若桜鉄道

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「若桜鉄道」の項目を執筆しています。
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「何がどのように良いって?来れば分かるの!」
若桜鉄道 について、某鉄道戦士

若桜鉄道(わかさてつどう)とは、若さでなく古さを売る鳥取県の第三セクター鉄道である。

社章

歴史[編集]

鳥取市北方の因美線郡家駅と東の若桜駅を結ぶこの路線が全線開通したのは1930年のことだ。 氷の山を乗り越えて八つの鹿まで鉄路を結ぶという国鉄の若き桜たちが立案した大Projectの一部として建設された。

しかし、そんな鉄路計画はしょせん、若いサクラたちの甘々の妄想に過ぎなかった。やがて若桜の街と鳥取の市街地を結ぶバス路線が頻行運転するようになると、若きも古きもバスを利用するようになり、1980年この若桜線は廃止対象路線に指定された。住民たちは「乗って残そう」と若いサクラに呼びかけて、利用者数を水増ししようとしたが、所詮は無駄な抵抗だった。

決して来なかった若ザクラ

そして1987年この国鉄若桜線19.2kmは若桜鉄道として第三セクター化され、新たな道を歩むこととなった。1994年には智頭急行が開通し、因美線が新たな京阪神へのルートに昇格、郡家駅にも若いウサギ列車が立ち止まるようになった。

若桜町はこれで若いサクラがやってくると算盤を弾いたが、そういう事態は起きず、利用者数は低迷を続けた。他にも様々な手を打ったが、若者がやってくることはなかった。それどころか、「ウサギの行き違いの邪魔になるから、御宅の列車を隠微に乗り入れんといてくれ」とJRに要請され、鳥取駅への直通枠まで減らされた。

鉄道幹部は困窮したが、そこで思いついた。「これまで本社は若さを売りにしてきたが、すべて駄目だった。若さを売りにしてもう既に80年近く経ってしまった。県民ともどもみんな年寄りばかりになってしまった。これからは古さを売りにすることにしよう」

そして2008年、開業以来若さを自称してきたままの6つの駅舎をはじめとする23件が、登録有形文化財に指定された。すると、これまでの広告秩序を上下に分離させた結果が出たのか、突如として黒字決算になった。観光のサクラも駅舎に立ち寄るようになった現在、若桜鉄道は大量輸送の使命を放棄した文化財鉄道として年老いたサクラたちを受け入れ、WTな普通列車を10往復させている。

非文化財3駅[編集]

郡家
因美線との乗り継ぎ駅である。JRの氷のような真の経営姿勢を知るためには、分離されたホーム状態を眺めるとよく理解できるだろう。特急との接続振りは想像通りなので、期待しないように。
八頭高校前
1996年新規開業。開業理由は「線内に8つのを揃えたかった」ため。若いサクラを呼び込むため、郡家との料金を60円に設定し、農林部に対して最安のウ×チを提供していたが、古いサクラを主対象に変える時に値上げされてしまった。残念。県立八頭高校野球部だけでなくホッケー部にまで専用グランドがあるようだ。羨ましい
徳丸
2002年開業。この駅が文化財指定でないのは、年齢ゆえでなく、長年年齢詐称してきた他の駅舎に向けて警告するため

文化財6駅[編集]

駅舎年齢相応のサクラ

これらの駅舎が開業以来の姿を保っているのは、沿線に再開発されるだけの魅力がなかったため…とどこかの鉄道戦士が主張している。

因幡船岡
駅舎が縫製工場になっている。なので、ファンサイト[1]の駅名が二重織りされている。
妙に若そうな駅舎である。それもそのはずで、一式戦闘機とスズキバイクの駅だからである。年がいもないお年寄りたちが若いバイクに乗って集まってくる。寝台列車状態の自分を新幹線と思いながら。
安部
この駅だけ1932年開業である。そうなったのは、ヤスイ君とクサカベ君が駅の位置を巡って醜い争いを繰り広げたため、運行妨害罪で懲役2年を国鉄より下されたためだ。しかし、対立を少しでも収めてやろうと後で寅さんがやってきた。
八東
ここが中間駅。
丹比
こちらが旧八東町への本当の玄関駅。駅名を交換すべきだろう。
呼び込みたいサクラ
若桜
若い桜と元気いっぱいの駅名。しかし、80代の駅舎がどんなに若さをアピールしても、諧謔にしかならない。その実情を素直に受け入れてSLを構内に置くと、若いサクラ娘たちが稀にやってくるようになった。SLは基本的に構内で常時お昼寝中であり、線内を走ることはない。

関連項目[編集]