藤原道長

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藤原 道長(ふじわら の みちなが)とは、からやってきた月人である。月を支配する王族に連なっていると言われているが、地球にいたんだからきっと何かやらかし島流しにでもあったんだろう。ま、自己中だからしゃーない。

来歴[編集]

内覧まで[編集]

月をたたき出されて心配性の姉・詮子と一緒に地球にやってきた道長は、その時代で一番えらかった藤原氏に潜り込んだ。とにかく悪い奴だったようで、月の魔法を使って地球での仮の父親である藤原兼家のライバルを次々と暗殺していった。父親がえらいと連鎖的に自分もえらくなれる時代だったからである。しかも、一緒に潜り込んだ姉の詮子を天皇の妃にするように兼家に唆して実行させたのも道長であった。

しかし、兼家はへたれだったのか、兄である兼通に政争で負けた挙げ句、遠ざけられて不遇の時代を過ごすことになった。兼通も死ぬ間際に兼家をわざわざ降格させるんだからよっぽどだ。

それでも魔力が通じなかったのは兼通だけであり、次の関白となった藤原頼忠は、道長に操られて兼家を右大臣にしている。さらに、頼忠の娘たちは魔力の影響で子供を産むことが出来なかった。

その後やっとこさで摂政になることが出来た兼家だったが、4年ほどでこの世を去ることになる。道長が自分の父親にまで魔法を使ったんじゃないだろうか。もちろんその後は兼家の子供たちの争いとなるのだが、道長は四男だったのでそのままであれば出番が回ってくることはない。事実、長男である道隆が関白をついでいる。で、道隆は魔法で殺されたかというと、そんなことはない。勝手に大を飲んで勝手に自滅したのだ。その後は道隆の弟で道長の兄である道兼がついだが、まあこれはいい。たった七日であっさり死んだ。はしかが流行っていたそうである。道長の魔法かどうかはわからない。

間違いなく道長の魔法が働いているのはこの後、道長と道隆の息子である伊周の争いである。ここで道長は自分の姉で、天皇の「ママー」である詮子に対してマイ・メロディから習ったという噂の「おねがい♪」という魅了の魔法を使い、天皇をたぶらかしてついに内覧の座を手に入れた。関白にはなっていない。変わったことが好きだったのだろう。なぜ天皇本人に魔法を使わなかったのかはわからないが、まあ、大体の男は女には弱いものだ。特に「ママー」は最強だ。戦略は間違っていない。その後伊周は女がらみでもめて天皇に矢を射かけると言うわけの分からない行動に出て失脚する。やっぱ男は女に弱い。

内覧以降[編集]

天皇に無理矢理二人の奥さんを取らせて早死にさせ、次の天皇は魔法を使って目の病気にしたり、家を火事にしてたたき出し、自分の孫を天皇にすることに成功した。ここで道長は摂政となる。ところで、この後の天皇も含めて四代の天皇みんな道長の娘が嫁である。いいのか?

その後は息子の頼通に位を譲り、自分は陰から権力を行使したり、を建てたり、上皇をいびったり、寺を建てたり、皇太子をやめさせたり、位人臣を極めたり、寺を建てたりしていた。そして自分の孫に自分の娘を嫁がせた日に、道長は自分が月から来たことを突然カミングアウトする。良識のある人はかなり引いたそうだが、何せ酒の席でのことであったため、ほとんどの人が酔っていて道長が望月久代のファンであると勝手に勘違いしたのであまり影響はなかったという。

晩年[編集]

坊さんになって自分の建てた寺に住み、そこで亡くなったそうである。髪の毛を落としたのは自分の故郷である月への望郷の念かもしれないし、違うかもしれない。何にせよ、月の魔法を使って地球で悪さをしすぎたので、帰ることは出来なかったと言う。         

日記[編集]

33歳からの日記が残っている。1000年も昔のものなのに残ってるんだから月の技術はすごかったのだろう。その割には誤字や当て字がやたら多くて読みにくい文章だそうだが。

内容はというと、誰が見ても狂った権力者の日記だと分かるほどの自己陶酔で溢れかえっていて、見ていて非常につまらなく、気持ち悪く、失笑を促す。藤原実資などは死後この日記を盗み見して、「こんな醜悪な自己礼賛の文章、いかなる無教養な人間にも書けない」と断罪したほどである。

関連項目[編集]