諧謔

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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諧謔(かいぎゃく)とは、便利な言葉

概要[編集]

諧謔とは、一般にはユーモアと同義とされる。ウィキペディアにおいても、諧謔のページはユーモアのページへのリダイレクトとなっている。

だが実際には、諧謔はユーモアとは似て異なる概念である。どう違うのか? 具体的な例を示してわかりやすく説明しよう。以下の文章は、ウィキペディアの東郷平八郎のページからの引用である。

  • 一般に寡黙、荘重という印象があるが時として軽忽な一面もみせた。晩年学習院に招かれた際、講演中に生徒に「将来は何になりたいか」と質問し「軍人になりたい」と答えた生徒に「軍人になると死ぬぞ」 「なるなら陸軍ではなく海軍に入れ。海軍なら死なないから」と発言し、陸軍大将であり、諧謔のセンスの乏しい乃木希典院長を激昂させ、同時に半ば呆れさせたというエピソードがある。

さて、上記の文章の『諧謔』の箇所を『ユーモア』と書き換えてみよう。将来に希望を抱いている生徒たちに対し、海軍の軍人が、しかも横で陸軍の軍人が居る状況で「軍人になると死ぬぞ。なるなら陸軍ではなく海軍に入れ。海軍なら死なないから」と言い放つ。これのどこがユーモアだというのか? はっきり言おう。ユーモアのかけらすらない。ただの空気の読めない発言である。

だが、ここでユーモアではなく、諧謔という言葉を使うとあら不思議。むしろ「諧謔のセンスの乏しい」とされる乃木希典のほうが、空気が読めない人物というレッテルを貼られてしまう。

つまりである。諧謔というのは、「空気の読めない笑えないユーモア」をフォローする時に使う言葉なのである。諧謔という言葉を使った段階で、発言者の笑えない発言は全て免責され、その発言を非難する奴のほうが、空気が読めない馬鹿という事で逆に批判される立場になる。

それ以外に諧謔という言葉の使われている具体例を挙げれば、同じくウィキペディアでの近衛文麿のページが挙げられよう。そのページによると、何と近衛文麿は仮装パーティーにおいて、アドルフ・ヒトラーコスプレをやってのけたという。…はっきり言おう。寒い。これが一国の首相がやるユーモアと言えるのか? だがウィキペディアでの該当ページでは、この近衛文麿の行動が諧謔として紹介されている。おそらく仮装パーティに参加した者たちは、諧謔という言葉を持ち出された時点で、近衛文麿のセンスを認めるという苦行を強いられた事は、想像に難く無い。

韓国における諧謔[編集]

長きに渡って大日本帝国の支配を受けた韓国では、さまざまな日本文化が流入している。例えば従軍慰安婦賄賂といったものである。だが不思議な事に、諧謔という言葉だけは、韓国では受け入れられなかった。

例えば韓国では2012年において、李明博韓国大統領が、竹島に上陸したり、天皇に対して「謝罪するなら我が国に来てもいいよ」と放言するなどのパフォーマンスを行い、日本人の大多数をマジ切れさせてしまった。さすがにやり過ぎを感じたのか、一部の韓国の高官は、大統領の天皇に対する報道が不正確だと必死のフォローを行っている。

しかしだ。本当はこの事態を解決する方法はあるのだ。それは諧謔という言葉を持ち出す事だ。竹島上陸も、天皇に対する発言も、全ては李明博の諧謔である。こう言い切ってしまえば良かったのだ。この言葉を持ち出した時点で、マジで怒っている日本人のほうが「諧謔のセンスに乏しい」という事で、世界的に非難を受ける事になったはずである。

こうして考えると、諧謔というのがいかに便利な言葉であるか、理解できるだろう。国際関係を円滑たらしめるためにも、我々はこの便利な言葉を、常に使えるようにしておくことが望ましい。

注意[編集]

あなたの書いた記事が面白く無いとして削除された時、削除担当者を「諧謔のセンスに乏しい」と非難するのはやめよう。確かに以前なら非常に効果があった。だが、この諧謔のページが執筆された段階で、もう手遅れなのである。

関連項目[編集]