西宮市

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西宮市(にしのみやし)とは、兵庫県都市の一つである。

市の概観[編集]

西宮には東西方向に2つの私鉄とJRが通っており、山沿いの阪急からJR西日本、阪神と海沿いに下がって行くに合わせ、住民の民度も下がっていく傾向がある。北のほうには富裕層が住んでいるが、海岸はスラム街である。

しばらく前までは北部は阪急電鉄率いる阪急王国(首都:宝塚市)の統治下にあり、南部は阪神電気鉄道の自治区となっていて、大正時代以来尼崎市・芦屋市神戸市とともに国道2号国道43号線辺りを境に南北分断の対立状態にあったが、2006年10月に和解が成立して後者を前者が併合したため、この一帯は阪急王国の管轄域となった。とはいえ、昨今では日本が裏で率いる西日本旅客鉄道JR西日本)の躍進もあり、ここを含む阪神間における完全な統一政権は、日本と阪急の対立で生まれていないのが現状である。

最北部を除く住民は、「尼崎市とは犬猿の仲」と一方的に同市へライバル心を抱いているといわれている。そんな中で現在、全国の市人口順位において西宮市は31位で兵庫県内3位に浮上し、一方で尼崎市は35位(県内4位)に転落した。そのため西宮市民は「尼崎市民め、ざまぁみろボケー」と思っているに違いない。そんな西宮市は、北部にまだまだ土地が空いているのでもっと人口増えるかも(某尼崎市民談)。ざまあみろだぜである。

国道43号線を境として北部と南部で生活様式がガラリと変わることから、国道43号線は密かに「日本のベルリンの壁」と形容されている。もちろん、北部が西ドイツにあたり、南部は東ドイツにあたる。また、南部(海岸沿い)はブラジルの法律を採用している。

1935年に南東部の甲子園を基軸として発足した野球球団が「大阪タイガース」を名乗ったことが象徴するように、戦前までは尼崎・伊丹の辺りと共にこの辺りは兵庫県ではなく大阪府大阪市(現:大阪民国)の付属地(植民地)と化していたが、戦後に阪神間・北摂津各都市の躍進及び独立意識向上、それに大阪の没落と神戸の地位向上を受け、阪急・阪神両社を基軸とする独立地域となった。そのため球団名も、1961年に親会社の名称及び尼崎・西宮・芦屋地域の総称語である「阪神」を冠し、「阪神タイガース」と改称されている。

南東部(甲子園・旧市街地など)[編集]

南部、すなわち海沿いの住民は黄色と黒の縦じまを好み、一時期この縦じまをよこしまに変えようという運動が起ったが、住民たちの努力により縦じまのままにされた。

また、江戸時代以来「宮水」と呼ばれる貴重なが出ることからが大量に製作されており、それを飲んで泥酔し暴れまわるものも多く、極度に治安が悪化している。これが北部との対立を生む原因のひとつになっている。

この地域民は虎教信者を中心として、を象徴するオレンジ色へ、街中を暴れまわるとその熱狂的信奉者が過剰反応して市民に危害を及ぼすことから嫌悪感を示している。虎の飼い主である阪神電気鉄道に対しても信者は「オレンジ色の電車を辞めろ」と抗議しており、阪神の中の人の頭を悩ませている。2006年には村上ファンドもその抗議対象となってしまった。

また市南東にある阪神甲子園闘技場では、上記した虎教信者により虎を崇める祭りが行われるほか、真高校生棒球大会が行われる。これは日本の夏の風物詩でもあり、甲子園は棒球をプレイする高校生聖地となっている。外野席にいると聖地の雰囲気を通常の3倍体感することができる。

更に、市南部にある西宮神社は毎年「福男」を決めるために神社内でレースを催している。両者から言えることは、ここの市民はスポーツを周辺地域より特に好んでいるということである。

尼崎市同様、工業地帯と化している面もあるが、西宮南部住民は尼崎と同一視されることを極端に嫌っている。そのため武庫川を「万里の長城」とみなし、向こう側の住民は文化を持たぬ「騎馬民族」だと勘違いしている面がある。

宇宙からやってきた地球侵略をたくらむ機械化帝国が、1993年に侵攻を開始した地点も西宮市のこの地区である。そのため無責任な人たちにより、西宮市立春風小学校6年2組(当時)の生徒達(通称:ザウラーズ)に地球防衛が託された。彼らは小学生ながらも約1年の歳月をかけ、この宇宙人達の撃退に成功した。

主たる地域

北西部(西宮北口・甲陽園・苦楽園など)[編集]

南部との対立が激しいのは、厳密には北部ではなく北中部とでも言うべき一帯で、阪急・JRの沿線に相当する。基本的に、大正期に阪急線の開業によって芦屋・神戸の山手側同様に発展した地域である。それまでは北西部の甲陽園苦楽園遊園地及び温泉地として栄えていたが、他の地域は全くの山林か田園地帯であった。阪急主導の開発によって形作られた場所であるため、伝統文化なるものはほとんど存在しない。

実のところ、西宮七園(このうち甲子園は北中部ではなく南部に属するが、それは禁句)と上品ぶってはいるが、実際は光輝くチョコレート色(小豆色)にパチ物木目板張りの阪急電車が走るだけで、前述したとおり大正以前の文化が無く芦屋の飼い犬状態といえる地域であるため、港町・門前町として栄えたという由緒ある歴史を有し、有名な甲子園球場のある南部地域に嫉妬しているのが現状である。かろうじて廣田神社という現在の市域では最古の神社があったことだけが、誇りとなっている。

そのため執拗に自分たちのことを「文化人」、南部の者を「野蛮人(蝦夷)」と揶揄し、プライドの維持を図っている。

ついでに言っておくと、西宮東部および中心部は現:尼崎市にあった尼崎城の城下であったため、西宮自体も江戸時代は尼崎の飼い犬状態であった。 が、西宮神社初め由緒ある寺社の存在によりまあまあ独自性を保っていたのかもしれない。

なお、西宮北口や甲陽園・苦楽園といった市の北西部一帯には、2003年辺りからただの一般人の他にも神の存在の人や、情報を司る宇宙人遠い未来から来た未来人特殊能力の使える超能力者、更にはこの地域一帯の利権を有するすんごいお金持ち頭の禿げかかった小説家が在住しており、また苦楽園にある兵庫県立北高等学校にはそういった人が所属する特殊な機関も存在する。

その他、市内にあるニテコ池のほとりで太平洋戦争終戦直後、ドロップ缶への異物混入と栄養失調により、神戸市から疎開してきた幼児の死亡事件があったことが、なぜか終戦直後ではなく、それから20年くらい経った1967年ごろに発覚している。

主要地域

最北部(生瀬・名塩など)[編集]

北部といっても、その先端に当たる生瀬とか名塩のような所は、全く南北対立に関与していない。というより、市民である意識が極めて薄い。1975年に神姫バス国鉄バス(現、西日本JRバス)のドル箱路線、中国ハイウェイ線が開通、その後福知山線が高速化され、これらの地域はJR率いる路線にあたり、結果として日本国への帰属意識が強くなっている。そのため兵庫県よりも、むしろ大阪府との結びつきが強い地域といえる。

なお北端には宝塚市と領土を折衷し、列車本数は多いが秘境駅とされる武田尾駅と、あまり知られていないが温泉(武田尾温泉)がある。

主要地域

歴史[編集]

明治以前[編集]

西宮の街はもともと、現在の阪神西宮駅の南側の一帯のみに該当する所であった。前述した宮水の影響で日本酒の製造が江戸時代より盛んであり、西宮港と言う港も存在してそれが運び出されていた。さらには西国街道中国街道の宿場町、漁業・交易(山陽道瀬戸内海)の街としても知られていた。

なお「西宮」の名は、阪神タイガース教信者御用達の「廣田神社」が、奈良時代平安時代より「平城京平安京の西方の大きな宮」とされていたことによるものである。当時から阪神のはこの地域に鎮座していて、関西地方の護国とみなされていたことを示す、興味深い事例といえる。今日、一般に「戎さん(えべっさん)」として親しまれている「西宮神社」さえ、当初はこの廣田神社の傘下にあった。

3つの鉄道開通と地域対立誕生[編集]

そして明治になり、鉄道が開業した。今の東海道本線であるが、これは阪神間を一直線に結ぶことのみ思案して敷かれた為、尼崎や住吉(神戸市東灘区)と同じく、全く市街地を無視する形で駅が置かれた。そのためその30年後、阪神電気鉄道が隣の今津や芦屋の街と同じく、この街の北端をわざわざ通るように蛇行して敷設されると、旅客は国鉄を見限って阪神に移行してしまった。現在に至る南部系住民、通称阪神派は、この辺りから形成されるようになったといってよい。

さて、西宮の発展は大正から昭和にかけ、市域の拡張という形で結実する。

まず大正9年、「阪急王国」を大阪市北部から宝塚にかけて形成していた阪神急行電鉄(阪急電鉄)が、北の武庫郡芝村・瓦木村を通過する形で開業した。そして阪神国道(後の国道2号)も開通し、阪神間の交通がいっそう盛んになっていった。その内、阪急はそれまで農村地帯か山林地帯で、全く開発されていなかった甲山山麓一帯を隣の芦屋の山手側同様、(高級)住宅街として開発する指針を示した。更には学生街を形作るため、大学や中等学校(後の中学校高等学校)を誘致した。これによって王国に属する北部住民、通称阪急派が生まれることになる。

一方、この頃より阪急と阪神の対立が鮮明化するようになった。阪神にしてみれば、ただでさえ阪神間の輸送を持ってかれているのに、沿線の街の利権さえも侵食されたような気分であったわけであるが、阪急側も開発して乗客を増やさねば、国家(企業)の財政さえ脅かされることになる訳だから、衝突は避けられなかった。

その象徴のひとつが、野球球団である。沿線開発は全般的に、阪急の方が力量として富んでいた。ここ西宮市においても、阪神の影響で開けた住宅地は甲子園香櫨園遊園地跡(現:阪急夙川駅西側)程度であったのに対し、阪急線開業に伴うものは、甲東園甲風園・昭和園甲陽園苦楽園と数多かった。しかし阪神側は高校野球を味方につけ、甲子園球場の開発を行った。これが結果として大阪市などから強い支援を受けるに至り、長いこと阪神を守ることになるのである。そしてそれを根拠地とし、大阪タイガースを昭和10年、前述した通りこの地域に残っていた虎信仰を蘇らせる意味も含めて設立したが、翌年には阪急側がこれに対抗し、阪急職業野球団を設立した。そのまた翌年には阪急が西宮球場を開設し、遂にたった直線距離にして2km余りの所に2つの球場が揃うことになった。これが原因で、昭和49年には両者が西宮の街を完全に二部するように、日本選手権シリーズを繰り広げることになる。

南北の対立が住民を巻き込んで明確化する中、大正14年に西宮は市制を施行して西宮市となる。そして昭和になると、阪急沿線の芝村・甲東村・瓦木村などを次々と併合した。これは西宮の威光を天下に示すものとなったが、結局対立する南北を懐柔させることまでは、達せられなかったといえる。北部・南部共に住民が増えると、庶民派の南部、富裕派の北部という構図はよりいっそう目立つようになっていった。

戦後の「北高南低」傾向~中間区の躍進[編集]

太平洋戦争により、西宮の街は南部を中心に大打撃を受ける。そして戦後、工業化の影響で海岸にあった海水浴場が昭和40年に閉鎖される一方、昭和45年には甲山の一帯に公園が造られるといった動きがあり、さらには名塩・生瀬の併合もあって、中心地は次第に北側へ移行するようになった。

そして昭和38年に造られた国道43号は、完全に発展から取り残された南部を隔離することになり、ここがベルリンの壁となって、現在に至る南北分断の状況が形作られたといえる。

平成7年、神戸市を中心とする阪神間各都市同様、阪神・淡路大震災で相当な被害を受ける。死者は1,100名、倒壊家屋は30,000戸を超えたが、それ以上に街を見限って他都市へ流出した者が多く、人口がしばらく低迷する羽目に陥った。またこの被災以降、当市を含む阪神間各都市では他私鉄よりいち早く復旧を果たした西日本旅客鉄道(JR西日本)の躍進が目立つようになった。いわゆる「3つ巴時代」の到来である。

その後、3社競合の時代が10年余り続き、その間に未開発であったJRの駅周辺が次第に開けていく(平成15年の快速停車も大きい)といった動きがあったが、平成18年には西宮の「北高南低」を象徴するかのように、阪急が阪神を併合、新体制でJRへ対抗することになった。翌年にはJRが夙川沿岸に新駅(さくら夙川駅)を新設するが、それに対抗して阪急は阪神の統合まもなく夙川駅へ特急停車を行うようになり、結果として西部地区全体の地価上昇に貢献している。

これら鉄道会社の施策もあり、平成19年8月の「週刊ダイヤモンド」の調査においては、芦屋市についで関西地区で「住みたい都市」の第2位に選ばれた。

功労者[編集]

西宮では伝統的に、街の発展に寄与したものには、町~市から功労賞が与えられている。

江戸時代では宮水を発見し、この辺りで酒造りを始めて西宮の名声を高めた各酒造業者、明治時代から昭和時代にかけては小林一三など北西部を畑・林から街に仕立て上げた阪急電鉄の関係者、およびそのライバルで南東部に甲子園球場と高校野球阪神タイガースの文化を造り上げた阪神電気鉄道の関係者などに賞が授与されている。

また南東部の項目で記した地球侵攻からの防衛功労者には、褒章・感謝状が授与されている。

  • 紅綬褒章 - 峯崎拳一・立花浩美・朝岡しのぶ・石田五郎・白金太郎・火山洋二(パイロット) 光主エリカ(ザウラーズ司令官)
  • 紫綬褒章 - 小島尊子・長田秀三(メカニック)
  • 緑綬褒章 - 中島辰男(当時の6年2組ザウラーズの担任教諭)
  • 褒状 - 春風小6年2組ザウラーズ
  • 内閣総理大臣感謝状 - 6年2組ザウラーズ全員

施設[編集]

企業・団体[編集]

教育[編集]

宗教[編集]

鉄道[編集]

阪急[編集]

高速・高級志向の神戸本線には2駅(西宮北口駅夙川駅)しか駅が存在しないが、支線の今津線甲陽線には計6つ駅がある。

阪急では基本的に、本線の駅は数が少ない分周辺の整備を丁寧に行う傾向があり、その駅前も整然としている。

阪神[編集]

本線だけでも武庫川駅鳴尾駅甲子園駅久寿川駅今津駅西宮駅香櫨園駅と7駅あるが、その他に武庫川線の3駅がある。

阪神は阪急と対照的に、気軽の乗れることをアピールするため「質より量」の戦略をとっている。定期の乗客でさえも、往復の乗降駅が違うことがあるという有様である。

また阪神は川の上に駅を設けることを何故か好む傾向があり(阪急にも一部当てはまる)、ここの武庫川駅・香櫨園駅の他、隣の芦屋市における芦屋駅がわざわざ川の上に設けてある。

JR西日本[編集]

中核駅は東海道本線JR神戸線)の西宮駅である。日本最初の鉄道死亡事故記念碑の設置も検討されている西宮駅であるが、未だに競争にさらされていない甲子園口駅の方が乗降客数で勝る。昨今では阪急と阪神に喧嘩を売るつもりなのか、両線500m足らずの距離で接近する所にさくら夙川駅をわざわざ会社側から打診する形で開設させた。

また大阪市植民地とでもいうべき北端地域にも、福知山線JR宝塚線)の生瀬駅西宮名塩駅がある。更に秘境駅武田尾駅宝塚市と協定を結んで折半している。

道路[編集]

名神高速道路の終点として知られているが、それと阪神高速道路の他にも、目立たぬ北の方にひっそりと中国自動車道が通る。

一般国道としては、路面電車が通っていた国道2号は今でも全区間を1時間半かけて走るバスが通り、そして南北分断の象徴となった国道43号がある。

出身者[編集]

作品の舞台[編集]

関連項目[編集]