恵美

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恵美(えみ)とは、平城京にある風俗店で多くの男性を虜にした風俗嬢である。本名は検閲により削除。性別も誰がどう見てもだが深追いすると首が飛ぶとか。

恵美ちゃんの登場[編集]

時は奈良時代。平城京では、おりからの天災や政争で人々の心は荒んでおり、疲れを癒すために娯楽施設が発達していった。とりわけ、男性の欲望の受け皿として大繁盛したのが性風俗店である。8世紀半ばには、平城京内のあちこちに風俗店が乱立し、天皇貴族たちは毎晩のようにこれらの店に通いつめていた。このような中で、一際異彩を放っていたのが見た目はアレだが心はピュアな女の子、恵美である。彼女のたくましい肉体は既存の風俗店に満足できない特殊な方々を喜ばせ、そうでない人々にも新しい嗜好への扉を開かせた。[1]

恵美ちゃんの黄金時代[編集]

このようにして恵美は成功し、平城京ではその手の趣向が一大ブームとなった。二番煎じが何人も現れたが、彼女に及ぶものはいなかった。『続日本紀』によれば、ピーク時に彼女が手にした年収は当時の太政大臣のそれを軽く越えたという。この頃、彼女は平城京内に豪邸を建て、連日のように雑誌の取材やテレビの出演依頼が殺到する等、まさにこの世の春を謳歌していた。[2]

ババアブーム襲来と恵美ちゃんの最期[編集]

しかし、恵美の全盛期もそう長くは続かなかった。人間熱しやすければ冷めやすいもので、しだいに彼女は人々から飽きられていった。やがてこのブームは完全に収束し、変わって熟女ブームが風俗界を席巻した。このブームを先導していたのが、にわかに人気を得た「女帝」こと称徳帝(所属店舗名『どう、今日?』)である[3]。彼女は商売敵である恵美の店を徹底的に叩き潰したため、恵美は廃業を余儀なくされた。その後、莫大な借金をつくって豪邸を差押えられ、ついには無一文になってしまった。そして、都に住む場所を失って近江国の山中を徘徊していたところを、たまたま居合わせた兵士にレイプされ、そのショックで恵美は死んだ。

関連項目[編集]

  • 藤原氏…彼女とはなんの関係もない。こんな高貴な家から風俗嬢が出るわけないだろう。
  • 藤原南家…彼女の業績により、藤原四家のうち最初になかったことにされた。どういうことなんだろう本当に。

脚注[編集]

  1. ^ ちなみに、恵美という源氏名は、通いつめていた客の一人であるとある皇族の提案で付けられたという。それまでの名前は不明。かろうじて「くちから なかにアッーまるごと」という、実名表記を憚ってアエギ声風に記されている史料が存在するのみである。彼女はこの名前をいたく気に入っていた。
  2. ^ 彼女は中国趣味に傾倒しており、役職名はすべて中国語風にしたほか、人前に出る時は必ずと言っていいほどお団子ヘアに豪華なチャイナドレスを着用していた。このことは顔とのギャップもあってかマスコミでも大きな話題となった。
  3. ^ 「大きい客はウチで取るから、残りの小さい客はアンタんとこで取りな」とタンカを切ったといわれる。