西ヶ原

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西ヶ原(にしがはら)とは東京北区の地名。東京に掃いて捨てるほどある地下鉄の駅で最も乗降客の少ない西ヶ原駅があることで有名である。というか、鉄オタはともかく都民の一般人はほとんど知らない。あるいは知らなくても命に問題はない。

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この東京で一番静かな駅[編集]

東京地下鉄南北線駒込王子に挟まれた地域に作られた駅で、駅周辺が閑静な住宅街であるせいか、1991年の開業以来、東京地下鉄で最も乗降客が少ない駅の記録を日々更新している。この首位は他の追随を許さない。

ちなみに第三位は有楽町線桜田門駅であり、第二位は南北線志茂駅である。特に第二位の志茂駅は西ヶ原駅のトップの座を虎視眈々と狙うも、未だその記録を塗り替えることが出来ずに足踏みしている。2005年度の志茂駅の乗降客がおよそ9000人であるのに対し、西ヶ原駅の乗降客はおよそ6000人である。3000人と言う差は大きく、あと50年はこのランキングは変わらないであろう。

南北線は、乗降客が少ない駅の一位(西ヶ原)と二位(志茂)を独占していることから、他の東京地下鉄の他の路線から厳しい目でにらまれており、立場がないそうである。つまり南北線は万年みそっかすとして冷遇されているのである。

あまりに西ヶ原駅で乗降客が少ないので、たった6000人のためだけに用いられる維持費がここんとこずっと膨らみ続けて、経営を圧迫しているらしく、毎年のように廃駅の話が持ち上がる。そのたびに駅の見納めとばかり、カメラをぶら下げた鉄道オタクが集まっては、傍若無人な撮影で駅構内を荒らし、ガセネタだと分かるや散り散りに散っていくということが、ここ何年か続いている。

しかし何らかの利権が絡んでいるらしく、さっさと廃駅にしょうと根回ししても、何故か最後の段でそれは見送られている。廃駅を主張する頭のおかしなプロ市民は、西ヶ原に所在する旧古河庭園の所有者・古河財閥や、諭吉一葉英世の札を刷りまくっている国立印刷局滝野川工場が裏でキナくさくうごめいているという情報を流しているが、もとより信頼するには足らない。というか、6000人の乗降客以外はどーでもいいことだと思っているようである。

今後南北線・さいたま音速鉄道線内で急行運転をする場合は、この西ヶ原に待避線が設けられ、ほとんどの電車が西ヶ原と目黒線の新丸子と元住吉通過の「準急」として運転される予定である。しかしまだ計画段階。

沈黙の西ヶ原駅構内[編集]

実際、この西ヶ原駅を利用すると、統計上の6000人よりはるかに人数が少ないことを実感するだろう。朝のラッシュ時で2500人、夕方のラッシュ時で同じく2500人が利用するとして、それ以外の日中などは1000人以下しか使用していない計算になる。特に昼下がりになると、この駅は地方の過疎村並みの人数しかいないのである。ホームではあくびを噛み殺す売店のオバちゃんと、けだるそうな地下鉄職員、それとこの光景を見た君しかいないであろう。

しかも昼下がりの乗降客の内訳であるが、1000人のうちヒマをもてあましている孤独な老人が40%であり、何か勘違いして降りてしまった方向音痴な主婦30%、純粋な鉄オタが20%、電車で雑誌を拾い集めているオッサン5%、静かだから瞑想してる修行僧3%で、いわゆる一般人の利用は日中ではほとんどありえないようないのである。

経費削減のために照明は豆電球ほどの明るさしかなく、セピア色の構内は5メートル先になるといつも薄暗い。ほのかにともる非常口の電光案内でさえ、どうせ人がいないからと言う理由で二つに一つは電源が切ってある。同じく、どうせ人がいないからと言う理由で、地下鉄の発着でも二本に一本は駅のアナウンスが省略され、三本に一本は「西ヶ原だけ通過する」回送電車扱いされている。

どうせ人がいないからと投げやりな態度で、駅構内の治安と安全に不安はないか、との意見もあるが、それは問題を取り違えている。どうせ人がいないから因縁つける893も強盗もスリも痴漢も露出者もブツブツ壁に向かってしゃべる人も、いようがないので、そこそこ安全ではある。しかし西ヶ原駅で姿を消すと、行方不明になり二度と見つからなくなる公算が大きい。どうせ人がいないから駅の構内ではだれも目撃者はいないのである。まるで神隠しにでもあったかのように迷宮入りである。

ソメイヨシノ咲き誇る飛鳥山公園[編集]

沈黙の支配する西ヶ原駅から地上に出よう。すると目の前に広がるのは飛鳥山公園である。この飛鳥山公園は、1720年に享保の改革で有名なあの暴れん坊将軍こと徳川吉宗が、江戸の人々の行楽のために作った公園である。その当時から桜が植えられていたが、近隣にソメイヨシノ(染井吉野)の栽培で有名な染井村(今は駒込)があったため、ここの桜の多くはソメイヨシノである。

しかし、徳川吉宗が江戸庶民のために公園を作ったと言うのは表向きであって、実はこの公園には裏の顔がある。改革を断行し大岡越前守を用いて政治向きに気を配り、馬に乗って颯爽とちまたの悪を懲らしめたとして知られている吉宗は、他人が自分のことを「暴れん坊将軍」としてしか見てくれないことに、イメージのギャップを抱きノイローゼになっていた。「余は、本当は「暴れん坊」なんかじゃないのに、誰も余を分かってくれない・・・・」と思う吉宗は、逃避と慰安の場所としてこの飛鳥山をこしらえたのである。ここで「花見セラピー」を行い、十分に休養をとってささくれ立った心を癒し、また将軍職へと舞い戻っていくのであった。

しかしそれでもノイローゼがひどくて、吉宗が鬱丸出しで「将軍なんかイヤだぁ~」と喚いていると、その気持ちを抑えるために吉宗はここで、罪人の試し切り、をすることもあったらしい。それでようやく発作がおさまるとすれば罪人の一人や二人は安いものである。このようにして闇から闇に葬るかのように、罪人のむくろが埋められるたびに、桜が植えられていき、いつしかここは桜の名所になっていったのである。まさしく飛鳥山公園は、梶井基次郎が言うように「満開の桜の花の下には死体が埋まっている」のである。

そういえば西ヶ原の住民も多くは桜の木の下に埋まっているのかもしれない。そうでなければ西ヶ原の駅の乗降客の少なさはどうしたものなのであろうか。謎である。これについては多くを語るまい。

関連項目[編集]