。

中二病患者に大受けする秀長[編集]

一時期、秀長のことを高く評価しておけば玄人戦国オタクを気取れるという風潮が蔓延し、また天下人の兄を影ながら支える秀長の立ち位置が渋みを好むファイナル・エージェントに受けた事もあって、多くの中二病患者が秀長を称揚し、秀長は過小評価されているとわめき立てた。とうとう彼らは「秀長がいなければ秀吉は天下を取れなかった、本当の天下人は秀長」とまで言い出し、その暴走は留まるところを知らず、例えば2002年の大河ドラマ「利家とまつ」に秀長は登場しなかったが、この時秀長が正当に評価されることを望むエージェント達は激昂し、NHKに脅迫状を送りつけるものまでいた。戦国時代を題材にしたゲーム、戦国無双戦国BASARAにも秀長は未だPCとして参戦していないが、彼らはこれも不満に思っているようで、「コーエーもバカプコンも審美眼が腐っている」と言いたい放題言っている。しかし彼らがわめき散らした反動で、「むしろ秀長は過大評価、あんなのただの空気だろう」というアンチ秀長的思考も醸成されてしまった。秀長本人はとても思慮深く温厚な人物と伝わっているのに、何故彼の信奉者達がここまで愚行を繰り返し凶暴化したのか、非常に興味深いところである。

秀長の死去にまつわるたられば[編集]

秀長は1591年没した。これは豊臣政権のダーニングポイントで、これ以降、朝鮮出兵やら豊臣秀次粛清石田三成加藤清正らの対立の激化など、豊臣政権は斜陽を迎えることとなる。そのため、秀長が生きていれば豊臣政権が傾く事はなかった、三成と清正らの間も上手く調停したし、秀次粛清も止められただろうという意見もあるが、無論仮に秀長が生きていたとしても豊臣政権が傾かなかったかどうかは分からないし、場合によっては長生きしたがため秀長は晩節を汚していたかもしれない。ただ一ついえることは、揉め事を起こさなかったというその人柄といい、秀長はとても空気の読める人物であったということだろう。

注釈[編集]

  1. ^
    「何故なら、ナンバー1になるのは俺様ただ一人だからだ!」
    弟・秀長 について、豊臣秀吉

関連項目[編集]


Uroborosu.png え、えーと…この項目って本当に豊臣秀長であってたっけ?
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