芦田均

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「能無し」
芦田均 について、東條英機
「例え皆が忘れても私達だけは忘れません」
芦田均 について、舞鶴県

芦田 均(あした ひとし)は、日本の総理大臣。影の薄い総理の一人である。

経歴[編集]

舞鶴県に生まれ、その後なんやかんや東京大学に進学し、国会議員となる。このころ東條英機と知り合い、彼のイエスマンとなる。当時交わした会話は

「開戦すべきか?」

「YES」

「俺の靴をなめろ」

「YES」

「俺と禁則事項ですしろ」

「………YES」

といったようなもので、最近辞めた元法務大臣もオドロキの「YES」で済ますその根性は、周囲の人間が彼をある意味認めさせる一つの要因となった。

また彼は敬虔な(笑)クリスチャンであり、昭和天皇への奏上の時は「ぼくはかみちゃましんじてんだもん!そうじょうなんてぜーったいいきたくないもん!うえーえぇん……」と駄々をこねる一面もあった。また皇国史観の蔓延する当時の日本において彼が失脚しなかったのは、彼が偉大なるYES! Manだったからであり、上司に

「まさかお前クリスチャンなんかじゃないよな?」

と聞かれても

「YES。キリスト教クソ食らえ」

と平然と答える事が出来たできたからである。またコイツが死後に地獄に堕とされたのはいうまでもない。

総理生活[編集]

彼が総理になってから僅か220日で彼の内閣は退陣した。なぜなら閣僚会議でも

「総理、この法案はどうされますか」

「YES」

「総理、明日の会合はどうされますか」

「YES」

「総理、頭は大丈夫ですか

「YES」

「大丈夫じゃないだろ」

という調子だったため、野党の猛反発を受け、野党側議員からの「辞めろ!」という野次に対して「イエッス!!」と答えてしまった故である。
YES YES! YES!!

また彼の政治的手腕は乏しかった素晴らしかった。

在任期間[編集]

彼はかの「首相最短在任ランキング」の堂々5位にランクインしており、あのHATO☆POPPOを差し置いての5位である。そこのHey!Sey!生まれのあなた!これを見れば昭和の総理がある意味実に偉大であったかが判るだろう。

関連リンク[編集]

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