菱川師宣
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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菱川 師宣(ひしかわ もろのぶ、元和4年(1618年)? - 元禄7年6月4日(1694年7月25日))は浮世絵の祖とも言われる江戸時代の芸術家。しかしどちらかと言うと彼の本職は犯罪者と言うべきである。菱川はストーカー、下着泥棒、覗き、盗撮の常習犯であり、隣の塀から覗きながら遊郭で男女の肉体がぶつかり合う性風俗の熱い様を春画として描いたり、一人の女性を執拗に追い回してその華奢な肉体を模写していた。その為江戸幕府から指名手配され各地を転々としながら逃亡生活を送っていたが、その逃亡先でも遊郭を覗いたりストーカー行為を行いスケッチしていた。遊郭に待ち伏せていた幕府の奉行に捕らえられそうになると自らの禁則事項ですを放射して目晦ましさせてその隙に逃亡したとも言われる。こうした逸話や、菱川の描く卑猥な絵画が広く人口に膾炙するようになると人々は菱川を義侠とまで持て囃した。また、彼を追跡していた幕府の奉行達ですら密に菱川の絵を購入しておかずにしていた。
[編集] 逸話
- 剛毛で知られる菱川は愛用の筆の毛の原材料に自らの体毛や陰毛を使っていた。
- 彼の最も有名な作品として知られる「見返り美人図」は、菱川が惚れた一人の街娘を3年にわたりストーキングし続けた末に描いた傑作である。
[編集] 人物評
- それまでアングラ的要素が強かった浮世絵を大衆に広く普及させた功績は大きく、田代まさしやミラーマンに匹敵する犯罪者でありながら、その「罪」の部分までも文化面における功績と受け取られている。
- 常軌を逸した変態である彼だが、強姦だけは生涯行わなかったと言う。これに関して菱川は田代のようにあくまでも自分の美学に忠実だったと言う評価もあれば、そこまでやる度胸が無かっただけと指摘するものもいる。

