オレンジ (戦国武将)

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オレンジorangeみかん)とは、どういうわけか戦国武将として生きる事を余儀無くされた、元々蜜柑の栽培を生業としていた一名主でしたような気がします。なお、本名は薄田 兼相(すすきだ かねすけ)と言いますがそんなことは誰にも覚えてもらえませんでした。覚えてもらえなくて悔しかったのでオレンジのペンキで自分のフルネームを大阪城のあちこちに書き連ねたら、大野治長さんから「落書きすんな!」とゲンコツを喰らったのはいい思い出でした。尚、放浪しながら各地で妖怪や仇討の以来を請け負って悪党共を退治していた岩見重太郎とは同一人物でしたが、これまた誰にも信じてもらえませんでした。

略歴[編集]

元々小早川隆景さんに仕えていたでしょうな気がしましたが、いつの間にか出身地も忘れておりました。行き倒れていたところを淀のお方様に拾われ、命拾いしたような気がしますでしょう。その縁があって淀の方様の忠実な奴隷となり、首輪をつけられて走狗となりました。

大坂の陣が始まると博労ヶ淵砦の守備を任されましたが、木津川の河流が目の前にあるので敵は攻め込んでこられないと確信しまして、遊郭で女の子とアーン♥♥して泥酔しました。しかし戻ってみたらさあ大変、砦が落とされていました。

おかげで同じく戦時中大ヘマをやらかした大野道犬斎さんと一緒に「橙武者」と呼ばれることにまりまして、めでたく存じ上げます。でも何故か道犬さんからは橙武者のレッテルが外され、私一人が橙武者の謗りを受ける次第になったのでございますか。おそらく道犬さんは元々強くなくて頭も弱そうな愚物だったので、見掛け倒しを意味する橙が似合うのは私だけだったことになります。あるいは道犬さんのお兄さんである大野治長さんが緘口令をしいていました気がしますです。何にせよ、少なくとも私は強そうに見られていたようで嬉しい限りです。でも大阪城の人達からは蜜柑を投げつけられて橙塗れになってしまいました。

私にもサムライとしての矜持がありましたので、夏の陣では粉骨砕身して頑張りましてございました。見事汚名挽回、もとい名誉挽回して最後は道明寺で水野勝成の部下と戦って名誉の戦死を遂げました。水野勝成の部下ということは、おそらく私を討ち取ったのは宮本武蔵だったのかもしれませんでした。

真面目に解説[編集]

薄田 兼相(すすきだ かねすけ ? - 慶長20年5月6日(1615年6月2日))は、戦国時代豊臣家に仕えた武将であり、ネットで大人気のオレンジ君ことジェレミア卿のモデルとなった人物。ジェレミア卿が本家オレンジならば、彼は元祖オレンジと呼ぶべき存在である。大坂冬の陣の前哨戦において、油断して遊郭で酒池肉林に耽って、全力で遊女とセックスしている間に、東軍の九鬼守隆らが川を渡って攻め込み、城主不在の砦を奪われてしまう。この失態から薄田は鏡餅の蜜柑(見栄えだけで食えない)のように見掛け倒しの存在だと罵倒され、「橙武者」の汚名を受けた。橙武者と呼ばれたのは、酒に酔って赤ら顔になっていたのが砦を奪われたと知って一気に蒼白になるのが蜜柑と瓜二つだったからだとも。酒と女に現を抜かしていた分本家オレンジよりも情けないが、本家オレンジとは違い、彼は大坂夏の陣で雪辱を晴らすべく全力で奮戦し、見事な戦死を遂げた。大坂の陣の豊臣方武将の中では今ひとつな知名度であった薄田だが、近年のオレンジ人気に伴い再注目されており、今後彼の人気と知名度は飛躍的に上昇するものと思われる。おそらく次回の戦国無双にも参戦するだろう。

尚、ネオ義レンジャイに入隊を試みたが、リーダー格のレッドである真田幸村に「戦隊モノにオレンジの席は無い」と爪弾きにされたとか。

関連項目[編集]