読書感想文

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読書感想文(どくしょかんそうぶん)とは、就学児童らに活字に対するアレルギーをもよおさせ、大衆を愚かなままに留めるために学校教育に組み込まれている「報われない労働」の一種である。

概要[編集]

読書感想文は、まだ活字に対してネガティブな感情を抱いていない児童らに、活字媒体に対する拒絶心を植えつけ、将来に渡って搾取しやすいよう愚かであることを決定付けるため、強制的に読書させるものである。

なお読むことを強要するために、その内容に関して言及した作文を書くことも求められ、これによって児童らは「を読むこと」や「本の内容を元に考える」こと、さらには「本から学んで様々なことを理解すること」を妨げられ、「如何に効率よく教師のご機嫌が取れるような、歯の浮くような語句を並べた作文が作れるか」という技能が磨かれ、将来的に本音ではどんなに嫌なことだろうとも、命令されたら適当にこなせる裏表のある人間になることを期待しての教育手法である。

このため、児童らに与えられる書籍は事前に教育委員会によって入念にチェックが入れられ、より多くの活字嫌いを増やすための無味で陰惨で幼稚で内容の薄さの割に冗長な書籍が選ばれる。

読書感想文はもはや児童労働と同じくらいの作業である。このような労働を強いる学校・教師に限ってバカな場合が多いのも現実である。このようなかわいそうな子供たちを救うために 今、立ち上がらねばという動きも見え隠れしている。

指定される図書と否定される図書[編集]

指定図書は往々にして「つまらない本」であることは先に述べたとおりだが、特に夏休みの宿題で課せられる指定図書は酸鼻を極める戦争敗戦モノや、読者を馬鹿にしているのかと憤慨したくなる様ないい加減ないし強引な展開の物語、あるいはまだ電話帳のほうが遥かにアクロバティックで能動的だとすら感じさせかねない古臭いお話などなど、折角の夏休みを台無しにしかねない図書が指定される。

その一方で、書き手が読者に配慮してちょっとしたユーモアを仕込んでいたり、物語の展開が興味をそそるような写実的で躍動感あふれる、または映画化や漫画化しなくても十分楽しめる娯楽作品は否定される。同時に、オタク層のニーズに対応しているライトノベルも除外される。まして大変に愉快で同時に実利的な情報に満ち、加えて鈍器にも踏み台にも鍋敷きにも利用できる広辞苑も指定されない。

これらの図書を選定するのは教育委員会であるが、彼らは主に出版社の意向によって在庫処分に「売れ残るような本」を指定することもある。(例えば2008年の中学の部では天馬のように走れ 書聖・川村驥山物語。この川村驥山という人物は、漢字書家というのだが彼はとてつもなくマイナーな人物である。あの頭の硬い百科事典ですら1200バイト程度のスタブ記事しかない。果たしてドマイナーな彼を誰がどのようにして感想するというのだろうか。 できた人はよほどのガリ勉か、出木杉英才に近い人間である) 売れ残るような本は、すなわち読者には見向きもされないツマラナイ本なのであるが、このつまらない本を読むことを強要された児童らは、望むと望まざるとに関わらず親に本の代金を渡され、購入を迫られる。やや狡猾で行動の迅速な児童は、いち早く図書館で指定図書を借り出し、親から渡された本の代金を着服して漫画などを購入する。

作文[編集]

作文では、児童らは「どうやったら教師に受けるか」を先回りして考える。この場合、例えば「本の挿絵が滑稽だった」などと書こうものなら、間違いなく連絡ノートに散々な評価を容赦無く書き込まれる。曰く「お宅のお子さんは不真面目で、宿題の真意を曲解し、楽をするためなら後のことなど考えない大怠け者で、ニート確定です」などなど。こういった悪評は衝撃波のように一瞬で伝播し、一生涯に渡って誰彼からも詰られ続ける危険を伴う。

多少知恵のある児童は、とりあえず冒頭3ページと、真中3ページと、最後の1ページ、加えて後書きの3ページを通読する。その上であらすじを想像し、そのあらすじに対して感想を書き記す。大抵の児童はこのパターンで原稿用紙を埋め尽くすと、あとは読み返そうともせずに本は本棚の上のほう、あるいはゴミ箱に、原稿用紙はランドセルに突っ込んで忘れてしまう。ただし余りにも適当に書くと、大抵は国語の評価にマイナスに働く。特に通信簿が悪い場合は注意が必要。

こういった危険を避けるため、もう少し知恵の回る児童は、本のあらすじをネットで検索、主人公の名前を冠した「○○は立派でした」など適当な文言を沿えて書き写す。こういった行為は教師に何の感慨も催させないため(もっとも教師もつまらない本の感想など真面目に読まないので、読書感想文で教師を感動させようとするのは時間の無駄である)、良い評価は得られないが、少なくともあからさまに嫌悪感を込めた罵詈雑言を連絡ノートに書き込まれる心配は無い。ただしクラスの多くが同じウェブサイトのあらすじを書き写すと、丸写しがばれる恐れがある。近年では知恵の回る児童生徒らに、ウィキペディアが利用されている。ウィキペディアを利用することによって通読に要する時間は減るので、子供達の有意義な時間が増えると期待されている。

更に賢く知恵の働く児童は、推薦図書の帯封や書評などを参考に、本を褒めちぎる文章を書き上げる。こういった文章は教師の感銘を受け、うまくすれば地区の文集に掲載される。こういった実績は中学高校受験などに有利に働くため、より良い人生が約束される。

その一方で、忍耐力で全てを読破、思ったことを正直に書いてしまった児童は一顧だにされない。何故ならそれら書籍は教師自身も読んでいない上に、正直に評するなら余程狂った価値観の持ち主以外では「つまらなかった」としか書きようが無いためである。しかも端的に「つまらなかった」と書くと原稿用紙の余白が余りに眩し過ぎるため、仕方なく弁論的韜晦法で余白を埋めると、指定図書に勝るとも劣らない駄文が出来上がる。

ただ、近年は完璧に読破する頭のおかしい奴らの悲痛な叫びも出てきている。

なお教師はこれら読書感想文を通読する責務が無いため、単に原稿用紙の上にそれっぽい文章が並んでいるならば、上から適当にマルをくれて済ませてしまうため、努力するだけ無駄である。生徒の中にはそれを逆手にとり、何年にもわたり同じ課題図書を選択し、まったく同じ感想文を提出するものもいる。更には、以前提出し、手元に返却された感想文において、教員の印が押されている部分のみを書き直して再提出する悪辣な生徒もいる。(但し、担当教諭が以前と替わっている事が条件)

この宿題の意義[編集]

この宿題により、多くの児童は指定図書という本の中でも劣悪なものに類されるモノを宛がわれ、図書の全てがそういった詰まらないものであるかのように錯覚する。これによって児童は本を読まなくなるため、例えば新書を読んで知識を増やして教師の誤りを指摘したり、或いは社会の不正や問題に気付いたり、あるいは支配者層の存在に疑問を抱いて糾弾したりといった行動が予防できると考えられている。

また、日本ではΣ計画というコンピュータ史上の黒歴史があるが、これがまだ本気で考えられていた時代には、図書を全て電子化してペーパーレスを実現、省エネ・省コストをする政府計画もあった。その過程で既存の活字媒体を一端廃れさせる必要があり、そのため活字離れを引き起こさせる目的で読書感想文が推進された。ただ、Σ計画はその後頓挫したものの、惰性で読書感想文だけが続けられている。なお政府内部には頓挫したΣ計画から分岐して図書電子化を相変わらず推進する団体もあり、国立国会図書館関係者を中心に依然として計画は進められ、近年では明治・大正時代の図書の電子化に成功している(→[1])。

なお、この宿題の本当の意義は、指定暴論団「日教組」組員による子分の思想調査であることは、公然のひm…うわなにをするぎゃあ…

アンサイクロペディアンが推奨する図書の一覧[編集]

Wikipedia
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関連項目[編集]