織田裕二

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織田裕二(おだ ゆうじ、1983年9月13日 - )は日本の元航空自衛官・プロ野球選手・格闘家であり、現在は陸上評論家。一時期タイアイドル歌手として活動していた。

彼の生い立ち等は不明だが、一般的には一浪一留して入った三流大学史学部を卒業してからの彼がよく知られている。

タイでのアイドル歌手時代[編集]

それまでただの考古学マニアであった織田は卒業旅行に子供のころに修行していたタイに出かけたことで彼の運命が大きく変わることになる。

ちょうどそのころのタイでは空前の日本ブームがわき上がっており、日本のアイドルも有名になっていた。そのタイで彼は謎の日本人ブローカーと出会い、日本からの外タレとして歌手デビューすることとなる。そして芸名「一発太郎」として織田はタイでのスーパーアイドルとして空前の大フィーバーを巻き起こすことになる。

1ヶ月もの間、後にも先にもないフィーバーだったが、歌っている歌と言えばピンクレディーインスパイヤどころかそのまんまだったので、化けの皮が剥がれるのは時間の問題となっていた。おりしも、大富豪の娘との結婚の話もあったが、織田は逃げるように日本に帰国した。なお、織田にはほとんどギャラが入らなかったらしい。

ちなみに、織田がスターになったのはタイではなくラオスだという節もあるが、一般的にはタイ説が有力である。

航空自衛官時代[編集]

帰国後、織田は何を思ったのか自衛隊に入隊。航空自衛隊の千歳基地でパイロットして腕を磨くことになる。

彼はパイロットとして最高の栄誉とされる「BEST GUY」の位をめざし、日々特別強化訓練に臨む毎日であったという。F-15Jイーグルを操ることから、相当な優秀なパイロットであったと思われる。しかし、その腕よりも、彼らパイロットのあまりにもしょぼすぎる態度や、あまりにもしょぼすぎる飛行っぷりが自衛隊内のみならず、日本中で有名になってしまった。なお、最終的な位は二等空尉と言われている。

なお、タイ時代と自衛官時代については、なぜか織田の中ではなかったこととして扱われているようだが、これらのことはあまりにも有名な事実であり、決して無視してはいけない。

プロ野球時代[編集]

しょぼ過ぎる活躍が目にとまったのか、その年のドラフトで阪神タイガースから1位指名を受ける。期待の高さからか、エース番号18番を背負い、たけし軍団より弱かったとされる、阪神の暗黒時代のエースとして活躍した(弱かったから織田でもエースとして君臨できたという話はここでは無視する)。

切れ味鋭いストレート・フォーク・ビーンボール(後にシュートを習得)を主体に、ゴロを打たせる投球スタイルでローテの中心となり活躍していた。また、広島カープに強く、そのためあの天才前田智徳から一目置かれていたとかいないとか。

しかし、自衛官時代の「しょぼ癖」をひきずっていたのか、どんなに好調にスタートしても6回あたりで突然崩れる、しかも自滅するパターンが多かったことから、エースだったわりにはあまり評判は良くなかった。ある日の試合後、体の違和感を覚えた彼は、ガッカリ学の権威であるダイジョーブ博士のいる病院で検査を受ける。そこでSYBS(Suddenly Yabu Burning Syndrome(突発性藪炎上症候群))を患っているという事を知る。なお彼は現在も闘病中である。

彼は清原和博が大好きだったらしく、どれだけ大好きだったかというと、1シーズンで3個の死球をプレゼントするほど。その証拠に清原があとで何を言っても織田は決して謝らなかったことからもうかがい知れる。

その後、織田は右肩怪我をしてしまうが、ついでに脳も痛めてしまったらしく、怪我から復帰後、いきなり背番号を4という普通の脳のピッチャーならまずつけない番号に変更するという奇行にでる。しかし、それで上機嫌になったのか、織田は10勝を挙げ復活した。

弱い球団のエースとして活躍していたが、やがて阪神は強くなり優勝を果たす。しかし、その翌年、「強い阪神なんて阪神じゃないやい!」という言葉と共にFA宣言、大リーグのオークランド・アスレチックスに入団。そこそこの成績を挙げる。

格闘家時代[編集]

全盛期[編集]

しばらくアメリカでがんばっていると思ったら、突然タイムエタイ選手として日本に凱旋。どうも織田はタイのことがやっぱり忘れられなかったようだ。織田は中量級の体格ながらも、突出したスピードとディフェンス力を武器にK-1を中心に活躍。重量級の選手と真っ向勝負を挑み、人気を得た。

アレクセイ・イグナショフ戦はK-1での織田の名前を有名にした一戦として知られている。イグナショフのハイキックを片膝をリングについた状態で頭を傾けてかわしたことで有名となり、同時期に100人もの織田本人とのストリートファイトに勝ったとの噂も立ったことから、織田にマトリックスとの異名がついた。

この「マトリックスディフェンス」に気をよくした織田はその後「マトリックスアタック」を開発。それはコーナーポストに横に捕まり、コーナーと垂直、つまりリングのマットとは並行になるもの。これで真横に浮き上がった格好の織田は相手選手の脇腹をひたすらに蹴りまくるという、重力無視のまさにマトリックスな攻撃で重量級の選手をバッタバッタと倒していった。

低迷期[編集]

衝撃な登場を果たした織田だったが、とっくに治ったと思われた「しょぼ癖」がここで再発。次第に勝ち数よりも負け数のほうが徐々に増えていくことになる。いつしかテレビにあまり登場しなくなってしまった。

しかし、芸能人出身(タイでしか活躍してない芸能人と言うのは無視して)の格闘家といえば、「曙太郎」「・ボビー・オロゴン」・「金子賢」等のイロモノが多いが、織田は芸能人出身で唯一成功した格闘家である。

現在[編集]

現在の織田はいつの間にか陸上評論家として、世界陸上のときだけにメディアの前に登場する。そこでの織田は今までの鬱憤を晴らすかのようにハイテンションで。そのハイテンションはものすごく、外国人選手や競技への豊富な知識をもっているという好評価を台無しにするぐらい。視聴者は織田に辟易しているが、かといって、知識ゼロの有名人を起用されるのもアレなので、仕方なしに織田を支持している状態である。

ちなみに、最近の織田の口癖は「タメスエ~! なにやってるんだよぉ~!」 (「タメスエ」は年によって「ムロフシ」「アサハラ」に変わる)

なお、今は自分が患っているSYBSを治す為、医者になる勉強をしている。

織田に対する評価[編集]

「お主にしょぼ癖がなければ、織田家を任せられるんだが,,,,,」
織田裕二 について、織田信長

主な成績・受賞歴[編集]

タイのアイドル歌手として[編集]

  • チトワンかくし芸大会 優勝
  • チトワン歌謡大賞

航空自衛官として[編集]

  • 「BEST GUY」

プロ野球選手として[編集]

  • 新人王
  • 最多敗(これは「しょぼ癖」のせいだけでなく、打線の援護のないダメ虎のエースとしてローテを守ってきた、栄誉?でもある)
  • 日本での通算成績(11年間) 84勝 105敗 75死球 防御率3.57
  • アメリカでの通算成績(1年間) 4勝 0敗 1S 防御率4.50

格闘家として[編集]

  • 通算成績 95戦 57勝(13KO) 34敗 4分
  • ラジャダムナンスタジアム ウェルター級王者
  • ラジャダムナンスタジアム スーパーウェルター級王者
  • K-1 WORLD GP 2004 in SEOUL 優勝
  • K-1 WORLD GP 2004 ベスト4

関連項目[編集]

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